例の、内裏(うち)に日数経(へ)たまふころ、さるべき方の忌(いみ)待ち出でたまふ。にはかにまかでたまふまねして、道の程(ほど)よりおはしましたり。紀伊守驚きて、遣水の面目(めいぼく)と、かしこまり喜ぶ。小君には、昼より、
「かくなん思ひよれる」
とのたまひ契れり。明け暮れまつはし馴(な)らはしたまひければ、今宵(こよひ)もまづ召し出でたり。
女も、さる御消息(せうそこ)ありけるに、思したばかりつらむほどは浅くしも思ひなされねど、さりとて、うちとけ、人げなきありさまを見えたてまつりても、あぢきなく、夢のやうにて過ぎにし嘆きをまたや加へむと、思ひ乱れて、なほさて待ちつけきこえさせむことのまばゆければ、小君が出でて去(い)ぬるほどに、
「いとけ近ければかたはらいたし。なやましければ、忍びてうち叩(たた)かせなどせむに、ほど離れてを」
とて、渡殿(わたどの)に、中将といひしが局(つぼね)したる隠れに移ろひぬ。
さる心して、人とく静めて御消息あれど、小君は尋ねあはず。よろづの所求め歩(あり)きて、渡殿に分け入りて、からうじて辿(とど)り来たり。いとあさましくつらしと思ひて、
「いかにかひなしと思さむ」
と泣きぬばかり言へば、
「かくけしからぬ心ばへはつかふものか。幼き人のかかること言ひ伝ふるは、いみじく忌むなるものを」
と言ひおどして、
「『心地なやましければ、人々退(さ)けず押(おさ)へさせてなむ』と、聞こえさせよ。あやしと誰も誰も見るらむ」
と言ひ放ちて、心の中(うち)には、いとかく品定まりぬる身のおぼえならで、過ぎにし親の御けはひとまれる古里ながら、たまさかにも待ちつけたてまつらば、をかしうもやあらまし。しひて思ひ知らぬ顔に見消(みけ)つも、いかほど知らぬやうに思すらむと、心ながらも胸いたく、さすがに思ひ乱る。とてもかくても、今は言ふかひなき宿世(すくせ)なりければ、無心(むじん)に心づきなくてやみなむと、思ひはてたり。
君は、いかにたばかりなさむと、まだ幼きをうしろめたく待ち臥したまへるに、不用(ふよう)なるよしを聞こゆれば、あさましくめづらかなりける心のほどを、
「身もいと恥づかしくこそなりぬれ」
といといとほしき御気色なり。とばかりものものたまはず、いたくうめきて、うしと思したり。
「帚木(ははきぎ)の心をしらでその原の道にあやなくまどひぬるかな
聞こえむ方こそなけれ」
とのたまへり。女も、さすがにまどろまざりければ、
「数ならず伏屋(ふせや)に生ふる名のうさにあるにもあらず消ゆる帚木」
と聞こえたり。
小君、いといとほしさに、眠(ねぶ)たくもあらでまどい歩(あり)くを、人あやしと見るらむとわびたまふ。
例の、人々はいぎたなきに、一所(ひとところ)、すずろにすさまじく思しつづけらるれど、人に似ぬ心ざまの、なほ消えず立ちのぼれりけると、ねたく、かかるにつけてこそ心もとまれと、かつは思しながら、めざましくつらければ、さばれと思せども、さも思しはつまじく、
「隠れたらむ所になほ率(ゐ)ていけ」
とのたまへど、
「いとむつかしげにさし籠められて、人あまたはべるめれば、かしこげに」
と聞こゆ。いとほしと思へり。
「よし、あこだにだ棄(す)てそ」
とのたまひて、御かたはらに臥せたまへり。若くなつかしき御ありさまを、うれしくめでたしと思ひたれば、つれなき人よりは、なかなかあはれに思さるとぞ。
いつもの生活パターンに戻った源氏の君は、宮中でお過ごしになる日が多くなったころ、前回、宮中のある北東の方角が塞がった日から数え、今回は、左大臣邸の方角である南西が塞がる三十三日後を待ち続けて、紀伊守邸に方違えに向かわれます。左大臣邸の方角が塞がる前の夕方に急遽、宮中を退出されるように見せかけて、実は途中、二条大路を東に向きを変え紀伊守邸にお出ましになりました。紀伊守はびっくりして、遣水の趣向が面目を施すとはと勘違いも甚だしく、身のすくむ思いで驚喜します。小君には昼間のうちに、
「こんな計画を思い付いた」
と打ち明けられて示し合わせます。明けても暮れてもお傍に置くことを習慣になさいましたので、今夜も何をおいても小君を呼び出され、姉君に手紙を届けさせました。
女君も、その旨のお手紙を受け取り、一計を案じられて策を弄されたくらいですから私へのご好意が浅いとは考えようもありませんが、だからと言って、求婚に応じ、源氏の君と釣り合わない無様な姿をお見せ申し上げましても、耐え難く、悪い夢を見たと忘れかけた屈辱をもう一度味わうのかと、錯乱状態になり、さてどうしたものか、このままお待ち申し上げるのはいたたまれないので、小君が部屋を出て行ったのを見計らって、女君は、
「源氏の君がすぐ傍にいらっしゃるのでお騒がせしては申し訳ありません。気分が悪いので、どこかで肩や腰を揉ませるのに、少し離れた部屋でと思いまして」
と言って、源氏の君の御座所が設けられた東廂とは反対側の母屋と西の対を繋ぐ渡殿に、中将という例の女房が個室にしているのであるが、身を隠すために逃げ込んでしまいました。
女君との逢瀬を期待して、従者を早くに寝かし付けてお手紙を差し上げるが、小君は探し回ったが会えない。心当たりを探して訪ね歩いた末に渡殿に足を踏み入れてみたところ、ようやく辿り着きました。小君は子どもじみた振る舞いに呆れ果て、悲しくなって、
「どんなにかがっかりされることでしょう」
と今にも泣き出さんばかりに訴えると、女君は、
「このような悪気は起こしてはなりませぬ。年端もいかない子どもを逢引の手引きに使うとは、断じてしてはならないというのに」
と𠮟りつけて、女君は、
「『気分が悪いので女房を下がらせず、按摩をさせています』と、申し上げなさい。二人の関係を屋敷中の者が訝るでしょう」
と突き放して、しかし内心では、変えたくても変えようのない受領階級に嫁いだ身分でなければ、亡き父の願いがまだ叶えられそうな実家住まいのころの身分のまま、たまのお運びでも待ち続け申し上げるのであれば、なんと幸せなことであったでしょう。わざと源氏の君を想っていない風を装いながらも、身の程知らずも甚だしいとお怒りになるだろうと、自らしたこととは言え胸が痛み、さすが気丈な女君も悩みに悩まれます。兎も角、今となっては言い訳してもどうにもなりませんので、冷淡で嫌な女を演じ切ろうと覚悟を決めました。
源氏の君は、首尾はどうであろうか、と小君が幼いことに一抹の不安を感じつつも吉報を待ちながら横になられているところに、不首尾の報告を申し上げると、感心するほど稀に見る芯の強さに、源氏の君は、
「それに比べ自分はなんと情けないことよ」
とますますもって女君にご執心のご様子です。しばらくは口もお利きにならず、大きく呻き声を上げ、思い通りにならないものだとお考えです。源氏の君は、小君に和歌を託し、
「帚木の心をしらでその原の道にあやなくまどひぬるかな(帚木のように近づいたかと思うと消えてしまうあなたの本心を知らずに、あなたを求めて帚木が生えるという園原に向かう道にうっかり迷い込んでしまったことです)」
お伝えする術がありません」
と呻かれます。女君も強がってはみたものの一睡もできなかったので、
「数ならぬ伏屋に生ふる名のうさにあるにもあらず消ゆる帚木(取るに足りない粗末な家である伏屋を地名に冠する土地に生まれ、地名の通り卑しい身分が恥ずかしく、居るとも居ないとも姿を見せない園原の帚木のように隠れ住んでいます)」
と返歌を差し上げました。
返歌を届けた小君は、落胆する源氏の君にひどく同情し、目が冴えてしまい打開策を案じ邸内をうろうろするのを誰かに見咎められるのではないか、と女君は気が気ではありません。
前回同様、従者は着の身着のままだらしなく簀子敷で寝静まる中、この屋敷で一箇所だけ、まんじりともせず女君の冷淡な仕打ちについて一晩中考え続けられているが、女性としては珍しく中流の受領階級に堕ちたとはいえ上流階級の自尊心が帚木のように本人の姿は消えて見えないが、未だに消えることなくより強固になっているとは、と小憎らしく、このような性格の女性であるからこそ男心を掴んで離さないのだ、と一方では納得されるものの、方や眠れないほど悔しくてならないので、なるようにしかならないと半ば諦めの境地ではいらっしゃるが、きっぱりとお諦めになられるはずもなく、源氏の君は小君に、
「隠れ場所にすぐに案内せよ」
と詰め寄られるが小君は、
「とても厳重にして閉じ籠っていらっしゃり、女房を多勢お傍に置いているようですのでご賢察ください」
と申し上げます。小君としても同情を禁じ得ません。源氏の君は、
「ままよ、お前だけは姉君のように見捨てるでないぞ」
とおっしゃりながら小君をご自分の脇に横になされました。小君にすれば自分同様に年齢が若く、憧れていたその方を間近にして感激し、光栄に思っているので、小君と真逆の冷淡な女君に比べ、遥かにましだとお考えのようです。