『源氏物語』を推理(よ)む

日本人の教養シリーズⅣ 『源氏物語』 ー皇位継承をめぐる権力闘争、平安王朝の国盗り物語ー
日本人の教養シリーズⅣ 『源氏物語』 ー皇位継承をめぐる権力闘争、平安王朝の国盗り物語ー

はゝき木

2022.11.02 17 源氏の君における空蝉は、頭中将における夕顔に相当し、正妻とその背後に控える外戚の存在が身分を越えた婚姻を阻み、空蝉唯一の心の支えは嘗て上流階級であった誇り

 例の、内裏(うち)に日数経(へ)たまふころ、さるべき方の忌(いみ)待ち出でたまふ。にはかにまかでたまふまねして、道の程(ほど)よりおはしましたり。紀伊守驚きて、遣水の面目(めいぼく)と、かしこまり喜ぶ。小君には、昼より、
「かくなん思ひよれる」
とのたまひ契れり。明け暮れまつはし馴(な)らはしたまひければ、今宵(こよひ)もまづ召し出でたり。
 女も、さる御消息(せうそこ)ありけるに、思したばかりつらむほどは浅くしも思ひなされねど、さりとて、うちとけ、人げなきありさまを見えたてまつりても、あぢきなく、夢のやうにて過ぎにし嘆きをまたや加へむと、思ひ乱れて、なほさて待ちつけきこえさせむことのまばゆければ、小君が出でて去(い)ぬるほどに、
「いとけ近ければかたはらいたし。なやましければ、忍びてうち叩(たた)かせなどせむに、ほど離れてを」
とて、渡殿(わたどの)に、中将といひしが局(つぼね)したる隠れに移ろひぬ。
 さる心して、人とく静めて御消息あれど、小君は尋ねあはず。よろづの所求め歩(あり)きて、渡殿に分け入りて、からうじて辿(とど)り来たり。いとあさましくつらしと思ひて、
「いかにかひなしと思さむ」
と泣きぬばかり言へば、
「かくけしからぬ心ばへはつかふものか。幼き人のかかること言ひ伝ふるは、いみじく忌むなるものを」
と言ひおどして、
「『心地なやましければ、人々退(さ)けず押(おさ)へさせてなむ』と、聞こえさせよ。あやしと誰も誰も見るらむ」
と言ひ放ちて、心の中(うち)には、いとかく品定まりぬる身のおぼえならで、過ぎにし親の御けはひとまれる古里ながら、たまさかにも待ちつけたてまつらば、をかしうもやあらまし。しひて思ひ知らぬ顔に見消(みけ)つも、いかほど知らぬやうに思すらむと、心ながらも胸いたく、さすがに思ひ乱る。とてもかくても、今は言ふかひなき宿世(すくせ)なりければ、無心(むじん)に心づきなくてやみなむと、思ひはてたり。
 君は、いかにたばかりなさむと、まだ幼きをうしろめたく待ち臥したまへるに、不用(ふよう)なるよしを聞こゆれば、あさましくめづらかなりける心のほどを、
「身もいと恥づかしくこそなりぬれ」
といといとほしき御気色なり。とばかりものものたまはず、いたくうめきて、うしと思したり。

「帚木(ははきぎ)の心をしらでその原の道にあやなくまどひぬるかな

聞こえむ方こそなけれ」
とのたまへり。女も、さすがにまどろまざりければ、

「数ならず伏屋(ふせや)に生ふる名のうさにあるにもあらず消ゆる帚木」

と聞こえたり。
 小君、いといとほしさに、眠(ねぶ)たくもあらでまどい歩(あり)くを、人あやしと見るらむとわびたまふ。
 例の、人々はいぎたなきに、一所(ひとところ)、すずろにすさまじく思しつづけらるれど、人に似ぬ心ざまの、なほ消えず立ちのぼれりけると、ねたく、かかるにつけてこそ心もとまれと、かつは思しながら、めざましくつらければ、さばれと思せども、さも思しはつまじく、
「隠れたらむ所になほ率(ゐ)ていけ」
とのたまへど、
「いとむつかしげにさし籠められて、人あまたはべるめれば、かしこげに」
と聞こゆ。いとほしと思へり。
「よし、あこだにだ棄(す)てそ」
とのたまひて、御かたはらに臥せたまへり。若くなつかしき御ありさまを、うれしくめでたしと思ひたれば、つれなき人よりは、なかなかあはれに思さるとぞ。

 いつもの生活パターンに戻った源氏の君は、宮中でお過ごしになる日が多くなったころ、前回、宮中のある北東の方角が塞がった日から数え、今回は、左大臣邸の方角である南西が塞がる三十三日後を待ち続けて、紀伊守邸に方違えに向かわれます。左大臣邸の方角が塞がる前の夕方に急遽、宮中を退出されるように見せかけて、実は途中、二条大路を東に向きを変え紀伊守邸にお出ましになりました。紀伊守はびっくりして、遣水の趣向が面目を施すとはと勘違いも甚だしく、身のすくむ思いで驚喜します。小君には昼間のうちに、
「こんな計画を思い付いた」
と打ち明けられて示し合わせます。明けても暮れてもお傍に置くことを習慣になさいましたので、今夜も何をおいても小君を呼び出され、姉君に手紙を届けさせました。
 女君も、その旨のお手紙を受け取り、一計を案じられて策を弄されたくらいですから私へのご好意が浅いとは考えようもありませんが、だからと言って、求婚に応じ、源氏の君と釣り合わない無様な姿をお見せ申し上げましても、耐え難く、悪い夢を見たと忘れかけた屈辱をもう一度味わうのかと、錯乱状態になり、さてどうしたものか、このままお待ち申し上げるのはいたたまれないので、小君が部屋を出て行ったのを見計らって、女君は、
「源氏の君がすぐ傍にいらっしゃるのでお騒がせしては申し訳ありません。気分が悪いので、どこかで肩や腰を揉ませるのに、少し離れた部屋でと思いまして」
と言って、源氏の君の御座所が設けられた東廂とは反対側の母屋と西の対を繋ぐ渡殿に、中将という例の女房が個室にしているのであるが、身を隠すために逃げ込んでしまいました。
 女君との逢瀬を期待して、従者を早くに寝かし付けてお手紙を差し上げるが、小君は探し回ったが会えない。心当たりを探して訪ね歩いた末に渡殿に足を踏み入れてみたところ、ようやく辿り着きました。小君は子どもじみた振る舞いに呆れ果て、悲しくなって、
「どんなにかがっかりされることでしょう」
と今にも泣き出さんばかりに訴えると、女君は、
「このような悪気は起こしてはなりませぬ。年端もいかない子どもを逢引の手引きに使うとは、断じてしてはならないというのに」
と𠮟りつけて、女君は、
「『気分が悪いので女房を下がらせず、按摩をさせています』と、申し上げなさい。二人の関係を屋敷中の者が訝るでしょう」
と突き放して、しかし内心では、変えたくても変えようのない受領階級に嫁いだ身分でなければ、亡き父の願いがまだ叶えられそうな実家住まいのころの身分のまま、たまのお運びでも待ち続け申し上げるのであれば、なんと幸せなことであったでしょう。わざと源氏の君を想っていない風を装いながらも、身の程知らずも甚だしいとお怒りになるだろうと、自らしたこととは言え胸が痛み、さすが気丈な女君も悩みに悩まれます。兎も角、今となっては言い訳してもどうにもなりませんので、冷淡で嫌な女を演じ切ろうと覚悟を決めました。
 源氏の君は、首尾はどうであろうか、と小君が幼いことに一抹の不安を感じつつも吉報を待ちながら横になられているところに、不首尾の報告を申し上げると、感心するほど稀に見る芯の強さに、源氏の君は、
「それに比べ自分はなんと情けないことよ」
とますますもって女君にご執心のご様子です。しばらくは口もお利きにならず、大きく呻き声を上げ、思い通りにならないものだとお考えです。源氏の君は、小君に和歌を託し、

「帚木の心をしらでその原の道にあやなくまどひぬるかな(帚木のように近づいたかと思うと消えてしまうあなたの本心を知らずに、あなたを求めて帚木が生えるという園原に向かう道にうっかり迷い込んでしまったことです)」

お伝えする術がありません」
と呻かれます。女君も強がってはみたものの一睡もできなかったので、

「数ならぬ伏屋に生ふる名のうさにあるにもあらず消ゆる帚木(取るに足りない粗末な家である伏屋を地名に冠する土地に生まれ、地名の通り卑しい身分が恥ずかしく、居るとも居ないとも姿を見せない園原の帚木のように隠れ住んでいます)」

と返歌を差し上げました。
 返歌を届けた小君は、落胆する源氏の君にひどく同情し、目が冴えてしまい打開策を案じ邸内をうろうろするのを誰かに見咎められるのではないか、と女君は気が気ではありません。
 前回同様、従者は着の身着のままだらしなく簀子敷で寝静まる中、この屋敷で一箇所だけ、まんじりともせず女君の冷淡な仕打ちについて一晩中考え続けられているが、女性としては珍しく中流の受領階級に堕ちたとはいえ上流階級の自尊心が帚木のように本人の姿は消えて見えないが、未だに消えることなくより強固になっているとは、と小憎らしく、このような性格の女性であるからこそ男心を掴んで離さないのだ、と一方では納得されるものの、方や眠れないほど悔しくてならないので、なるようにしかならないと半ば諦めの境地ではいらっしゃるが、きっぱりとお諦めになられるはずもなく、源氏の君は小君に、
「隠れ場所にすぐに案内せよ」
と詰め寄られるが小君は、
「とても厳重にして閉じ籠っていらっしゃり、女房を多勢お傍に置いているようですのでご賢察ください」
と申し上げます。小君としても同情を禁じ得ません。源氏の君は、
「ままよ、お前だけは姉君のように見捨てるでないぞ」
とおっしゃりながら小君をご自分の脇に横になされました。小君にすれば自分同様に年齢が若く、憧れていたその方を間近にして感激し、光栄に思っているので、小君と真逆の冷淡な女君に比べ、遥かにましだとお考えのようです。

2022.10.25 16 空蝉を救い出したい一心の源氏の君は、空蝉の弟の小君を使って策を弄するが、空蝉は身分違いを理由に警戒を緩めない

 このほどは大殿にのみおはします。なほ、いと、かき絶えて、思ふらむことの、いとほしく御心にかかりて、苦しく思しわびて、紀伊守(きのかみ)を召したり。
「かのありし中納言の子は得させてむや。らうたげに見えしを、身近く使ふ人にせむ。上にも我奉らむ」
とのたまへば、
「いとかしこき仰せ言にはべるなり。姉なる人にのたまいみむ」
と申すも、胸つぶれて思せど、
「その姉君は朝臣(あそむ)の弟やもたる」
「さもはべらず。この二年ばかりぞかくてものしはべれど、親のおきてに違へりと思ひ嘆きて、心ゆかぬやうになむ聞きたまふる」
「あはれのことや。よろしく聞こえしひとぞかし。まことによしや」
とのたまへば、
「けしうははべらざるべし。もて離れてうとうとしくはべれば、世のたとひにて睦(むつ)びはべらず」
と申す。
 さて、五六日(いつかむいか)ありてこの子率(ゐ)て参れり。こまやかにをかしとはなけれど、なまめきたるさましてあて人と見えたり。召し入れて、いとなつかしく語らひたまふ。童(わらは)心地にいとめでたくうれしと思ふ。妹(いもうと)の君のこともくはしく問ひたまふ。さるべきことは答(いら)へ聞こえなどして、恥づかしげにしづまりたれば、うち出でにくし。されどいとよく言ひ知らせたまふ。かかることこそはとほの心得るも、思ひの外(ほか)なれど、幼心地(をさなごこち)に深くしもたどらず、御文をもて来たれば、女、あさましきに涙も出できぬ。この子の思ふらむこともはしたなくて、さすがに御文を面隠(おもがく)しにひろげたり。いと多くて、

「見し夢をあふ夜ありやとなげく間に目さへあはでぞころも経にける

寝(ぬ)る夜なければ」
など、目も及ばぬ御書きざまも、霧(き)りふたがりて、心得ぬ宿世うち添へりける身を思ひつづけて、臥したまへり。
 またの日、小君召したれば、参るとて、御返り乞ふ。
「かかる御文見るべき人もなし、と聞こえよ」
とのたまへば、うち笑みて、
「違ふべくものたまはざりしものを、いかがさは申さむ」
と言ふに、心やましく、残りなくのたまはせ知らせてけると思ふに、つらきこと限りなし。
「いで、およすけたることは言はぬぞよき。さば、な参りたまひそ」
とむつかられて、
「召すにはいかでか」
とて、参りぬ。
 紀伊守、すき心に、この継母(ままはは)のありさまをあたらしきものに思ひて、追従(ついそう)しありけば、この子をもてかしづきて、率(ゐ)て歩(あり)く。
 君、召し寄せて、
「昨日待ち暮らししを。なほあひ思ふまじきなめり」
と怨(ゑん)じたまへば、顔うち赤めてゐたり。
「いづら」
とのたまふに、しかじかと申すに、
「言ふかひなことや。あさまし」
とて、またも賜へり。
「あこは知らじな、その伊予の翁(おきな)よりは先に見し人ぞ。されど、頼もしげなく頸(くび)細しとて、ふつつかなる後見(うしろみ)まうけて、かくあなづりたまふなめり。さりとも、あこはわが子にてをあれよ。この頼もし人は行く先短(みじか)かりなむ」
とのたまへば、さもやありけむ、いみじかりけることかな、と思へる、をかしと思す。
 この子をまつはしたまひて、内裏(うち)にも率て参りなどしたまふ。わが御匣殿(みくしげどの)にのたまひて、装束(さうぞく)などもせさせ、まことに親めきてあつかひたまふ。
 御文は常にあり。されど、この子もいと幼し、心よりほかに散りもせば、かろがろしき名さへ取り添へむ身のおぼえを、いとつきなかるべく思へば、めでたきこともわが身からこそと思ひて、うちとけたる御答(いら)へ聞こえず。ほのかなりし御けはひありさまは、げになべてにやはと、思ひ出できこえぬにはあらねど、をかしきさまを見えたてまつりても、何にかはなるべき、など思ひ返すなりけり。
 君は思しおこたる時の間もなく、心苦しくも恋しくも思し出づ。思へりし気色などのいとほしさも、晴るけむ方なく思しわたる。かろがろしく這(は)ひ紛(まぎ)れ立ち寄りたまはむも、人目しげからむ所に、便(びん)なきふるまひやあらはれむ、人のためにもいとほしくと、思しわづらふ。

 紀伊守邸からお戻りになってからは、藤壺の近くにいるための内裏での宿直を控え、空蝉との再会を画策するために左大臣邸に留まっていらっしゃいます。お考えになることはやはり、空蝉との連絡が完全に途絶え、彼女が源氏の君の妻になる気持ちがあるのか、どうしてもお知りになりたくて、気掛かりでならず、連絡方法に悩み、考えあぐねてしまい、紀伊守をお呼びになりました。
「例のそちの屋敷で会った中納言(兼衛門督)殿の子息を貰い受けできまいか。年齢的にも殿上童として務まりそうなので、先ずは手元に置いて身の回りの世話役として仕込んでみよう。陛下にも私から殿上童としてお薦めしよう」
とおっしゃるので紀伊守は、
「願ってもないお申し出を頂戴いたしました。姉に当たる方にお伝えしてみましょう」
と申し上げる間にも胸が締め付けられる思いでいらっしゃいますが、
「その姉君にはそちの異母弟はいるのかね」
と問われますと、
「そのようなことはございません。この二年間というもの伊予介の後妻に収まっていますが、亡き父親の定めた宮仕えの宿願が果たせなかった、と悔やんでおり、子を成すことに抵抗があるのでございましょう」
と答え、
「二重三重に気の毒でならない。なかなかの美人と噂にあった女性である。噂通りの美人か」
とおっしゃるので、
「詳しくは存じません。継子ですから縁遠くしており、世間一般の例に漏れず親戚付き合いはございません」
とお答えします。
 そうこうしているうちに五日か六日後のある日、紀伊守がこの子の手を引いて参上しました。目鼻立ちが特に整っているというのではないが、一人前の男のような気品を漂わせています。お傍に招き入れて、親しみを込めて話しかけられます。子ども心にもとても光栄で満ち足りた気分です。姉君の近況もしつこく質問されます。お答えできることは丁寧にお答え申し上げて、感心するほど堂々としているので、手紙の件を持ち出せません。意を決して姉君との経緯を詳しく説明し言い含められます。こんなことだろうと薄々は感じていましても、意外と素直に子ども心にも深く詮索せずにお手紙を持ち帰ってきたので、姉君は、揃いも揃ってと情けなくて思わず涙が落ちました。弟が考えそうなことを想像すると顔から火が出そうで、それでもやはりお手紙を読んでいる顔を見られないように開封しました。長々と綴られ末尾に、

「見し夢をあふ夜ありやとなげく間に目さへあはでぞころも経にける(あの夜の夢が正夢になって再会できる夜の訪れがあるのだろうか、と涙に暮れている間にあれ以来、目合〈まぐあ〉うことなく日数ばかりが過ぎ去ってゆきます)

『寝る夜なければ(あれ以来、共寝をする夜がないので)』(本歌「恋しきを何につけてか慰めむ夢にも見えず寝る夜なければ(逢いたい気持ちを何で紛らわそう。夢でも逢えない、まだ共寝をしていないので」〈天徳四年三月卅日内裏歌合、33番歌、能宣〉)」
なんて、直視を憚るほど達筆なご筆跡も涙で目が曇って見えず、不本意な現在の境遇が付きまとい、源氏の君の求愛に応えられないわが身の不遇を考えながら眠りに就かれました。
 明くる日、女君の弟の小君をお呼びになったので、参上に際して手紙のお返事を催促します。女君が、
「このようなお手紙を読むに相応しい女性もおりません、と申し上げなさい」
とおっしゃるので、小君は含み笑いをして、
「『見るべき人もなし』とおっしゃられても姉上以外に人違いするような言い方はなさいませんでしたので、なんとご報告申し上げましょう」
と言い返すので、女君は癪に障ると同時に、一部始終を打ち明けられ教えてしまわれたのだと考えるだけでも耐え難い屈辱です。そこで女君は、
「いいですか、ませた言い方はするものではありません。ならば参上せぬがよい」
と機嫌を損なわれて、小君は、
「お呼びいただき参上しないわけにはまいりません」
と言い置き参上した。
 紀伊守は火遊びのつもりで、この若い継母の存在を多勢いる女のひとりくらいに考え、ご機嫌取りに余念がなく、弟のこの子の面倒を見がてら連れまわります。
 源氏の君は小君を近くに呼び寄せて、
「昨日のうちに返事がいただけるものと思い待ち暮らしたではないか。まだお互い理解し合えるまでになってないな」
と不満を口にされるので、顔をさっと赤らめて居ずまいを正しています。源氏の君が、
「手紙はどうした」
と、催促されるのに応えて、かくかくしかじかと申し上げるとすかさず、
「頼み甲斐のないことだ。呆れてものが言えない」
とおっしゃりながら、再度お手紙を渡されます。源氏の君が、
「お前は知るまいが、その伊予の爺さんより先に契ったのが私だ。それなのに生活力がなく半人前だというので、財力だけが取り柄の庇護者を盾にして、このように返歌もないまま見下していらっしゃるのです。庇護者は代わってしまったが以前のように、お前は私の息子のままでいるがよい。姉上が信頼を置くご老人は先行き長くはあるまいて」
と作り話をされると、「なるほどそういうことか、ただ事ではないな」と疑いもせず、源氏の君は内心愉快でなりません。
 小君をいつもお傍に置かれ、宮中にも伴って参上したりもなさいます。源氏の君付きの御匣殿にお命じになり、殿上童としての衣装一式を新調させ、お言葉通り真の父親のようにして面倒見られます。
 源氏の君からのお手紙は、小君が帰宅する際に必ずあります。小君が肌身離さず持参するとはいえ、この子もまだまだ幼いし、万が一にも他人の手に渡るようなことがあれば、没落貴族の汚名に加え浮気女の評判が立ち恥の上塗りになる自覚があり、身分違いも甚だしいと考えると、源氏の君の求愛であったとしても自分自身をまず律しなければならないと決意して、求愛を受け入れる返事もお出しになりません。あの夜、薄明りの中でぼんやりと感じた雰囲気や感触は、噂通り並の貴公子ではない、と思い出してはお慕い申し上げるが、どんなに着飾ってお目見え申し上げても、身分の差は如何ともし難い、などと自分を責めてばかりです。
 源氏の君は、女君をひと時もお忘れすることなく想いだけが募るので、胸が張り裂けそうになり、あの逢瀬をもう一度と思い返されてばかりです。懸命に源氏の君を拒絶していたその態度が逆に健気に映るのも、忘れようがないほど悩み続けられている原因です。迂闊に夜陰に紛れてお忍びされても人の出入りが頻繁な屋敷で、不埒な行いがもしばれるようならば、女君を救い出すためであっても迷惑をかける、とあれこれ悩んでいらっしゃいます。

2022.10.19 15 階級社会と一夫多妻制度の狭間に立たされた空蝉が女性としての矜持を保ち、家庭と一族郎党を守るためには源氏の君の求婚を拒否せざるを得ない

 君は、とけても寝られたまはず。いたづら臥しと思(おぼ)さるるに御目さめて、この北の障子(さうじ)のあなたに人のけはひするを、こなたやかく言ふ人の隠れたる方ならむ。あはれやと、御心とどめて、やをら起きて立ち聞きたまへば、ありつる子の声にて、
「ものけたまはる。いづくにおはしますぞ」
と、かれたる声のをかしきにて言へば、
「ここにぞ臥したる。客人(まらうと)は寝たまひぬるか。いかに近からむと思ひつるを、されどけ遠かりけり」
と言ふ。寝たりける声のしどけなき、いとよく似通ひたれば、妹(いもうと)と聞きたまひつ。
「廂(ひさし)にぞ大殿籠(おほとのごも)りぬる。音に聞きつる御ありさまを見たてまつりつる。げにこそめでたかりけれ」
と、みそかに言ふ。
「昼ならましかば、のぞきて見たてまつりてまし」
と、ねぶたげに言ひて、顔ひき入れつる声す。
「まろは端(はし)に寝はべらむ。あな暗」
とて、灯かかげなどすべし。女君はただこの障子口筋違(すぢか)ひたるほどにぞ臥したるべき。
「中将の君は、いづくにぞ。人げ遠き心地してもの恐ろし」
と言ふなれば、長押(なげし)の下(しも)に人々臥して答(いら)へすなり。
「下(しも)に湯におりて、『ただ今参らむ』とはべり」
と言ふ。
 みな静まりたるけはひなれば、掛(か)け金(がね)をこころみに引き開けたまへれば、あなたよりは鎖(さ)さざりけり。几帳を障子口には立てて、灯(ひ)はほの暗きに見たまへば、唐櫃(からびつ)だつ物どもを置きたれば、乱りがはしき中を分け入りたまひて、けはひしつる所に入りたまへれば、ただ独(ひと)りいとささやかにて臥したり。なまわづらはしけれど、上なる衣(きぬ)おしやるまで、求めつる人と思へり。
「中将召しつればなむ。人知れぬ思ひのしるしある心地して」
とのたまふを、ともかくも思ひ分かれず、物におそはるる心地して、「や」とおびゆれど、顔に衣のさはりて、音にも立てず。
「うちつけに、深からぬ心のほどと見たまふらむ、ことわりなれど、年ごろ思ひわたる心の中(うち)も聞こえ知らせむとてなむ。かかるをりを待ち出でたるも、さらに浅くはあらじと思ひなしたまへ」
と、いとやはらかにのたまひて、鬼神(おにがみ)も荒だつまじきけはひならば、はしたなく、「ここに人」とも、えののしらず。心地はたわびしく、あるまじきことと思へば、あさましく、
「人違(たが)へにこそははべるめれ」
と言ふも、息の下なり。消えまどへる気色いと心苦しくらうたげなれば、をかしと見たまひて、
「違(たが)ふべくもあらぬ、心のしるべを。思はずにもおぼめいたまふかな。すきがましきさまには、よに見えたてまつらじ。思ふことすこし聞こゆべきぞ」
とて、いと小(ちひ)さやかなれば、かき抱(いだ)きて障子のもとに出でたまふにぞ、求めつる中将だつ人来あひたる。
「やや」
とのたまふにあやしくて、探り寄りたるにぞ、いみじく匂(にほ)ひ満ちて、顔にもくゆりかかる心地するに、思ひよりぬ。「あさましう、こはいかなることぞ」と、思ひまどはるれど、聞こえむ方なし。なみなみの人ならばこそ、荒(あら)らかにも引きかなぐらめ、それだに人のあまた知らむはいかがかあらむ。心も騒ぎて慕(した)ひ来たれど、どうもなくて、奥なる御座(おまし)に入りたまひぬ。障子を引き立てて、
「暁に御迎へにものせよ」
とのたまへば、女はこの人の思ふらむことさへ死ぬばかりわりなきに、流るるまで汗になりて、いとなやましげなる、いとほしけれど、例のいづこより取う出(で)たまふ言の葉にかあらむ、あはれ知るばかり情々しくのたまひ尽くすべかめれど、なほいとあさましきに、
「現(うつつ)ともおぼえずこそ。数ならぬ身ながらも、思(おぼ)し下(くだ)しける御心ばへのほどもいかが浅くは思うたまへざらむ。いとかやうなる際(きは)は際とこそはべなれ」
とて、かくおし立ちたまへるを深く情なくうしと思ひ入りたるさまも、げにいとほしく心恥づかしきけはひなれば、
「その際際をまだ知らぬ初事(うひごと)ぞや。なかなかおしなべたるつらに思ひなしたまへるなむ、うたてありける。おのづから聞きたまふやうもあらむ。あながちなるすき心はさらにならはぬを。さるべきにや、げにかくあはめられたてまつるもことわりなる心まどひを、みづからもあやしきまでなむ」
など、まめだちてよろづにのたまへど、いとたぐひなき御ありさまの、いよいようちとけきこえむことわびしければ、すくよかに心づきなしとは見えたてまつるとも、さる方の言ふかひなきにて過(す)ぐしてなむと思ひて、つれなくのみもてなしたり。人がらのたをやぎたるに、強き心をしひて加へたれば、なよ竹の心地してさすがに折るべくもあらず。
 まことに心やましくて、あながちなる御心ばへを、言ふかたなしと思ひて、泣くさまなどいとあはれなり。心苦しくはあれど、見ざらましかば口惜しからましと思す。慰めがたくうしと思へれば、
「なそかくうとましきものにしも思すべき。おぼえなきさまなるしもこそ、契りあるとは思ひたまはめ。むげに世を思ひ知らぬやうにおぼほれたまふなむ、いとつらき」
と恨みられて、
「いとかくうき身のほどの定まらぬ、ありしながらの身にて、かかる御心ばへを見ましかば、あるまじきわが頼みにて、見直したまふ後瀬(のちせ)をも思ひたまへ慰めましを、いとかう仮(かり)なるうき寝のほど思ひはべるに、たぐひなく思うたまへまどはるるなり。よし、今は見きとなかけそ」
とて、思へるさまげにいとことわりなり。おろかならず契り慰めたまふこと多かるべし。
 鳥も鳴きぬ。人々起き出でて、
「いといぎたなりける夜かな」
「御車引き出でよ」
など言ふなり。守も出で来て、女などの、
「御方違へこそ、夜深く急がせたまふべきかは」
など言ふもあり。君は、またかやうのついであらむこともいとかたく、さしはてはいかでか、御文なども通はむことの、いとわりなきを思すに、いと胸いたし。奥の中将も出でて、いと苦しがれば、ゆるしたまひても、また引きとどめたまひつつ、
「いかでか聞こゆべき。世に知らぬ御心のつらさもあはれも、浅からぬ世の思ひ出(いで)は、さまざまめづらかなるべき例(ためし)かな」
とて、うち泣きたまふ気色、いとなまめきたり。鳥もしばし鳴くに、心あわたたしくて、

つれなきを恨みもはてぬしののめにとりあへぬまでおどろかすらむ

女、身のありさまを思ふに、いとつきなくまばゆき心地して、めでたき御もてなしも何ともおぼえず、常はいとすくすくしく心づきなしと思ひあなづる伊予の方のみ思ひやられて、夢にや見ゆらむとそら恐ろしくつつまし。

身のうさを嘆くにあかで明くる夜はとりかさねてぞねもなかれける

ことと明(あか)くなれば、障子口まで送りたまふ。内も外(と)も人騒がしければ、引き立てて別れたまふほど、心細く、隔つる関と見えたり。御直衣(なほし)など着たまひて、南の高欄(かうらん)にしばしうちながめたまふ。西面(おもて)の格子(かうし)そそき上げて、人々のぞくべかめり。簀子の中のほどに立てたる小障子の上(かみ)よりほのかに見えたまへる御ありさまを、身にしむばかり思へるすき心どもあめり。
 月は有明にて光おさまれるものから、影さやかに見えて、なかなかをかしきあけぼのなり。何心なき空のけしきも、ただ見る人から、艶(えん)にもすごくも見ゆるなりけり。人知れぬ御心には、いと胸いたく、言伝(ことつ)てやらむよすがだになきをと、かへりみがちにて出でたまひぬ。
 殿に帰りたまひても、とみにもまどろまれたまはず。また、あい見るべき方なきを、まして、かの人の思ふらむ心の中(うち)いかならむと心苦しく思ひやりたまふ。すぐれたることはなけれど、めやすくもてつけてもありつる中の品かな、隈なく見あつめたる人の言ひしことは、げにと思しあはせられけり。

 源氏の君は悶々としてとてもご就寝できそうにありません。期待外れのひとり寝がご不満で却って目が冴えてしまわれ、寝所である東廂に接する北廂には母屋との間に障子があり、この北廂の障子の向こう側に女性がいる様子なので、ここが紀伊守の言っていた客人が身を潜めている部屋なのだろう。女性の身の上に同情を寄せられ、母桐壺更衣を救済するようなお気持ちでこの女性を苦海から救出するために妻に迎えようと決意され、むっくりと起き上がって立ち聞きされると、宴会の席で見かけた少年の声がして、
「お休みのところ失礼します。どこにいらっしゃいますか」
と上ずったよく通る声で尋ねるので、姉の女性(空蝉)は、
「ここよ、横になっているわ。お客様はお休みになられましたか。すぐ隣にお休みなのかと不安でしたが、案じていたよりも離れていたのね」
と答えます。半分眠っているような会話で要領を得ず、声音がとてもよく似ているので少年の姉に間違いないと聞き耳を立てられました。少年が、
「東廂の間でご就寝されました。噂で耳にしていたお姿を拝見しました。噂に違わずご立派でございました」
と小声で伝えます。姉の女性が、
「今が昼間でしたら、こっそり覗き見して拝見できるのに」
と眠たそうに返すと、夜具にしている表着(うわぎ)を顔まで引き上げる衣擦れの音がします。もう寝てしまうのか、残念、目を覚まして会話を続けないものか、と期待が外れ落胆されます。少年が、
「私は障子口のある北廂の隅で横になりましょう。それにしても暗い」
と言いながら灯火を明るくしているようです。目当ての女性はこの障子口からは対角線上の母屋の南西の隅で横になっているようです。その女性が、
「中将の君はどこなの。人のいる気配が感じられなくてとても怖いわ」
と言うのが聞こえるので、きっとお付きの女房たちは母屋の長押から一段下がった女君に近い南廂に休みながらやり取りしているようです。女房が、
「離れの湯屋に下りて、『すぐに戻ります』とのことでございます」
と答えます。
 全員寝静まった様子なので、北廂に出て障子の掛け金に手を掛けて試しに引き開けなさると、母屋側からは都合よく掛け金が外れていました。几帳を障子口に立てて目隠しにし、灯火の薄暗がりで目を凝らされますと、唐櫃のような引っ越しの道具入れをあっちこっちに置いたままで、乱雑に散らかった中を手探りでお進みなさり、女性のいそうな場所に辿り着かれますと、たったひとりでこぢんまりと寝ていました。なんだか人の気配がしたものの、夜具として掛けていた表衣を取り払われるまで、待っていた中将の君と勘違いしていました。
「中将の君をお呼びになったからです。声を掛けていただき陰ながらお慕いしていた甲斐があった気分です」
とおっしゃるのを、何が起こっているのか理解できず、物の怪に憑りつかれたと錯覚して、「あっ」と叫んだが、顔を覆った表衣が邪魔をして声になりません。源氏の君が、
「手紙のやり取りもなしにこう一方的では、愛情の欠片もないとお考えになるのは無理もありませんが、何年もの間お慕い続けてきた胸の内を告白し、分かっていただきたい一心です。このような機会を待ち続けてやっと訪れたのも、あなたへの愛情が決して浅くはないからだとご納得ください」
と、とてもやさしい口調でおっしゃり、鬼神であっても手荒な真似ができそうにない穏やかな佇まいなので、取り乱して、「ここに男が」と、とても大声を出して騒ぐことができません。気持ちは不安でならないが同時に、自分には起こり得ないと考えると驚きの方が先に立ち、気を取り直して、
「人違いではございませんか」
と言おうとしても、か細く言葉になりません。意識が朦朧として気を失いかけているのがとても放っては置けず、守ってやりたい父性本能がくすぐられ、ますます興味が惹かれましたので、
「間違えるはずもありません、あなたへの一途な気持ちが導きとなったのですから。心外なことにお疑いになるのですね。行きずりの恋では決してございません。妻に迎えたいという本心の一端でもお耳に入れたいだけでございます」
と言うや、とても小柄なので、ひょいと抱き上げて障子のところまで辿り着かれると、探していた中将の君らしき女房と鉢合わせしました。
「しまった」
と思わず声に出されたのが不審者そのもので、真相を知るために身体を近付けるか近づけない内に、鼻腔いっぱいに源氏の君が焚きしめた薫香が満ち、顔面にも薫香の煙が降り注ぐ気がして、事情が呑み込めました。「驚きだわ、一体どういうこと」と面食らっていますが、抗議のしようがございません。受領階級程度の男であればこそ力ずくでも奪い返せようが、たとえ奪い返せたとしても騒ぎになって紀伊守家始め伊予介家の関係者に知れ渡ったら収拾がつきません。胸騒ぎがして離れずに後を追ってはみたものの、源氏の君は動揺することなく、東廂の奥まった寝所にお入りになってしまわれました。母屋を出る際に中将の君を残して障子をピシャリと閉めて、源氏の君が、
「夜明け前にお迎えに参ぜよ」
とおっしゃると、抱きかかえられたままの女君は、中将の君が何を想像するか、考えただけでも死んでしまいたいほどの屈辱なので、流れるような冷や汗で全身が濡れ、すっかり元気をなくしているのが気の毒ではあるけれども、毎度お馴染みのどのお口からついて出る口説き文句でございましょう、女心の弱点を突かんばかりに情感たっぷりで甘言の限りを尽くされているのでしょうが、やはりショックが大きく、女君は、
「全く実感がございません。受領階級程度の身分ではあっても、妻に迎えたいとおっしゃるご本心をどうして行きずりの恋とはお疑い申しましょうか。『いとやむごとなき際にはあらぬ(決して高貴ではない受領階級程度の身分)』(桐壺巻冒頭)の女は、飽くまでもその程度でございますので」
と申し上げて、このように権力を笠に着て女を自由になさるのを女としては、ひどく屈辱的で自己嫌悪に苛まれているのも、なるほどよく理解できるし、堂々とした態度に源氏の君は、
「あなたの言う受領階級の身分の女性をまだ妻に迎えたことがなく今回が初めてです。妻に迎えたいというのが口先だけで、世間一般の男と何ら変わらないとお考えでしたら本意ではありません。私の妻選びである女性遍歴も噂で耳にされているかもしれません。地位を利用して迫り、結局うち捨てるような付き合い方は一度もしたことはありませんのに。そうでしょう、現にこのように軽蔑されるのも厭わない無茶な振る舞いをどうしてしてしまったのだろう、と私自身理解に苦しんでいます」
などと真剣に口説かれますが、女性にしてみればこれ以上望めないご身分とお家柄が災いし、いざ身体をお委ねしようという段になってみじめに思え、堅物で融通が利かない女と思われましょうとも、色恋のことに疎く口説き甲斐がない女を演じてこの危難を逃れようと考え、よそよそしくして無視し続けました。性格の柔軟さに加え、芯の強さが備わり、その強さを発揮しましたから、今にも折れそうで決して折れないしなやかさがあり、源氏の君の誘いをかわしてどうしても手折ることができません。
 それでも源氏の君は執拗に迫り、女性にすれば不快そのもの、力尽くでもとお考えですので、言葉で訴えても無駄だと判断し、涙ながらに拒む姿を真に受けた源氏の君にすればいじらしくてなりません。可哀そうではあるが、契りを交わさなかったならば後悔しただろうと思い返されています。関係を結んだ今、気持ちを落ち着かせようにも落ち込んでばかり、思い通りにならないので、源氏の君は、
「なぜ契った後まで汚いものにでも触れるように拒絶されるのですか。予期しない出会いであればあるほど、前世からの宿縁であるとお考えください。いかにも生娘のように泣いてばかりいらっしゃるのが男としてやり切れないのです」
と女君の態度に業を煮やされ、女君は、
「今のように地方の受領階級の妻となる以前、後見する父が健在のころの私であれば、今回のように求愛いただいたのでしたら、到底あり得ない自分勝手な期待、それは多勢いらっしゃる妻のひとりに加えていただき、いずれ私に振り向いてくださるであろう『後瀬の山』の『後(将来)』のことだけをずっと考え続け申し上げ、安らぎを得られましょうに、『いとかくうき身のほど(地方の受領階級の妻)』に加え『いとかう仮なるうき寝(この度の紀伊守邸での滞在)』という条件を勘案申し上げますと、例外中の例外で突発事故のように考えざるを得ませんのでどう対処すべきか思案に暮れております。そうよ、古歌『それをだに思ふこととてわが宿を見きとな言ひそ人の聞かくに(それだけは私を愛している証として〈私の家を知っていますよ〉とは絶対に口外しないでください、どこで誰が聞いているとも限らないので)』(『大和物語』二十六段)にありましたわ、この際『見き(関係を持った)』とは絶対に口外しないでください、受領階級の身で奥様に知れれば左大臣の迫害を受けかねませんので」
と念を押し、女君の考えはなるほどもっともでございます。源氏の君は衝動的に関係を結ぶことをせず、将来をお約束して安心をお与えすることがほとんどと言います。
 鶏も鳴き出しました。従者が起き出してきて、
「すっかりご馳走になりそのまま寝込んでしまった一夜であった」
「君のお車をこちらに回しなさい」
などと言い合っているようだ。紀伊守も源氏の君のもとにやって来て、女房たちが、
「御方違に限って真っ暗な中、出立をお急ぎになられるのかしら」
なんて言い出す女房も中にはいます。源氏の君は、このような機会はもう二度とないだろうし、用もないのにわざわざ訪ねることもできず、お手紙のやり取りをしようにもとてもできそうにないとお考えになり、たいへん胸を痛めておいでです。母屋に控えていた中将の君もやって来て、困り果てているので、お戻りを許可されるもまたお引止めなさりながら、
「どのようにしてお便りを差し上げましょう。これまで体験したことのない、あなたと逢えない辛さもあなたへの思慕の情も、これらのあなたと契りを交わした昨夜の記憶は、偶然の出会い、あなたの抵抗と矜持、身分違いの壁等々と相俟って、貴重な体験でした」
とおっしゃりながら涙を流されるお姿は、男の色気を漂わせています。鶏がうるさく鳴くのに合わせ、気持ちまで追い立てられ、

つれなきを恨みもはてぬしののめにとりあへぬまでおどろかすらむ(冷淡なあなたを恨んでも恨み切れない夜明け前というのに、鶏は心の整理がつかぬままになぜ追い立てようとするのでしょう)

女君は、自身の身分を考えれば考えるほど、いかにも身分不相応で源氏の君の高貴さがまばゆく映り、ありがたいはずのお相手をしていただきながら全く感動がなく、反対に普段であれば真面目一方で面白みがなく興味も関心もないと見下している夫の伊予介のことが気掛かりで、この思いが通じてしまい今ごろ昨夜の一件が夢枕に立って露見しているのではないかと背筋が凍り、身が縮む思いです。

身のうさを嘆くにあかで明くる夜はとりかせねてぞなもなかれける(身分違いを恨んでも恨み飽きることがないのに、お構いなく明ける夜は、鶏の鳴き声と一緒になって声に出して泣けてきました)

と返す間もなく、夜が明けたので母屋の障子口まで付き添ってお送りされます。母屋の中では女房たちが起き出し、その外では従者が帰り支度を急いでいるので、障子を閉めてお別れになる瞬間、もう二度と逢えないような気がして、古歌に引く「隔てる関」ではないが越すに越せない関所に障子が見えました。御直衣に着替えられて、南廂の簀子敷に設けられた高欄のところまで出て、庭園をゆっくりと見まわしておられます。西廂の南側の格子を真っ先に上げて、女房たちが源氏の君の立ち姿を覗き見しているようです。簀子敷の中央に立てた目隠しの衝立の上からわずかにお見受けするお姿を目に焼き付けておきたいほどに興味津々です。
 月は月末近い有明で、朝日で次第に月明かりが消え、白い三日月がはっきり眺められるほど雲一つなく、満月にも勝る暁闇です。何の変哲もない空の景色であっても眺める側の心境次第で同じ真っ赤な朝焼けが美しくも見え、血のように恐ろしくも見えるものです。女君と約束したように他人(ひと)には絶対に知られてはならない秘密を抱えたご心境では、この美しい空模様が一転して絶望の色に変わり、胸がギュッと締め付けられ、連絡を取り合う手立てが全くないではないか、と後ろ髪を引かれるようにして出立なさいました。
 左大臣邸に帰り着かれても、女君のことを想うとすぐにはお眠りになれません。一方で、再会の方法がないのを、それにもましてあの女君が考えそうな心中を察するにつけ、仮に連絡が取れたとしても拒絶されるであろうから、どうしたものかと連絡方法に悩み、次に懐柔方法に思いを致されています。特に優れている女性というのではないが、正妻の葵上や舅の左大臣のように気兼ねすることなく、自由気ままに振舞うことのできる受領階級ならではの典型的な中流階級であり、女性経験豊かであらゆるタイプの女性と付き合い、知識豊富な左馬頭の言っていた知見の数々は、「なるほどもっともなことよ」とご自分の体験で裏付けられています。

2022.10.08 14 母桐壺更衣と同じ境遇の空蝉に興味を引かれる。空蝉は桐壺更衣を反面教師として入内を避け、経済的安定を最優先に老練な受領階級に嫁して一族郎党を養う

 暗くなるほどに、
「今宵、中神(なかがみ)、内裏(うち)よりは塞(ふた)がりてはべりけり」
と聞こゆ。
「さかし。例は忌みたまふ方なりけり。二条院にも同じ筋にて、いづくにか違へむ。いと悩ましきに」
とて、大殿籠れり。
「いとあしき事なり」
と、これかれ聞こゆ。
「紀伊守(きのかみ)にて親しく仕うまつる人の、中川のわたりなる家なむ、このごろ水塞(せ)き入れて、涼しき蔭(かげ)にはべる」
と聞こゆ。
「いとよかなり。悩ましきに、牛ながら引き入れつべからむ所を」
と、のたまふ。忍び忍びの御方違(かたたが)へ所はあまたありぬべけれど、久しくほど経て渡りたまへるに、方塞(かたふた)げてひき違(たが)へ外(ほか)ざまへと思さむはいとほしきなるべし。
 紀伊守に仰せ言賜へば、うけたまはりながら、退(しりぞ)きて、
「伊予守朝臣(いよのかみあそん)の家につつしむことはべりて、女房なむまかり移れるころにて、狭(せば)き所にはべれば、なめげなることやはべらむ」
と下に嘆くを聞きたまひて、
「その人近からむなむうれしかるべき。女遠き旅寝はもの恐ろしきここちすべきを。ただその几帳の背後(うしろ)に」
とのたまへば、
「げに、よろしき御座(おまし)所にも」
とて、人走らせやる。いと忍びて、ことさらにことごとしからぬ所をと、急ぎ出でたまへば、大臣(おとど)にも聞こえたまはず、御供にも睦(むつ)ましき限りしておはしましぬ。
「にはかに」
とわぶれど、人も聞き入れず。寝殿の東面(ひむがしおもて)払(はら)ひあけさせて、かりそめの御しつらひしたり。水の心ばへなど、さる方にをかしくしなしたり。田舎家(ゐなかいへ)だつ柴垣して、前栽(せんざい)など心とめて植ゑたり。風涼しくて、そこはかとなき虫の声々聞こえ、蛍しげく飛びまがひて、をかしきほどなり。人々渡殿(わたどの)より出でたる泉にのぞきゐて、酒のむ。あるじも肴(さかな)求むと、こゆるぎのいそぎ歩(あり)くほど、君はのどやかにながめたまひて、かの中の品にとり出でて言ひし、このなみならむかしと思し出づ。
 思ひあがれる気色に、聞きおきたまへるむすめなれば、ゆかしくて、耳にとどめたまへるに、この西面(にしおもて)にぞ、人のけはひする。衣(きぬ)の音なひはらはらとして、若き声ども憎からず。さすがに忍びて笑ひなどするけはひ、ことさらびたり。格子(かうし)を上げたりけれど、守(かみ)、「心なし」とむつかりて、下ろしつれば、灯(ひ)ともしたる透影(すきかげ)、障子(さうじ)の上より漏りたるに、やをら寄りたまひて、見ゆやと思(おぼ)せど、隙(ひま)もなければ、しばし聞きたまふに、この近き母屋(もや)に集(つど)ひゐたるなるべし、うちささめき言ふことどもを聞きたまへば、わが御上(うへ)なるべし。
「いといたうまめだちて、まだきにやむごとなきよすが定まりたまへるこそ、さうざうしかむめれ」
「されど、さるべき隈(くま)にはよくこそ隠れ歩(あり)きたまふなれ」
など言ふにも、思すことのみ心にかかりたまへば、まづ胸つぶれて、かやうのついでにも、人の言ひ漏らさむを聞きつけたらむ時など、おぼえたまふ。
 ことなることなければ、聞きさしたまひつ。式部卿宮の姫君に、朝顔奉りたまひしうたなどを、すこし頬(ほほ)ゆがめて語るも聞こゆ。くつろぎがましく歌誦(ず)じがちにもあるかな、なほ見劣りはしなむかしと、思す。
 守出で来て、燈籠(とうろ)かけ添へ、灯(ひ)あかくかかげなどして、御くだものばかりまゐれり。
「とばり帳もいかにぞは。さる方の心もなくては、めざましきあるじならむ」
とのたまへば、
「何よけむともえうけたまはらず」
とかしこまりてさぶらふ。端(はし)つ方(かた)の御座(おまし)に、仮(かり)なるやうにて大殿籠(おほとのごも)れば、人々も静まりぬ。
 あるじの子どもをかしげにてあり。童(わらは)なる、殿上のほどに御覧じなれたるもあり、伊予介(いよのすけ)の子もあり。あまたある中に、いとけはひあてはかにて十二三ばかりなるもあり。
「いづれかいづれ」など問ひたまふに、
「これは故衛門督(ゑもんのかみ)の末の子にて、いと愛(かな)しくしはべりけるを、幼きほどに後れはべりて、姉なる人のよすがに、かくてはべるなり。才(ざえ)などもつきはべりぬべく、けしうははべらぬを、殿上なども思うたまへかけながら、すがすがしうはえ交(まじ)らひはべらざめる」
と申す。
「あはれのことや。この姉君や、まうとの後の親」
「さなむはべる」
と申すに、
「似げなき親をもまうけたりけるかな。上にも聞こしめしおきて、『宮仕に出だし立てむと漏らし奏せし、いかになりにけむ』と、いつぞやものたまはせし。世こそ定めなきものなれ」
と、いとおよすけのたまふ。
「不意にかくて、ものしはべるなり。世の中といふもの、さのみこそ、今も昔も定まりたることはべらね。中についても、女の宿世はいと浮(うか)びたるなむあはれにはべる」
なむど聞こえさす。
「伊予介かしづくや。君と思ふらむな」
「いかがは。私の主(しゆう)とこそは思ひてはべるめるを、すきずきしき事と、なにがしよりはじめて、承(う)け引きはべらずなむ」
と申す。
「さりとも、まうとたちのつきづきしく今めきたらむに、おろしたてむやは。かの介はいとよしありて、気色ばめるをや」
など、物語したまひて、
「いづ方にぞ」
「みな下屋(しもや)におろしはべりぬるを、えやまかり下(お)りあへざらむ」
と聞こゆ。
 酔(ゑ)ひすすみて、みな人々簀子に臥(ふ)しつつ、静まりぬ。

 日が暮れようとする頃になって左大臣邸の執事が源氏の君に、
「今夜は天一神の中神が北西の方角に留まり、宮中の方角は塞がっておりました」
と申し上げます。
「よくぞ言ってくれた。いつもであれば陛下と共に宮中で物忌なさる方角であった。自邸の二条院も同じ方角であるから、方塞がりの六日間どこに方違えしよう。徹夜明けで疲れているこんな時に限って」
と言って横になられてしまいました。
「方違えがございますのにお休みになられては困ります」
と、次々と申し上げます。そこで、
「紀伊守で当家と関係が深く、ここにお仕えしております者で、宮中からは南東の方角にある中川(紫式部邸跡と伝えられている蘆山寺周辺)の邸宅が正に、つい最近その中川(大内裏東側を南行し、二条通りで東に折れ鴨川に合流)の水を引き入れて涼が取れる格好の場所でございます」
と申し上げます。源氏の君が、
「いいじゃないか。疲れているので牛車のまま、正門で下車することなく寝殿に接車できる気の置けない屋敷にしてくれ」
とおっしゃいます。正妻の葵上に隠れて通われ、方違えもできる女性宅はたくさんございましょうが、長らく留守にしていてお帰りになられたのに、方違えであっても左大臣の子作りに寄せる期待を裏切り、今ごろは他所の女性の元へ、とがっかりされるのは気の毒でとてもできません。
 紀伊守を呼んでお考えを伝えると承諾するものの、源氏の君の前を下がると、
「父の伊予守朝臣家では一族郎党を伴って伊予国に赴任しており、残された女たち一行がやってきて仮住まいの準備をしている最中で、もともと狭苦しい屋敷でございまして、ご無礼の段がございましょう」
と左大臣家の者に泣き言をいうのを耳になさり、
「今申した女性が傍に居てくれるのが願ってもないこと。守り神の女性がいない他人の家での慣れない一人寝は、魔物に魅入られそうなもの凄い恐怖を感じるものだ。だから来客の女性と几帳を挟んだ背中合わせに寝所を」
とおっしゃるので、源氏の君の配下は、
「ごもっとも、女どものお陰で少しはましなご滞在になりましょう」
と言うや使いの者を紀伊守邸に急行させます。葵上に気付かれないよう、これから向かうのは特別に身なりやらなにやら準備万端整える必要もない臣下の邸であり、早さと隠密性を最優先に身軽なまま出発されるので、左大臣にことわりの一言も申し上げる暇もなく、お供周りも身近に仕える者だけにして移られました。
 先に到着していた紀伊守は、
「こんなに早く」
と困惑の体であるが、源氏の君の従者は誰も制止を聞こうとしません。母屋である寝殿の東側の廂の間を片付けて提供させ、仮宿として家具調度の室礼を整えられます。東廂の前を流れる遣水の造作に、受領階級なりに精一杯工夫を凝らしています。田舎の鄙びた家にあるような柴垣で囲い、遣水の水辺には初夏に相応しい草木や花卉を移植してあります。水を渡る風が涼しく、あちこちの草陰で虫の鳴き声がしており、源氏蛍(『枕草子』「春は、あけぼの」の段で「蛍のおほく飛びちがひたる」の「蛍」は源氏蛍、続く「ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行く」蛍は平家蛍であろう)が乱舞し、いつまでも見飽きません。供人は寝殿と東の対を繋ぐ懸け橋である渡殿の上から身を乗り出し、遣水に灌いでいる湧き水を覗き込みながら席に着き、盃を傾けています。この家の主の紀伊守と言えば、『催馬楽』「風俗歌」の「たまだれのをがめをなかに据ゑて、あるじはもや、さかなまぎに、さかなとりに、こゆるぎのいその、わかめかりあげに」(「玉垂」)そのまま、酒肴に不足はないかと、酔って身体を揺らしながらせわしく来客の間を見て回っているのを、源氏の君は左大臣家の堅苦しさから解放されて、ゆったりとした気分で見渡しなさると、昨夜の議論で中品の例として言及していたのは、この程度のどこにでもある家柄のことだろう、と振り返られています。
 志操を頑なに守り通している、と噂でお耳になさり気になっている娘なので、様子が知りたくて聞き耳を立てていらっしゃると、どうやらこの東廂に西隣する母屋に女性のいる気配があります。衣擦れの音がさやさやとして、若やいだ女性たちの話し声がするのもよいものです。源氏の君に遠慮して声を押し殺して笑ったりしている様子がこちらを意識する余り不自然です。廂の間の格子を上げて篝火で明り取りをしていたところ紀伊守が、
「不用心だ」
と腹を立て、下してしまったので、逆に母屋で灯した明かりが衝立や家具の隙間から、あるいは几帳や御簾を透かして漏れており、襖障子の隙間からも漏れているので、そっと明かりの方に近づいて母屋内を覗こうと試みられましたが、何重にも囲ってあって全く隙間がないので、そのまま聞き耳を立てていらっしゃいますと、源氏の君のお部屋である廂の間のすぐ西隣の母屋に集まって寛いでいるらしく、ひそひそと小声で話すひとこと一言を盗み聞きなさると、源氏の君ご自身の話題のようです。
「女性に対して誠心誠意尽くし、ご元服早々に政界の実力者の娘で年上の葵上と結婚されたのがさぞかしご不自由なことでございましょう」
「正妻がおられながら妻に相応しい女性と見れば労を惜しまず忍んで通われているようですよ」
なんて噂されてもただひとりの想い人に心を独占され、考えただけでも胸が張り裂けそうになり、このような女性同士の他愛もない噂話で藤壺との関係を漏れ聞くような場面を思わず想像されます。
 若い女性同士の話題と言えば男のことと相場は決まっており、それと何ら変わらないので盗み聞きを途中でお止めになりました。源氏の君の話題から別の男に移り、陛下の弟君である式部卿宮の姫君に懸想して、恋文に朝顔を添えて差し上げられた歌の内容について、その男と関係があると見え、顔を引きつらせるようにして苦々しく非難しているのも聞こえます。暇つぶしの余興程度にその歌をふざけて口ずさんでいるようで、主人であり同席している空蝉の評判を落とすのではないかと心配されます。
 紀伊守がわざわざやって来て軒の燈籠を追加し、灯火が明るくなるように灯心を伸ばし終わると、つまみ程度の菓子といった夜食をお進めしました。源氏の君は『催馬楽』の「我家(わいへ)」を引き合いに出し、
「御簾や几帳で飾り立てた中にこの家の主人が娘を待たせているというが、それはどうした。「我家」の主人のような来客をもてなす配慮がなくては、十分な饗応とは言えまい」
と不満を口にされるので、紀伊守もさるもの「我家」の一句「何良けむ」で切り返し、
「『どの娘をご所望』とは一切聞き及んではおりませぬ」
と澄ました顔で控えております。部屋の片隅に室礼えたご寝所に仮寝をするようにお休みになられたので、供の従者も寝静まります。
 また同じ日の別の出来事で、紀伊守の子どもが可愛らしく畏まっています。少年で、殿上童として見慣れておいでになる者もいて、紀伊守の父である伊予介の子どもも混ざっています。多勢いる中にとても品が良くて、年のころ十二、三歳の少年もいます。源氏の君が
「どの子が誰の子か」
なんて質問なさると、紀伊守は、
「この子は、今は亡き衛門督の末子でして、とても可愛がっておりましたが、幼くして死別しまして、同母の姉である空蝉の縁を頼って今こうしております。学問の才能もあるようでして、目立つほどではございませんが、殿上童にしたいとお考えのようでしたが、父親の後ろ盾がない今は、願い通りに殿上童としてお仕えすることは難しいでしょう」
と申し上げます。源氏の君が、
「気の毒なことよ。ところでこの子の姉上はお前の義理の母親かい」
「さようでございます」
とお答えすると、源氏の君は、
「義理の息子とは似ても似つかない母親を迎えたものだ。陛下におかれてもこの方の評判はお聞き及びでいらっしゃり、『宮仕えに出してやがて更衣にも、との本音を仄聞されて、その後どうなったのか』と、つい最近も口にされていた。宮廷社会ほど先の見えないものはあるまい」
と、母桐壺更衣の盛衰を知るだけに既に老成した口振りでいらっしゃいます。紀伊守は源氏の君の「世こそ定めなきものなれ」を受けて、
「彼女は父親の死去から急転直下、宮仕えを断念し親子ほども歳の離れた私の父に嫁いだのです。貴族社会では後見人の有無によって、源氏の君、あなたがそうであるように古来どう転ぶか分からないものでございます。その中でも女性の立場というものは根無し草のように自立できず、男次第で哀れを誘います」
などと申し上げます。源氏の君が、
「歳の離れた妻を伊予介は可愛がっているか。主君のように仕えているであろうよ」
とからかうと、
「大事にするどころではございません。自分ではすっかり妻のことをその家の主人と決めつけておりまして、主従逆転で世間体が悪い、と私を筆頭に全員がこの結婚に承服しかねております」
と申し上げます。源氏の君はまた、
「そうは申しても、お前たちのように年齢的にも釣り合い、若い女性が魅力を感じても、彼女を下げ渡すことはあるまい。あの介殿は養う財力も十分にあり、気持ちがとにかく若い故」
なんて内輪話をされて源氏の君が、
「ところでどちらにおられる」
と探りを入れると、
「全員離れに下がらせておりますが、まだ移動が間に合わず下がりきらないのでございましょう」
とお耳に入れます。
 酒の酔いが回り、従者は誰彼なく簀子敷きに倒れ込むようにして寝静まりました。

2022.09.24 13 御子の誕生を優先して初婚の相手は年上の女性という慣習が若い夫婦を苦しめ、その弊害を指摘する

 からうじて、今日は日のけしきも直れり。かくのみ籠(こも)りさぶらひたまふも大殿の、御心いとほしければまかでたまへり。おほかたの気色、人のけはひも、けざやかに気(け)高く、乱れたるところまじらず、なほこれこそは、かの人々の捨てがたくとり出でしまめ人には頼まれぬべけれ、と思(おぼ)すものから、あまりうるはしき御ありさまのとけがたく、恥づかしげに思ひしづまりたまへるを、さうざうしくて、中納言の君、中務(なかつかさ)などやうのおしなべたらぬ若人(わかうど)どもに、戯(たはぶ)れ言(ごと)などのたまひつつ、暑さに乱れたまへる御ありさまを、見るかひありと思ひきこえたり。大臣(おとど)も渡りたまひて、かくうちとけ、御几帳隔てておはしまして、御物語聞こえたまふを、
「暑きに」
とにがみたまへば、人々笑ふ。
「あなかま」
とて、脇息(けふそく)に寄りおはす。いと安らかなる御ふるまひなりや。

 長梅雨の合間、徹夜明けの今日は、太陽が顔を覗かせました。こういつまでも宮中に閉じ籠ってばかりいらっしゃるのも(正妻の葵上でなく)左大臣の手前、お気持ちを慮って退出されました。左大臣邸の家女房の働き振りや正妻としての葵上の心構えも、きびきびとして気位を高く保ち、源氏の君の不在で両者に気の緩みが一切なく、やはりこの一家を取り仕切る正妻こそが品定めで全員一致して見棄てることができず、妻に迎え家事全般を差配できる女性として、全幅の信頼が置けるのだと承知しているものの、隣に居ても本心を見せず取り澄ました態度の葵上に馴染めず、四歳の年の差に気後れし、言いたいことも言えずにいらっしゃるのが居たたまれなくなり、その捌け口として居合わせた女房の中納言の君や中務といった年下で美人揃いの若い娘たち相手に冗談をおっしゃりながら、蒸し暑さで着崩していられるご様子を目に焼き付けんばかりに二人はうっとりと見惚れています。左大臣もお越しになって、源氏の君と同じように寛ぎながら律儀に御几帳を間に挟んで会話されているのを源氏の君は左大臣を前にして、
「几帳が風を遮り蒸し暑くてかなわない」
と減らず口を叩かれるので女房たちが笑っています。
「なんておしゃべりな舅よ」
と陰口を言うなり、左大臣から見えないのをいいことに脇息に身体を預けておられます。葵上には見せない自由気ままな態度でいらっしゃいませんか。

2022.09.22 12 『源氏物語』執筆時、不遇をかこっていた紫式部の舌鋒が今を時めく清少納言や中宮定子の母、高階貴子に向かい、この舌禍が道長の正妻、倫子の反感となって式部を見舞う

 「すべて男(をとこ)も女も、わろ者は、わづかに知れる方のことを、残りなく見せ尽くさむと、思へるこそ、いとほしけれ。三史五経道々しき方を明らかに悟り明かさむこそ、愛敬(あいぎやう)なからめ、などかは女といはむからに、世にあることのおほやけわたくしにつけて、むげに知らずいたらずしもあらむ。わざと習ひまねばねど、すこしもかどあらむ人の、耳にも目にもとまること、自然(じねん)に多かるべし。さるままには、真名(まむな)を走り書きて、さるまじきどちの女文(ぶみ)に、なかば過ぎて書きすくめたる、あなうたて、この人のたをやかならましかば、と見えたり。心地にはさしも思はざらめど、おのづからこはごはしき声に読みなされなどしつつ、ことさらびたり。上臈(じやうらふ)の中にも多かることぞかし。
 歌詠むと思へる人の、やがて歌にまつはれ、をかしき故言(ふるごと)をもはじめより取りこみつつ、すさまじきをりをり、詠みかけたるこそ、ものしきことなれ。返しせねば情けなし、えせざらむ人ははしたなからむ。さるべき節会(せちゑ)など、五月(さつき)の節(せち)に急ぎ参る朝(あした)、何のあやめも思ひしづめられぬに、えならぬ根を引きかけ、九日の宴にまづ難(かた)き詩の心を思ひめぐらし暇(いとま)なきをりに、菊の露をかこち寄せなどやうの、つきなき営みにあはせ、さならでも、おのづから、げに、後に思へば、をかしくもあはれにもあべかりけることの、そのをりにつきなく目にとまらぬなどを、推(お)しはからず詠み出でたる、なかなか心おくれて見ゆ。
 よろづの事に、などかは、さても、とおぼゆるをりから、時々思ひ分かぬばかりの心にては、よしばみ情だたざらむなむ、めやすかるべき。すべて、心に知れらむことをも知らず顔にもてなし、言はまほしからむことをも、一つ二つのふしは過ぐすべくなむあべかりける」
と言ふにも、君は人ひとりの御ありさまを、心の中(うち)に思ひつづけたまふ。これに、足らずまたさし過ぎたることなくものしたまひけるかなと、あり難きにも、いとど胸ふたがる。
 いづかたに寄りはつくともなく、はてはてはあやしき言(こと)どもになりて、明かしたまひつ。

 「男でも女でもひとりの例外なく、浅学非才に限って聞きかじった知識のありったけをひけらかそうと見栄を張るのが気の毒でなりません。女性でありながら『史記』『漢書』『後漢書』の三史や『詩経』『礼記』『春秋』『周易』『尚書』の五経といった正統な学問を研究し解き明かそうとするのであれば、可愛げも何もないでしょうが、どうして女であるというだけで宮仕えに必須の宮中行事の知識や官僚としての人付き合いの仕方について全く無関心で、知ろうともしないのが許されましょうか。家庭教師に就いて正式に勉強しないまでも、多少でも宮仕えに意欲のある女性でしたら、耳目をそばだてていれば入る情報も自ずと多くなりましょう。しかしそうした聞きかじりの知識だけで清少納言(萩谷朴編『校注紫式部日記』六六「清少納言こそ、したり顔にいみじう侍りける人。さばかりさかしだち、真名書き散らして侍るほども」)のように、漢字を草書体で走り書きし、敢えて使う必要のない女同士の手紙の文字で、半分以上漢字で固められているのは、思い違いも甚だしく、このような女性でも女としての嗜みを身につけたら少しはましになるのに、と思えてなりません。手紙を書いた本人は無意識で奇をてらうつもりはないでしょうが、受け取った側は漢字が多用されていると行政文書(公文書が漢文)のようでつっかえつっかえ声に出して読まざるを得ず、はた迷惑です。清少納言のような中下流の女房だけでなく、今を時めく中宮定子の母親である高内侍(高階貴子)のような上臈女房の中にも散見します。
 歌詠みとして自負のある清少納言のような女性(『集成枕草子』第九十四段に「歌詠むといはれし末々」とある。同下巻P236、頭注3参照)が、自意識過剰が嵩じて歌を詠むことが目的になり、和歌の知識をひけらかすために詠み始めから本歌取りで気の利いた古歌を引用し、和歌など詠んでいる余裕のない慌ただしい祭典の場に限って場所柄を弁えず、詠んで寄越すのときたら、はた迷惑の際たるものです。返歌をしなければ情趣を解さないことになるし、祭典に忙しく相手をできない男はマナー違反の汚名を着せられましょう。盛大に開催される五節供の宴席など、中でも清少納言が絶賛している五月五日の端午の節供に慌てて宮中に参上する早朝は、その準備でいつもよりも早く、菖蒲(あやめ)の節供と言うくらいですから夜明け前で周囲は薄暗く様子(文目)も判別せず、気持ちも六位蔵人として本番を控えて落ち着かないところに、六位蔵人は職務上、昵懇の女房がいてその女房から(いかにも清少納言がしそうなことだが)特別に長い菖蒲の根を引いて寄越し、因んだ歌が添えてあったり、あるいは九月九日の重陽の節供の祝宴の折、詩(うた)い慣れない漢詩で祝意をどう表現するか呻吟していて手が離せない時に限って、(清少納言のように)菊に置く露を含んだ被(き)せ綿で拭えば若返るという『菊の露』にかこつけて、『いつまで放っておくつもりなの、おばあちゃんになっちゃうわ』と結婚を迫る和歌を詠んで寄越すように(道長の正妻である倫子が夫と式部との関係を察知して、『源氏物語』の読者であった倫子は後に式部に対し、この「菊の露」をそのまま引いて「菊の露わかゆばかりに袖ふれて花のあるじに千代はゆずらむ」〈校注『紫式部日記』八〉としっぺ返しをしている)、宮中で頻繁に開催される祭典には必ず、さらに私的な祝宴であっても和歌を詠み合うのは当然のことであり、実際、祭典が済んで振り返って考えると端午の節供では感動を覚えたし、重陽の節供では同情を禁じ得ないところであるが、相手の立場を弁えず事情を無視してまで、一方的に歌を詠んで寄越すのは、(清少納言ではないが)女性としての配慮が足りないように思います。
 男女の仲は一事が万事、どうして歌を寄越したのだろう、俺に気があるのではないか、と早合点する場合や、よくあることで、相手の意図がはっきりせず理解に苦しむ場合には、前者では思わせぶりな態度を取らないこと、後者では積極的なアプローチを控えることが後悔しない秘訣です。夫婦円満の秘訣となれば、お互いに欠点を承知していても素知らぬ顔で非難せず、言いたい文句があったとしても一つや二つの不満は黙って見過ごすことに尽きましょう」
と結論付けても源氏の君は、藤壺お一人の影をご自分の中で追い続けておいでです。これまでの議論に当てはめてみても女性としての資質に何一つ不足せず、同時に出過ぎた振る舞いもなく妻として陛下に尽くされていらっしゃることよ、と今宵の品定めのテーマである理想の女性はこの方を置いていない、と考えただけで心臓が張り裂けそうになります。
 この女性論議は何も結論が出ないまま、議論の最後はお決まりの下品な話題に落ちて、夜明けを迎えられました。

2022.09.13 11 紫式部自身をモデルにした漢詩文万能の娘と、その父親は式部の実父、為時がモデル、そして式部丞も若き日の為時その人

 「式部がところにぞ、気色あることはあらむ。すこしづつ語り申せ」
と、責めらる。
 「下(しも)が下の中には、なでふことか聞こしめしどころはべらむ」
と言へど、頭の君、まめやかに、
「おそし」
と責めたまへば、何ごとをとり申さむと、思ひめぐらすに、
「まだ文章生(もんじやうのしやう)にはべりし時、かしこき女の例(ためし)をなむ見たまへし。かの馬頭(むまのかみ)の申したまへるやうに、おほやけごとをも言ひあはせ、わたくしざまの世に住まふべき心おきてを思ひめぐらさむかたもいたり深く、才(ざえ)の際(きは)、なまなまの博士(はかせ)恥づかしく、すべて口あかすべくなむはべらざりし。
 それは、ある博士のもとに、学問などしはべるとて、まかり通ひしほどに、あるじのむすめども多かりと聞きたまへて、はかなきついでに言ひよりてはべりしを、親聞きつけて、盃もて出(い)でて、わが両(ふた)つの途(みち)歌ふを聴けとなむ、聞こえごちはべりしかど、をさをさうちとけてもまからず、かの親の心を憚(はばか)りて、さすがにかかづらひはべりしほどに、いとあはれに思ひ後見(うしろみ)、寝覚めの語らひにも、身の才(ざえ)つき、おほやけに仕うまつるべき道々しきことを教へて、いときよげに、消息文(せうそこぶみ)にも仮名(かんな)といふもの書きまぜず、むべむべしく言ひまはしはべるに、おのづからえまかり絶えで、その者を師としてなむ、わづかなる腰折文(こしをれぶみ)作ることなど習ひはべりしかば、今にその恩は忘れはべらねど、なつかしき妻子(さいし)ととうち頼まむには、無才(むざい)の人、なまわろならむふるまひなど見えむに、恥づかしくなむ見えはべりし。まいて、公達(きむだち)の御ため、はかばかしくしたたかなる御後見(うしろみ)は、何にかせさせたまはむ。はかなし、口惜(くちを)しと、かつ見つつも、ただわが心につき、宿世(すくせ)の引く方はべるめれば、男(をのこ)しもなむ、仔細(しさい)なきものははべるめる」
と、申せば、残りを言はせむとて、
「さてさてをかしかりける女かな」
と、すかいたまふを、心は得ながら、鼻のわたりをこつきて、語りなす。
 「さて、いと久しくまからざりしに、ものの便(たよ)りに立ち寄りてはべれば、常のうちとけゐたる方にははべらで、心やましき物越しにてなむ会ひてはべる。ふすぶるにやと、をこがましくも、またよきふしなりとも思ひたまふるに、このさかし人、はた、かるがるしきもの怨(ゑん)じすべきにもあらず、世の道理を思ひ取りて、恨みざりけり。声もはやりかにて言ふやう、
『月ごろ風病(ふびやう)重きにたへかねて、極熱(ごくねち)の草薬(さうやく)を服(ぶく)して、いと臭きによりなむ、え対面(たいめん)賜はらぬ。目(ま)のあたりならずとも、さるべからむ雑事(ざふじ)らはうけたまはらむ』
と、いとあはれに、むべむべしく言ひはべり。答(いら)へに何とかは。ただ、
『うけたまはりぬ』
とて、立ち出ではべるに、さうざうしくやおぼえけむ、
『この香(か)失せなむ時に立ち寄りたまへ』
と、高やかに言ふを、聞きすぐさむもいとほし、しばし休(やす)らふべきにはたはべらねば、げにそのにほひさへはなやかに立ち添へるも、すべなくて、逃げ目を使ひて、

『ささがにのふるまひしるき夕暮にひるますぐせと言ふがあやなさ

いかなることつけぞや』
と、言ひもはてず、走り出ではべりぬるに、追ひて、

『あふことの夜をし隔てぬ仲ならばひるまも何かまばゆからまし』

さすがに口疾(と)くなどははべりき」
と、しづしづと申せば、公達、あさましと思ひて、
「そらごと」
とて、笑ひたまふ。 
「いづこのさる女かあるべき。おいらかに鬼とこそ向ひゐたらめ。むくつけきこと」
と、つまはじきをして、
「言はむ方なし」
と、式部をあはめ憎みて、
「すこしよろしからむことを申せ」
と、責めたまへど、
「これよりめづらしき言はさぶらひなむや」
とて、をり。

 中将の君は蔵人頭を兼務しており、同じく蔵人を兼務している式部丞は部下であるから、部下の式部丞に向かって、
「式部丞、そちこそ体験豊富であろう。さわりだけでも語って聞かせよ」
と無理強いされる。
 式部丞が、
「私のような殿上人でもなく、蔵人を兼務したことによって漸く昇殿を許されるような身分の者には、どのような女性であるならお耳に入れるに値しましょうか、そのような女性はおりません」
と言って拒むが、上司の頭中将の君は頭ごなしに、
「もたもたするな」
と催促なさるので、どの女性との体験を選んでお聞かせしようかと思案した結果、
「私めが大学寮の学生として文章生に過ぎなかった頃に、賢女の誉れ高い女性と関係を持ちました。縷々左馬頭が焼きもち焼きの女の段で申し上げました通り、有職故実に精通していて公式行事の相談もできますし、宮仕えにおける人間関係で、処世術の心得を誰にも聞けずにおりました所、世知に長け、漢詩文の教養の高さは、二、三流の大学寮の文章博士では太刀打ちできず、全教科で相手に反論の余地を与えないほどでございます。
 思い返しますと、とある先生のご自宅に漢詩文の個人レッスン(目的は将来有望な娘婿、後継者の青田買い)をしてくださるというので伺っては通っておりましたところ、白楽天の『秦中吟』の一首「議婚」に登場する主人を気取ったこの先生には娘が多いと耳にしまして、チャンスを窺い娘の部屋に忍び入りましたところ、先生にばれてしまい、(思惑通り)この時を待ってましたとばかりに酒盃を手にして現れ、「議婚」の一節を引いて
「わが両つの途歌ふを聴け(聴我歌両途)」(富貴の娘と貧者の娘の歌をふたつ歌うからよく聞き較べてほしい)
と勿体ぶって、わざと丁重に
『金持ちの娘ではなく貧乏学者の娘を妻にすることをご承知くだされ』
とおっしゃるが、この娘には全く親しみが持てないまま足が遠のき、父親である先生の親心を無視するわけにもいかず、興味がないとは言え関係を絶やさずにおりましたところ、女の方が夢中になりよく世話を焼き、後朝の別れを惜しむ場合でも和歌ではなく、漢詩文の練習であり、あるいは宮仕えに必須の四書五経を教授し、きちんとした楷書で、日常の手紙文であっても女文字である仮名を嫌い一切用いず、理路整然とした公文書のような文体ですので、知らず知らずのうちにどうしても別れられなくなり、その女を先生と仰いで見よう見まねで幼稚な漢詩文の創作から習い始めたものですから、今でもその恩義に感謝していますが、心の安らぐ妻子のいる家庭を期待しようとすると、無学無教養の男としては、女の目の前でその無知ぶりを晒してしまうので、家の中で情けない思いをすることになります。官途に四苦八苦する私どもと違い、貴公子でいらっしゃり出世の苦労を知らないお二方にとって、強い味方ではあるが同時に頭の上がらない世話女房は、無用の長物で世話を焼かそうにもさせようがございません。良妻賢母であるがゆえに男として引け目を感じ、劣等感に苛まれても官僚の妻としては理想的な女性で、前世からの因縁があって現世で結ばれることがあるようですから、男くらい世間知らずで運命運命に左右され、単細胞な生き物はおりますまい」
と申し上げると、結末を語らせようとして、
「聞けば聞くほど興味が尽きない女であることよ」
とその気にさせているのを内心では承知しているものの、話を合わせて鼻息も荒く語り出します。
 「さて、ずいぶん長いこと足が遠のいていましたら、急を知らせる手紙があり訪ねてみますと、普段私室にしている部屋には居りませんで、失礼なことにふたりの間を御簾や几帳で隔てて対面するような始末です。ご無沙汰ばかりで拗ねて部屋の奥に閉じこもってしまったのかと、子供じみて馬鹿らしくもあり、同時に別れる潮時だなと頭を過りましたが、この頭の良い女に限っては、感情に任せて嫉妬するはずもなく、一夫多妻制度下における妻の宿命を理解しているので、夫の不在程度では文句も言いませんでした。会話の調子も早口で言うのには、
『この二、三カ月風邪をこじらせてしまい思わしくないので、真夏の暑中に体力を回復するための薬草を服用して、口臭がとても匂うので、どうしても直にお顔を合わせられません。面と向かわなくとも学業や人間関係での困りごとがあれば伺いましょう』
と、病中にもかかわらず感心なことに、妻としての当然の役目といったように言い渡します。どう答えたらよいものか。ひと言、
『承知しました』
と、その場を立ち去ろうとしますと、役に立てず申し訳ないとでも思ったのでしょう、
『私の口臭がすっかり消えたころにもう一度いらしてください』
と、背中に向かって声を張り上げるので、話を聞かずに帰るのも申し訳ないし、かと言って長居している場合ではありませんので、事実、ニンニクの臭気が部屋中に充満しているのも息苦しく、お暇する合図を目で送り、

『ささがにのふるまひしるき夕暮にひるますぐせと言ふがあやなさ(蜘蛛が盛んに巣を張り待ち人の来訪を伝え、その通り私が夕暮れに尋ねてみれば、明日の昼に薬草の蒜〈ひる、すなわちニンニク〉の臭気が消えるまで待てとおっしゃるのが理解できません)

逢いたくない口実にしても大概です』
と言い終わらないまま走って邸を後にしましたところ、追いすがって、

『あふことの夜をし隔てぬ仲ならばひるまも何かまばゆからまし(逢うことにかけては一夜も空けることのないふたりの仲であるならば、昼間であろうと、蒜〈ひる〉の臭気が充満していても見られて恥ずかしいとか、口臭がひどくて顔を背けることがどうしてありましょう)』

と賢女だけのことはあり間髪入れず返歌するようなこともございました」
と淡々と申し上げると、源氏の君を始め一同は、でき過ぎだと疑い、
「作り話だろう」
と口を合わせ、お笑いになります。
「どこを探したらそんな女に出会えようか。その女を相手にするくらいなら(六条御息所の霊魂のような)鬼神とだって抱き合っていよう。縁起でもない」
と爪弾きをして、
「言うに事欠いてそのような出鱈目を」
と式部丞を軽蔑し不快感を露わにすると、
「もう少しましな体験を申し上げろ」
と上司の中将の君が叱責しますが、
「今お話しした以上に奇妙な体験談は他にございましょうか」
と開き直ってどんと構えています。

2022.09.03 10 桐壺更衣いじめ事件の再現にして夕顔巻への伏線、幼子(玉鬘)の誕生も物語後半、髭黒政権樹立への伏線

 中将、
「なにがしは、しれ者の物語をせむ」
とて、
「いと忍びて見そめたりし人の、さても見つべかりしけはひなりしかば、ながらふべきものとしも思うたまへざりしかど、馴(な)れゆくままに、あはれとおぼえしかば、絶え絶え、忘れぬものに思ひたまへしを、さばかりになれば、うち頼める気色も見えき。頼むにつけては、うらめしと思ふこともあらむと、心ながらおぼゆるをりをりもはべりしを、見知らぬやうにて、久しきとだえをもかうたまさかなる人とも思ひたらず、ただ朝夕にもてつけたらむありさまに見えて、心苦しかりしかば、頼めわたることなどもありきかし。
 親もなく、いと心細げにて、さらばこの人こそはと、言(こと)にふれて思へるさまも、らうたげなりき。かうのどけきにおだしくて、久しくまからざりしころ、この見たまふるわたりより、情なくうたてあることをなむ、さる便りありて、かすめ言はせたりける、後にこそ聞きはべりしか。
 さるうき事やあらむとも知らず、心に忘れずながら、消息(せうそこ)などもせで久しくはべりしに、むげに思ひしをれて、心細かりければ、幼き者などもありしに、思ひわずらひて撫子(なでしこ)の花を折りておこせたりし」
とて、涙ぐみたり。
「さて、その文の言葉は」
と、問ひたまへば、
「いさや、ことなることもなかりきや、

山がつの垣ほ荒るともをりをりにあはれはかけよ撫子の露」

 思ひ出でしままにまかりたりしかば、例の、うらもなきものから、いともの思ひ顔にて、荒れたる家の露しげきをながめて、虫の音に競(きほ)へる気色、昔物語めきておぼえはべりし。

『咲きまじる色はいづれと分かねどもなほとこなつにしくものぞなき

 大和撫子をばさしおきて、まづ塵(ちり)をだに』など、親の心をとる。

『うち払ふ袖も露けきとこなつに嵐吹きそふ秋も来にけり』

と、はかなげに言ひなして、まめまめしく恨みたるさまも見えず、涙を漏らし落しても、いと恥づかしくつつましげに紛(まぎ)らはし隠して、つらきをも思ひ知りけりと見えむはわりなく苦しきものと思ひたりしかば、心やすくて、またとだえおきはべりしほどに、跡もなくこそかき消ちて失せにしか。
 まだ世にあらば、はかなき世にぞさすらふらむ。あはれと思ひしほどに、わづらはしげに思ひまつはす気色見えましかば、かくもあくがらさざらまし。こよなきとだえおかず、さるものにしなして、長く見るやうもはべりなまし。かの撫子のらうたくはべりしかば、いかで尋ねむと思ひたまふるを、今もえこそ聞きつけはべらね。これこそのたまへるはかなき例(ためし)なめれ。つれなくて、つらしと思ひけるも知らで、あはれ絶えざりしも、益(やく)なき片思ひなりけり。今やうやう忘れゆく際(きは)に、かれはた、えしも思ひ離れず、をりをり人やりならぬ胸こがるる夕(ゆふべ)もあらむと、おぼえはべり。これなむ、えたもつまじく頼もしげなき方なりける。
 されば、かのさがな者も、思ひ出である方に忘れがたけれど、さしあたりて見むにはわづらはしく、よくせずはあきたきこともありなむや。琴の音すすめけむかどかどしさも、すきたる罪重かるべし。このこころもとなきも、疑ひ添ふべければ、いづれとつひに思ひ定めずなりぬるこそ。世の中や、ただかくこそとりどりに、比べ苦しかるべき。このさまざまのよきかぎりをとり具し、難ずべきくさはひまぜぬ人は、いづこにかはあらむ。吉祥天女(きちじやうてんによ)を思ひかけむとすれば、法気(ほふけ)づき、霊(くす)しからむこそ、またわびしかりぬべけれ」
とて、みな笑ひぬ。

 中将の君も触発されて、
「私は内気で取るに足りない女性の体験談をしましょう」
と前置きして、
「正妻の四君には絶対に知られないように付き合い始めた女性が、妻にしなくてもよさそうな態度でしたので、いつまでも関係が続くとは考えても見ませんでしたが、気心が知れてくると妻のひとりに加えても良いと思うようになり、そう頻繁に通わずとも、こちらが別れられない気持ちになりますのを、そこまで思ってくれるのであれば、と態度を改め妻になりたいような気配も感じました。妻のひとりになるについては、夫の女性関係で嫉妬することもあるだろうと、内心ではそれとわかる場面がしばしばありましたが、見て見ぬ振りをしているかのようにしばらく足が遠のいても、他の女性で忙しくて滅多に来ない男とは考えもせず、甲斐甲斐しく早朝の出勤や夕方の帰宅時に世話を焼く健気さが不憫なので、『いつまでも頼りにするがよい』と言い聞かせることもありました。
 両親もなく、見るからに経済的に困窮し、『お言葉に甘えてこの方におすがりしよう』と言葉の端々に気持ちが表れているの姿も可愛げがありました。男の来訪に無頓着なのに加え、信頼しきっていて、長いこと通わないでいると、正妻の四君周辺から冷酷で脅迫じみた文言を、密告者を通じて、私に無断で通告させていたのをずっと後になって初めて耳にしました。
 そのような辛いことがあろうとは露知らず、気持ちは変わらずにいましたが、手紙一本書くわけでなくずいぶんと時が経ちました頃に、正妻の仕打ちにひどく落ち込んで、私の支援もなく困窮したので、加えて二人の間に女の子まで生まれていたことから、悩み抜いた末に撫子の花を添えて手紙を送ってきました」
と言うや落涙しています。
 源氏の君が、
「ところで、その手紙の内容は」
と問い詰められるので中将の君は、
「そう急かさないで。他の女性からの手紙と特に変わったところはなかったと思います。

山がつの垣ほ荒るともをりをりにあはれはかけよ撫子の露(木こりの住む山小屋のような粗末な我が家が生活苦で垣根の手入れもままなりませんが、私への経済援助はともかく娘にだけは養育費の支援を忘れないでください、撫子に露が置いて成長するように)

とあり、すっかり忘れていましたので訪ねてみますと、以前のまま、忘れられていたことを疑う様子もないのだが、今まで見せたことのない深刻な表情を浮かべ夏草で荒れ放題の邸の庭が露でしとどに濡れているのに目をやって、草むらの秋の虫が競って鳴いているのに混じって泣いており、そのシルエットが昔物語に登場する主人公に重なって見えました。そこで、

咲きまじる色はいづれと分かねどもなほとこなつにしくものぞなき(撫子が咲き乱れ、美しさに甲乙付け難いのですが、多くの美女の中でも撫子の別名である常夏、床を共にしたあなたに勝る女性はいません)

と詠み返し、愛娘の大和撫子のことは棚に上げて、古歌(『塵をだにすゑじとぞ思ふ咲きしより妹とわが寝るとこなつの花〈埃ひとつ付かないように大事に育てています、咲き始めた時から。愛妻と共寝をする寝床でもあるこの常夏は〉』)にあるように『これからは常夏のあなたと共寝をする寝床の埃を払いに通いましょう』と、母親の女心に訴えます。すると女は、

うち払ふ袖も露けきとこなつに嵐吹きそふ秋も来にけり(寝床の埃を払うなんてのんきなことをおっしゃっていますが、埃を払う私の袖は涙に濡れ、なぜかと言えば露に濡れる常夏と撫子に台風の吹き荒れる秋が到来したように、私たち母娘にのっぴきならない危難の秋〈とき〉が迫っているのです)

と消え入りそうな声で返歌しただけで、忘れ去られていたことにいちいち文句を言いたそうな素振りもなく、思わず涙がこぼれ袖を濡らしても、涙を見せるのを恥じ、しとやかさを演じることで涙を隠し、生活苦に加え嫌がらせがあっても打ちのめされ困窮している姿を晒すのは、何よりも惨めであると教育されているので、状況が分からず安易に考え、懲りもせず足が遠のきほったらかしにしていましたら、全く痕跡を残さず忽然と失踪してしまいました。
 今も生きているなら頼るあてもなく運命に翻弄されていることでしょう。妻にしても良いと考えていた時に、鬱陶しいくらいべたべたとまとわりつく気配が少しでもあれば、ここまで所在ないままにしていませんでした。頻繁に通って妻のひとりに迎え、一生面倒を見ることもできましたものを。愛娘が可愛い盛りでしたのでどうしたら探し出せるかあれこれ思案していますが、今日に至るまで全く行方が知れません。この女ならあなたのおっしゃる、ある日突然出家してしまった捉えどころのない女の例に入りましょう。平静を装いながら本妻である四君のいじめに耐え兼ねているのも露知らず、能天気に妻に迎えようとしていたのも、所詮叶わぬ独り相撲でした。今になって漸く記憶が薄れようとしているところなのに、一方でまた、女の方でも忘れようにも忘れられず、しばしば誰を恨むでもなく逢いたい気持ちが募るひとり寝の夜もあるだろうと考えたりします。これなんか、とても添い遂げられそうにない信頼感ゼロの男女の仲というものでした。
 そうですとも、先の性格に難がある焼きもち焼きも、良い思い出があるだけにいつまでも忘れられませんが、妻として膝を突き合わせて連れ添うには鬱陶しく、最悪の場合、興味が失せ離婚もありえましょう。琴を盛んに掻き鳴らし得意顔の女も、浮気の性癖は許されるものではありません。私が申し上げた主体性に欠けた女も、他の男の誘いに乗って駆け落ちした疑いが消えませんので、この三人の女性は帯に短し襷に長し、ですから誰ひとり妻にしようとは決断できなかったのです。世の女性は、ひとりの例外なくこの三人のように個性豊かで、比較の仕様がありません。この三女性のたくさんある長所だけを取り集めて、不満の種である欠点が皆無の女性は、どこをどう探したらいるのでしょう。あの世で吉祥天女との出会いに期待をかけようとすれば、四角四面で面白みがなく、生身の女性ではありませんから、今よりもさらにがっかりさせられることでしょう」
と結論が出たところで全員笑ってお茶を濁すしかありません。

2022.08.23 9 一夫多妻の社会制度を逆手に取る浮気性の女性

 「さて、また同じころ、まかり通ひし所は、人も立ちまさり、心ばせまことにゆゑありと見えぬべく、うち詠(よ)み走り書き、かい弾(ひ)く爪音(つまおと)、手つき口つき、みなたどたどしからず見聞きわたりはべりき。見るめも事もなくはべりしかば、このさがな者をうちとけたる方にて、時々隠ろへ見はべりしほどは、こよなく心とまりはべりき。この人亡(う)せて後、いかがはせむ、あはれながらも過ぎぬるはかひなくて、しばしばまかり馴(な)るるには、すこしまばゆく、艶(えん)に好ましきことは、目につかぬところあるに、うち頼むべくは見えず、かれがれにのみ見せはべるほどに、忍びて心かはせる人ぞありけらし。
 神無月(かみなづき)のころほひ、月おもしろかりし夜、内裏(うち)よりまかではべるに、ある上人(うへびと)来あひて、この車にあひ乗りてはべれば、大納言の家にまかりとまらむとするに、この人言ふやう、
『今宵(こよひ)人待つらむ宿なむ、あやしく心苦しき』
とて、この女の家はた避(よ)きぬ道なりければ、荒れたる崩れより、池の水かげ見えて、
『月だに宿る住み処(か)を過ぎむもさすがにて』
おりはべりぬかし。もとよりさる心をかはせるにやありけむ、この男いたくすずろきて、門(かど)近き廊(ろう)の簀子だつものに尻(しり)かけて、とばかり月を見る。菊いとおもしろくうつろひわたり、風に競(きほ)へる紅葉(もみぢ)の乱れなど、あはれと、げに見えたり。懐(ふところ)なりける笛(ふえ)取り出でて吹き鳴らし、影もよしなど、つづりうたふほどに、よく鳴る和琴(わごん)を調べととのへたりける、うるはしく掻きあはせたりしほど、けしうはあらずかし。律の調べは、女のもの柔かに掻き鳴らして、簾(す)の内より聞こえたるも、今めきたる物の声(こゑ)なれば、清く澄める月に、をりつきなからず。男いたくめでて、簾(す)のもとに歩み来て、

『琴の音も月もえならぬ宿ながらつれなき人をひきやとめける

わろかめり』
など言ひて、
『いま一声(ひとこゑ)。聞きはやすべき人のある時、手な残いたまひそ』
など、いたくあざれかかれば、女、声いたうつくろひて、

『木枯(こがらし)に吹きあはすめる笛の音をひきとどむべきことの葉ぞなき』

と、なまめきかはすに、憎くなるをも知らで、また筝(さう)の琴(こと)を盤渉調(ばんしきでう)に調べて、今めかしく掻(か)い弾(ひ)きたる爪音(つまおと)、かどなきにはあらねど、まばゆき心地なむしはべりし。ただ時々うち語らふ宮仕人などの、あくまでざればみすきたるは、さても見る限りはをかしくもありぬべし、時々にても、さる所にて忘れぬよすがと思うたまへむには、頼もしげなく、さし過(す)ぐいたりと心おかれて、その夜のことにことつけてこそ、まかり絶えにしか。
 この二つのことを思うたまへあはするに、若き時の心にだに、なほさやうにもて出でたることは、いとあやしく頼もしげなくおぼえはべりき。今より後は、ましてさのみなむ思うたまへらるべき。御心のままに折らば落ちぬべき萩の露、拾はば消えなむと見ゆる玉笹(たまざさ)の上の霰(あられ)などの、艶(えん)にあえかなるすきずきしさのみこそをかしく思さるらめ、いまさりとも七年(ななとせ)あまりがほどに思し知りはべなむ。なにがしがいやしき諫(いさ)めにて、すきたわめらむ女に心おかせたまへ。あやまちして見む人のかたくななる名をも立てつべきものなり」
と、戒(いまし)む。
 中将、例のうなづく。君すこしかた笑みて、「さること」とは思すべかめり。
「いづかたにつけても、人わるくはしたなかりけるみ物語かな」
とて、うち笑ひおはさうず。

 左馬頭は続けて、
「ところで、嫉妬深い女と同時並行で通っておりました女は、先の女と比べ家柄でも嫉妬深くない点でもはるかに優れ、子女教育が行き届き趣味教養が実に高いレベルにあると見えて、さらりと和歌を詠んではすらすらと書にしたため、琴を掻き鳴らす弦捌き、演奏技術や書、和歌の詠み振りどれをとってもそつがないように毎回目にし、耳にしておりました。見た目も悪くはございませんでしたので、嫉妬深い方をいつでも気兼ねなく通える女として妻の位置に据え、つまみ食いのつもりで密会していた間は、全てが正反対なこの女にすっかりのぼせ上ってしまいました。妻にと考えていた女が亡くなってからは、誰を妻にすべきか、妻にしたい考えは今でも変わっていないが死んでしまっては元も子もなく、代わりに妻にどうかと思い通う回数が多くなり慣れ親しんだ結果は、いささか生活が派手で、男好きな点は、目の行き届かないところがあり、とても信頼が置けそうになく、足が遠のいてたまにしか逢わないでいますと、隠れて付き合っている男がいたようです。
 神無月(旧暦十月、新暦十一月)の頃で、満月が煌々と照らしている夜、調楽が終わり宮中から退出しようとしますと、知り合いの殿上人と鉢合わせをして、通勤に使った牛車に相乗りしまして、牛車の返却も兼ねて父の大納言の邸に泊まろうとしましたら、知人の言い草が、
『満月の今宵は、道が照らされ夜間の外出に最適であるから男の来訪を期待している女がいると思うと妙に胸騒ぎがしてならない』
と言って、知人が目指す女の家は、帰り道にあり避けられない道なので、知人はおそらく大納言の倅が牛車でお出ましだ、帰りは大納言邸に戻るだろうと予期して、調楽の開けるのを待ち構えていたのであろう、築地塀が崩れ落ちた隙間から心池の水面に月影が映るのが見え、
『満月さえも一夜の宿にしている女の元をこのまま通り過ぎるのは無粋というもの』
と言うや降車してしまいました。いかにも偶然を装いながら最初から示し合わせていたのでしょう、知人はまるで通りすがりの風で、中門に近い廊下に設置された簀子のようなものに腰を下ろし、ここでも来訪の目的をはぐらかすようにじっと満月を見上げています。中庭に植栽された菊が霜に当たって白菊から紫に一面鮮やかに変色し、風に抗う紅葉と散り乱れる紅葉が満月に照らされ、初冬の風情そのものです。懐中からおもむろに横笛を取り出すや演奏が始まり、古歌を引用して演奏の合間に、
『影もよし(満月が美しい)』
なんて演奏しては古歌を口ずさんでいると、鮮やかな音色の作りの良い和琴の調律をあらかじめ整えてあったのを見事な弦捌きで横笛の演奏に重ねていると、二人の世界にどっぷり浸かり見られているのも平気なようです。短調である律調のメロディーの軽やかさは、女性の軽快なタッチの奏法で、御簾の中から漏れ聞こえるのも現代風の琴の音色なので、煌々と輝いている満月に季節感がぴったり合っています。知人は盛んに称賛し、御簾が下がった簀子敷きの階下まで歩み寄り、古歌(「秋は来ぬ紅葉は宿にふり敷きぬ道踏み分けてとふ人はなし(立秋の今日、紅葉が女の住む邸の庭園一面に散り積もり、私以外に紅葉の道を踏みながら訪れる男はいないようだ)」古今、秋下)を引用して、
『このお邸の中庭に散り敷いた紅葉も古歌と同様にどなたも「踏み分け」た後がございませんね』
なんて悔しがらせます。菊を手折って御簾の下から差し入れ、

『琴の音も月もえならぬ宿ながらつれなき人をひきやとめける(琴の演奏も満月の美しさも最高のお邸ですが、あなたに興味のない男をそれだけで引き止められましたか)

冗談が過ぎたようで』
なんて詠みかけ、
『もう一言だけ言わせてください。あなたの琴の実力とあなた自身を知り尽くしている男を前にして、弾き惜しみはもちろんご自身の出し惜しみも無用です』
なんて、下卑た冗談で挑発すると、敢えて取り澄ましたような声色で、

『木枯(こがらし)に吹きあはすめる笛の音をひきとどむべきことの葉ぞなき(今も吹いている木枯らしの風音に調子を合わせて合奏しているような、あなたの笛の音色に私の琴の調べで弾き合わせ、あなたをこの場に引き留める技量はそもそもありませんし、それに代わるお誘いできる言葉も浮かびませんので、どうぞお帰りください』

と言葉とは裏腹、色気たっぷりに詠み返すのに加え、外聞を気にする風もなく、さらに十三絃の大型の筝の琴に取り換えて冬の曲調である盤渉調に調律し、現代風にアップテンポで掻き鳴らすメロディーは、才能の片鱗を示しているが、熱々で当てられっぱなしでございました。もっとも公務で立ち寄り、たまたま取次に出て知り合い深い仲になった女官の場合でも、期待するのは女官として宮中行事に精通し有職故実を知悉していることだが、女の目的が将来有望な男と出会うことであり浮気を重ねるのと同様、遊びで付き合っている分には楽しいに違いないが、たまにしか通わないにしても、妻の候補のひとりとして通う条件を備えていると判断しますには、信頼に足らず、無視するに如くはないと距離を置いて、この女とはその夜の出来事に諦める口実ができたと、通うのをやめた次第です。
 嫉妬深い女性と浮気性の女性、二人の例を冷静に比較しますと、若く未熟な判断でも、やはり浮気性の女のように男選びに目の色を変えるのは、素行に難があり信頼が置けそうにないという結論が出ました。今日を境にこれからは、これまで以上に一夫多妻の社会制度を逆手にとった浮気性の女は避けて通るのが無難でございます。思いのままに口説き落とせる例えば、古歌『折りてみば落ちぞしぬべき秋萩の枝もたわわに置ける白露(どれほど秋萩に置いた白露が美しくても、枝を折ってみればお分かりのように全て落下してしまいます。枝いっぱいに置いた露同様、あなた様にかかればどんなの高貴な美女であろうとも全員口説き落とせます』(古今、秋上)の萩の露や、同じく古歌『拾はば消えなむと見ゆる玉笹の上の霰(手に取ろうとするとスッと溶けて消えてしまう笹の葉に置いた霰のように、どれほど高貴な家柄の娘であってもあなたが触れただけでその手に落ちてしまします)』(出典不明)の笹の霰のように、恋愛に無防備な男好きのする女性に限って魅力を感じるでしょうが、現在の若い盛りでは無理もなく、もう七年ほど経験を積まれればそのお考えが間違いであることを思い知ることになりましょう。受領階級風情の私が申し上げるつまらない忠告を頭の片隅にでも置いて、浮気性でどんな男にも靡くような女性にはご警戒を怠りませぬように。女の浮気がばれて付き合っている男の方が不名誉な濡れ衣を着せられること必定でございます」
と、訓戒を垂れます。
 中将の君は、納得顔で頷いています。源氏の君は半信半疑で頬をわずかに緩め、「何を今さら」とお考えのようです。そこで源氏の君が、
「どちらの女性の体験談でも片や性格に難があり、片や身持ちに難があるといったいただけないお話ですね」
とまとめたものですから、真顔の中将の君も含め一同笑ってごまかすしかありません。

2022.08.16 8 一夫多妻の社会制度に翻弄された嫉妬深い女性

 「はやう、まだいと下﨟(げらふ)にはべりし時、あわれと思ふ人はべりき。聞こえさせつるやうに容貌(かたち)などいとまほにもはべらざりしかば、若きほどのすき心には、この人をとまりにとも思ひとどめはべらず、よるべとは思ひながら、さうざうしくて、とかく紛れはべりしを、もの怨(ゑん)じをいたくはべりしかば、心づきなく、いとかからで、おいらかならましかばと思ひつつ、あまりいとゆるしなく疑ひはべりしもうるさくて、かく数ならぬ身を見もはなたで、などかくしも思ふらむと、心苦しきをりをりもはべりて、自然(じねん)に心をさめらるるやうになむはべりし。
 この女のあるやう、もとより思ひいたらざりけることにも、いかでこの人のためにはと、なき手を出だし、後(おく)れたる筋の心をも、なほ口惜しくは見えじと思ひ励みつつ、とにかくにつけて、ものまめやかに後見(うしろみ)、つゆにても心に違(たが)ふことはなくもがなと思へりしほどに、すすめる方と思ひしかど、とかくになびきてなよびゆき、醜き容貌(かたち)をも、この人に見や疎(うと)まれむと、わりなく思ひつくろひ、疎き人に見えば面伏(おもてぶ)せにや思はむと、憚(はばか)り恥ぢて、みさをにもてつけて、見馴(みな)るるままに、心もけしうはあらずはべりしかど、ただこの憎き方ひとつなむ心をさめずはべりし。
 そのかみ思ひはべりしやう、かうあながちに従ひ怖(お)ぢたる人なめり。いかで、懲るばかりのわざして、おどして、この方もすこしよろしくもなり、さがなさもやめむ、と思ひて、まことにうしなども思ひて絶えぬべき気色ならば、かばかり我に従ふこころならば、思ひ懲(こ)りなむと思ひたまへえて、ことさらに情(なさけ)なくつれなきさまを見せて、例の、腹立ち怨(ゑん)ずるに、
『かくおぞましくは、いみじき契り深くとも、絶えてまた見じ。限りと思はば、かくわりなきもの疑ひはせよ。行く先長く見えむと思はば、つらきことありとも念じて、なのめに思ひなりて、かかる心だに失せなば、いとあはれとなむ思ふべき。人なみなみにもなり、すこし大人(おとな)びむに添へても、また並ぶ人なくあるべき』
やうなど、かしこく教へたつるかなと思ひたまへて、われたけく言ひそしはべるに、すこしうち笑ひて、
『よろづに見だてなく、ものげなきほどを見過(みす)ぐして、人数なる世もやと待つ方は、いとのどかに思ひなされて、心やましくもあらず。つらき心を忍びて、思ひ直らむをりを見つけむと、年月を重ねむあいな頼(だの)みは、いと苦しくなむあるべければ、かたみに背きぬべききざみになむある』
と、ねたげに言ふに、腹立たしくなりて、憎げなることどもを言ひ励ましはべるに、女もえをさめぬ筋にて、指(および)ひとつを引き寄せて、食ひてはべりしを、おどろおどろしくかこちて、
『かかる傷さへつきぬれば、いよいよ交(まじ)らひをすべきもあらず。辱(はづか)しめたまふめる官位(つかさくらゐ)いとどしく何につけてかは人めかむ。世を背きぬべき身なめり』
など、言ひおどして、
『さらば今日(けふ)こそは限りなめれ』
と、この指(および)をかがめてまかでぬ。

『手を折りてあひみしことを数ふればこれひとつやは君がうきふし

え恨みじ』
など言ひはべれば、さすがにうち泣きて、

うきふしを心ひとつに数へきてこや君が手を別るべきをり

など言ひしろひはべりしかど、まことに変るべきこととも思ひたまへずながら、日ごろ経(ふ)るまで消息(せうそこ)も遣はさず、あくがれまかり歩(あり)くに、臨時の祭の調楽(てうがく)に夜更けて、いみじう霙(みぞれ)降る夜、これかれまかりあかるる所にて、思ひめぐらせば、なほ家路(いへぢ)と思はむ方はまたなかりけり。内裏(うち)わたりの旅寝すさまじかるべく、気色ばめるあたりはそぞろ寒くやと思うたまへられしかば、いかが思へると気色も見がてら、雪をうち払ひつつ、なま人わるく爪(つめ)食はるれど、さりとも今宵(こよひ)日ごろの恨みは解けなむと思ひたまへしに、灯(ひ)ほのかに壁に背け、萎(な)えたる衣(きぬ)どもの厚肥(あつこ)えたる、大いなる籠(こ)にうちかけて、引きあぐべきものの帷子(かたびら)などうちあげて、今宵ばかりやと待ちけるさまなり。さればよと心おごりするに、正身(さうじみ)はなし。さるべき女房どもばかりとまりて、『親の家にこの夜さりなむ渡りぬる』
と答へはべり。艶(えん)なる歌も詠まず、気色ばめる消息もせで、いとひたや籠(ごも)りに情(なさけ)なかりしかば、あへなき心地して、さがなくゆるしなかりしも、我を疎(うと)みねと思ふ方の心やありけむと、さしも見たまへざりしことなれど、心やましきままに思ひはべりしに、着るべき物、常よりも心とどめたる色あひしざまいとあらまほしくて、さすがにわが見棄(みす)ててむ後(のち)をさへなむ、思ひやり後見(うしろみ)たりし。
 さりとも絶えて思ひ放つやうやはあらじと思うたまへて、とかく言ひはべりしを、背きもせず、尋ねまどはさむとも隠れ忍びず、かかやかしからず答へつつ、ただ、
『ありしながらはえなむ見過(みす)ぐすまじき。あらためてのどかに思ひならばなむあひ見るべき』
など言ひしを、さりともえ思ひ離れじと思ひたまへしかば、しばし懲(こ)らさむの心にて、『しかあらためむ』とも言はず、いたくつなびきて見せしあひだに、いといたく思ひ嘆きてはかなくなりはべりにしかば、戯(たはぶ)れにくくなむおぼえはべりし。ひとへにうち頼みたらむ方は、さばかりにてありぬべくなむ思ひたまへ出でらるる。はかなきあだ事をもまことの大事をも、言ひあはせたるにかひなからず、龍田姫(たつたひめ)と言はむにもつきなからず、織女(たなばた)の手にも劣るまじく、その方も具して、うるさくなむはべりし」
とて、いとあはれと思ひ出でたり。
 中将、
「その織女(たなばた)の裁(た)ち縫(ぬ)ふ方をのどめて、長き契りにぞあえまし。げにその龍田姫の錦にはまたしくものあらじ。はかなき花紅葉といふも、をりふしの色あひつきなくはかばかしからぬは、露のはえなく消えぬるわざなり。さあるによりかたき世とは定めかねたるぞや」
と、言ひはやしたまふ。

 左馬頭が続けて、
「駆け出しのころ、官途に就いて間もない下級官僚時代に、結婚を考えた女性がおりました。先ほどからお聞き及びの通り、器量ときたらお話になりませんから、血気にはやる遊びたい盛りで、この女性を正妻に迎えようとは一考だにいたしませんし、その他多勢のひとりとは考えつつも一緒にいて面白みがなく、いずれにしても目立たない存在でしたが、嫉妬だけはどの女性よりも激しかったので興味が失せ、ここまで嫉妬深くなくて、鷹揚な性格でいてくれたならと考えないわけではありませんが、取り付く島もないくらい一切妥協を許さず猜疑心に凝り固まっていましたのも奏功し、『こんなうだつの上がらない男を縁切りもせずにどうしてここまで尽くすのだろう』と愛おしさで胸がギュッと締め付けられることがしばしばございまして、成り行きで他の女性への関心が薄れるようになりました。
 この女性の男への尽くし方は、有職故実等の子女教育を受けていないために公私の行事で行き詰ってしまう場面でも、何とかしてこの人の役に立ちたいと、ない知恵を絞りだして急場をしのぎ、教育不足で不得手な分野の習得であっても、絶対に批判されたくないと刻苦勉励し、どの分野、場面であっても細心の注意を払って世話を焼き、万が一にも夫の期待を裏切るようなことがあってはならないと覚悟していますので、四角四面の猪突猛進型の女性とばかり誤解していましたが、あらゆる場面で夫には従順、他人には物腰が柔らかくなり、自分の器量に対しても同様、夫に対しては、素顔を見られたら離縁されかねないと不細工を恥じて化粧を欠かさず、他人に対しては、うっかり顔を合わせると恥をかかされたと夫に思われかねないと、夫に遠慮し、世間体を憚り、同時に一夫多妻制に抗うように貞操を固く守り、付き合い慣れればこの生真面目な性格も悪くはございませんが、どうしても玉に瑕の嫉妬深さだけは生真面目なだけに頑固に守り通しておりました。
 その当時困り果ててひらめきましたのが『そうか、ひたすら従順で極端に離縁を恐れる女性である。この性格を逆手にとって従順だから素直に反省するようなお仕置きをし、離縁を恐れているならちらつかせれば嫉妬深さも幾分ましにもなり、気の強さが嵩じた頑固な性格も和らぐだろう』と期待して、『本当にお前が嫌になった、というように自分に言い聞かせ、別れてやる、と迫真の演技で離縁を迫るならば、夫に従順な性格と相俟って、考えを改めて反省するだろう』と確信がございましたので、わざと愛情が冷めたかのように冷淡な態度を装い、いつものカッとなって夫の不貞を詰りだしたところで、
『こう気性が激しくては、どんなに強い絆で結ばれたお前であっても別れたら最後二度と会うものか。別れる覚悟があるなら、これまで通り社会常識とかけ離れた嫉妬でも何でもするがよい。これからも長く結婚生活を続けたいと願うならば、夫の女性関係に悩むことがあってもじっと我慢して、夫とはこういうものなのだと自分に言い聞かせて、ただひとつ気性の激しさだけ消えてなくなれば、いい女になったと考え直すであろう。他の女性と肩を並べることにもなり、もう少し大人の女性に成長し、性格の良さが伴うのもまた、人並から抜け出し正妻の座に納まる近道となろう』
というように、うまく言いくるめたものだ、と思い込みまして、私が嵩に懸かって畳みかけますと、薄笑いを浮かべて女は、
『何一つこれといった才覚がなく、出世の見込みのないまま見て見ぬ振りをし、いずれ人並みに出世する日も来るだろうと待つ身は、遠い将来のことと覚悟を決めており、少しも苦になりません。あなたの不貞に目をつむり、考えを改める日を見届けようと、この先何年も待たなければならない期待を持ち続けるのは、あなたの出世を待つよりも辛いことでしょうから、それぞれ別れを考える潮時なのでしょう』
と、自分に非がないような言い方なので、怒りが込み上げてきて、憎まれ口を叩きに叩きましたところ、女も一歩も引かない性格でして、急所である指を一本掴むなり引き寄せて、嚙みついたものですから、これ幸いといかにも大げさに『孝経』から屁理屈をひねり出して、
『孝経に〈身体(しんたい)髪膚(はっぷ)、之を父母に受く。敢(あ)えて毀傷(きしょう)せざるは、孝の始めなり〉とあり、このような傷を負って孝に悖(もと)るならば、〈孝を以て君に事(つか)うれば則(すなわ)ち忠〉とある故、陛下に忠誠を尽くせず、そうなれば官僚としてお仕えしようにもできるものではない。散々な言われようの官職や位階も出仕がかなわないのであれば、もうこれ以上どんなことをしても人並みに出世ができようか。〈夫(そ)れ孝は、親に事(つか)うるに始まり、君に事うるに中(ちゅう)し、身を立つるに終る〉のであるから、親と陛下にお仕えできず、立身出世もできないとなれば、世間に顔向けできない身の上で出家するしかあるまい』
とかなんとか、さすが王朝貴族、手を挙げることなく言葉の暴力に訴え、
『さらばじゃ。今日という今日はいよいよ最後となろう』
の捨て台詞で、噛まれた指を労わるように身体を丸めて女の元を後にしました。

『手を折りてあひみしことを数ふればこれひとつやは君がうきふし(あなたに噛まれた痛い指を折って、出会ってからの思い出を数え上げたら、たくさんの思い出の中でたったひとつ、嫉妬深さだけがあなたの嫌なところです)

逆恨みはご免だよ』
なんて和歌を贈ったものですから、どんなに強気でも急に泣き出して、

『うきふしを心ひとつに数へきてこや君が手を別るべきをり(たくさんあるあなたの嫌な面をこの胸ひとつに収めて数え上げた結果、出た結論はあなたの手から離れるよい機会ということです)』

などと和歌で応酬しましても、実際のところ二人の関係に変化が訪れようとは考えていませんでしたが、何日経っても手紙一本書かず、この女から解放されたことで、魅力的な女性を求めあっちこっち尋ね廻っていると、加茂神社の臨時祭の楽人に選ばれ、その練習の調楽で帰宅が夜中になってしまい、雨から雪交じりの霙に変わった11月(新暦12月)の底冷えする夜、調楽の仲間と宮中を退出し散会する門前で、あれこれ思案した結果、このまま住いである親の元に真直ぐ帰る考えは当然あり得ません。内裏のどこかで旅の空寝を気取るのは興醒めだろうし、女性が待っていても気心が知れないのは宮中のひとり寝よりも寒さが身に染みるだろうと考えました次第で、機嫌が直ったかどうか、顔色を窺うついでに、気温の低下で霙が雪に変わった深夜、その雪を払い落しながら、敷居が高くて跨げた義理ではないが、にもかかわらず訪問したのは、今夜逢えばこれまでの不信感が解消するような気がいたしましたので、勝手知ったるで上がり込みますと、寝室の灯火を薄暗くするために壁際に向け、通勤用の糊のきいたゴワゴワの衣服を砧で打って肌触りを良くした冬用の厚手の綿入れを大きな伏籠に被せて香を焚き染め、就寝時に下ろす几帳の帷子などをわざわざ上げて、直感した通り女の方でも今夜の来訪を予期して準備万端整えていた様子です。『こうでなくちゃ』と期待に胸が高鳴ったのに本人は不在です(何のことはない、今夜の来訪を予期していたのではなく別れてからこの方、毎日毎晩、男がいつ戻ってもいいように以前の暮らしを守っていたのですが、男は考え及びません)。留守を任せられる女房だけが泊まり込んで、
『ご主人様はご実家に今夜に限ってお出かけされました』
と答える始末です。私とすれば男に好意を寄せる歌も詠まず、男を誘うような手紙も書かず、ただひたすら家に引き籠り愛情の欠片も感じませんでしたので、すっかり落ち込んでしまい、この情け容赦ない仕打ちも、自ら嫌いになるように仕向ける思惑があるのだろうと、さすがにそこまでは勘ぐることもありませんでしたが、怒りに任せて頭を過りましたのに現実は、翌朝の出勤で着用する着替えの衣服、いつもに増して配慮が行き届いた季節と身分にぴったしの色使いと仕立ての良さがこちらの注文そのままで、きっと私が別れを切り出してからずっと、心配し恥をかかないように身の回りの世話を陰で焼いていたのです。
 ここまで尽くされていながら、尽くされたからこそ二度と別れて見棄てるようなことは絶対にあるまいと甘く考えまして、相変わらず不平不満をぶつけましたのに、反抗することなく、前段でお話しした女性のように夫に探させて困らせようと雲隠れすることもせず、男の顔を潰さないように慎重に言葉を選びながら、
『以前と変わらないお気持ちでしたら黙って見過ごすことは絶対にできません。心を入れ替えて行動を慎もうとお考えでしたら一緒に暮らさないわけではありません』
ときっぱり言い切ったのに、『言葉のうえではそうでも心が離れることはあるまい』と楽観しておりましたので、性懲りもなく反省させるつもりで、『分かった、考え直そう』の一言が出ず、お互い相も変わらず意地を張り合って暮らしている間に、すっかりノイローゼになり焼きもちが嵩じて自身を焼き尽くすように絶命しましたので、体面にこだわり本心を偽るのもほどほどにしないとと思い知りました。信頼できることが最優先の正妻は、このような女性こそ適任であると実感し、思い返されてなりません。日常の些細な行事であっても公式行事の重大な場面であっても有職故実に詳しく相談のし甲斐があり、染色の神である龍田姫と比べても引けを取らず、裁縫の神である織女姫の技量に勝るとも劣らず、有職故実の素養に加え一家の主婦としての能力も兼備し、実に多才でございました」
と言葉に詰まり、本当に気の毒な、と懐かしんでいます。中将の君が口を挟み、
「その織女姫の裁縫の腕前は脇に置くとして、彦星との永遠の夫婦の契りにあやかりたいものです。なるほどその龍田姫の織成す錦にように完璧な世話女房ぶりも例がありません。すぐに散ってしまうような春の桜や秋の紅葉と言いましても、開花したり色付いたりする時期がずれて人目を引かないまま散ってしまうのは、露が一瞬で消えてなくなるのと一緒です。男女の仲も同じで理想の相手でありながらお互いの良さに気付かず、結婚のタイミングを逃すと取り返しがつきませんので妻探しに困難を極める今のご時世というのは、なかなか結婚に踏み切れるものではありません」
と、左馬頭に花を持たせます。

2022.08.04 7 雨夜の品定め本論への導入、複雑怪奇な女心を様々な事例に例える強引な手法

 馬頭(むまのかみ)、物定めの博士(はかせ)になりて、ひひらきゐたり。中将はこのことわり聞きはてむと心入れて、あへしらひゐたまへり。
「よろづのことによそへて思せ。木の道の匠(たくみ)の、よろづの物を心にまかせて作り出だすも、臨時のもてあそび物の、その物と跡も定まらぬは、そばつきざればみたるも、げにかうもしつべかりけりと、時につけつつさまを変へて、今めかしきに目移りて、をかしきもあり。大事として、まことにうるはしき人の調度(てふど)の飾とする、定まれるやうある物を、難(なん)なくし出づることなむ、なほまことの物の上手(じやうず)はさまことに見え分かれはべる。また絵所(ゑどころ)に上手多かれど、墨書(すみが)きに選ばれて、つぎつぎにさらに劣りまさるけぢめふとしも見え分かれず。かかれど、人の見及ばぬ蓬莱(ほうらい)の山、荒海(あらうみ)の怒(いか)れる魚(いを)のすがた、唐国(からくに)のはげしき獣(けだもの)の形(かたち)、目に見えぬ鬼の顔などのおどろおどろしく作りたる物は、心にまかせてひときは目驚かして、実(じち)には似ざらめど、さてありぬべし。世の常の山のたたずまひ、水の流れ、目に近き人の家(いへ)ゐありさま、げにと見え、なつかしく柔(やはら)いだる形(かた)などを静(しづ)かに描(か)きまぜて、すくよかならぬ山のけしき、木深く世離れて畳みなし、け近き籬(まがき)の内をば、その心しらひおきてなどをなむ、上手はいと勢(いきほひ)ことに、わろ者は及ばぬところ多かめる。
 手を書きたるにも、深きことはなくて、ここかしこの、点長(なが)に走り書き、そこはかとなく気色ばめるは、うち見るにかどかどしく気色だちたれど、なほまことの筋をこまやかに書き得たるは、うはべの筆消えて見ゆれど、いまひとたびとり並べてみれば、なほ実(じち)になむよりける。はかなき事だにかくこそはべれ。まして人の心の、時にあたりて気色ばめらむ見る目の情(なさけ)をば、え頼むまじく思うたまへてはべる。そのはじめの事、すきずきしくとも申しはべらむ」
とて、近くゐ寄れば、君も目覚(さ)ましたまふ。中将いみじく信じて、頬杖(つらづゑ)をつきて、向ひゐたまへり。法(のり)の師の、世のことわり説き聞かせむ所の心地するも、かつはをかしけれど、かかるついでは、おのおの睦言(むつごと)もえ忍びとどめずなむありける。

 左馬頭は中将の君の同意を得て、女性評論の専門家然として、左馬頭であるだけに馬がいななくように熱弁を振るいながらどんと構えています。中将の君は左馬頭の女性論を最後まで聴きたいと真剣そのもの、教えを乞う態度で向き合っています。
 左馬頭は調子に乗って、
「女性を論じる際に全く関係のない様々な事例に例えて考えてごらんなさい。宮中お抱えの指物師はどんな家具調度でも思いのままに制作しますが、私的に依頼された普段使いの調度類で、仕様書があってないようなのは、遠目には図面も見ずにここまで仕上げたのかと、流行に合わせてデザインを変化させ、現代風なのが目を引き、中には斬新なのもあります。宮中の公式行事で上皇后や皇后、皇女の祝賀や裳着で儀式を華やかに飾る几帳や屛風の調度類のように、厳格な仕様が決まっている調度品を無難に仕上げる技量があってこそ、やはり正真正銘の名人であり、その製品は他を圧倒しはっきり違いが分かります。
 あるいは宮中の絵所には名人級が何人も仕えていますが、大和絵の下絵の輪郭を描く墨書きに任命されて次から次へと描く絵と、同じ名人級でも墨書きから外れた絵師の絵ではどこが違うのか、上手下手の区別ができず見分けがつきません。しかしながら、大和絵に対し唐絵では、誰も見ることができない蓬莱山や荒れ狂う大海で荒々しく飛び跳ねる大魚、唐の国に生息する獰猛な野獣や本来人間の目には見えないはずの鬼神の表情などをいかにも恐ろしそうに創作した絵は、空想の限りを尽くしてひたすら鑑賞者の意表を突き、実際にはあり得ませんが、唐絵の技法とはそういうものでございます。一方大和絵は写実的で、ありのままの山の景色やその谷間に発する川の流れ、その下流の山里に人が住み居を構えている様子は、現実そのものであり、昔見たことのあるのんびりした山里の風俗を自然に溶け込むように描き添え、遠方にはなだらかな山の様子が描かれ、木々が鬱蒼と繁り、人里から遠く離れ山々が折り重なり、手前の山里の人家は生け垣で囲まれ、内側では生活が営まれ等々、その描写には人の心の温もりまでもが表現されるに及んでは、大和絵の上手名人は描線の筆力に力強さがあり、その他にも唐絵の名人程度では遠く及ばない大和絵ならではの技法がたくさんございます。
 書(漢字)においても事情は同じで、大した技量がなくて、点であれば何でも勢いに任せた連綿体の草書で、いかにも達筆そうなのは、ぱっと見には技量があり熟達の風ではあるが、やはり楷書の一点一画を疎かにせずに書き上げる技量は、派手な筆遣いは影を潜めていても、改めて両方を並べて見比べれば、やはり実力の違いは明らかです。
 技量の優劣程度でもこのような違いがあります。それが女性の心情、何かというと態度が豹変する女心ですから表面的な印象は女性の優劣を測るうえで何の役にも立たないと存じ上げます。女性と付き合い始めた若かりし頃の失敗を物好きと思われようとも申し上げましょう」
と言いながら、いかにも内緒話であるかのように源氏の君の隣に座り直して耳元に近づくと、君も狸寝入りから目覚められます。中将の君は左馬頭への信心が厚く、片膝立ちに頬杖をついて左馬頭に対峙してお座りです。僧侶がありがたい教えを説教するお寺にいるような気分であるのも一風変わっていて悪くはないが、ここが神聖な場であるとすれば、それぞれが秘密にしている女性関係もきっと隠し通せずに白状することになりましょう。

2022.08.02 6 絶対に譲れない妻の条件、真面目で焼きもち焼きでないこと、さらに一夫多妻の社会制度下で女性が生きる道とは?

 「今はただ品にもよらじ、容貌(かたち)をばさらにも言はじ、いと口惜しくねぢけがましきおぼえだになくは、ただひとへにものまめやかに、静かなる心のおもむきならむよるべをぞ、つひの頼みどころには思ひおくべかりける。あまりのゆゑよし心ばせうち添へたらむをばよろこびに思ひ、すこし後れたる方あらむをもあながちに求め加へじ。うしろやすくのどけきところだに強くは、うはべの情(なさけ)はおのづからもてつけつべきわざをや。艶(えん)にもの恥(はぢ)して、恨み言ふべきことをも見知らぬさまに忍びて、上はつれなくみさをづくり、心ひとつに思ひあまる時は、言はむ方なくすごき言(こと)の葉(は)、あはれなる歌を詠(よ)みおき、しのばるべき形見をとどめて、深き山里、世離(ばな)れたる海づらなどに這(は)ひ隠れぬるをりかし。童(わらは)にはべりし時、女房などの物語読みしを聞きて、いとあはれに、悲しく、心深きことかなと、涙をさへなむ落としはべりし。今思ふには、いとかるがるしくことさらびたることなり。心ざし深からむ男をおきて、見る目の前につらきことありとも、人の心を見知らぬやうに逃げ隠れて、人をまどはし心を見むとするほどに、永き世のもの思ひになる、いとあぢきなきことなり。『心深しや』などほめたてられて、あはれ進みぬれば、やがて尼になりぬかし。思ひ立つほどはいと心澄めるやうにて、世にかへりみすべくも思へらず、『いで、あな悲し、かくはた思しなりにけるよ』などやうに、あひ知れる人、来(き)とぶらひ、ひたすらにうしとも思ひ離れぬ男、聞きつけて涙落せば、使ふ人古御達(ふるごたち)など『君の御心はあわれなりけるものを、あたら御身を』など言ふ。みづから額髪(ひたひがみ)をかきさぐりて、あへなく心細ければ、うちひそみぬかし。忍ぶれど涙こぼれそめぬれば、をりをりごとにえ念じえず、くやしきこと多かめるに、仏もなかなか心ぎたなしと見たまひつべし。濁りにしめるほどよりも、なま浮びにては、かへりて悪(あ)しき道にも漂(ただよ)ひぬべくぞおぼゆる。絶えぬ宿世(すくせ)浅からで、尼にもなさで尋ね取りにたらむも、やがてその思ひ出(いで)うらめしきふしあらざらむや。あやしくもよくも、あひ添ひて、とあらむをりもかからむきざみをも見過(みす)ぐしたらむ仲こそ、契り深くあはれならめ、我も人もうしろめたく心おかれじやは。
 また、なのめにうつろふ方あらむ人を恨みて、気色ばみ背かむ、はたをこがましかりなむ。心はうつろふ方ありとも、見そめし心ざしいとほしく思はば、さる方のよすがに思ひてもありぬべきに、さやうならむたぢろきに、絶えぬべきわざなり。
 すべて、よろづのこと、なだらかに、怨(ゑん)ずべきことをば、見知れるさまにほのめかし、恨むべからむふしをも、憎からずかすめなさば、それにつけて、あはれもまさりぬべし。多くはわが心も見る人からをさまりもすべし。あまりむげにうちゆるべ、見放ちたるも、心やすくらうたきやうなれど、おのづからかろきかたにぞおぼえはべるかし。『繋がぬ船の浮きたる』例(ためし)も、げにあやなし。さははべらぬか」
と言へば、中将うなづく。
「さし当りて、をかしともあわれとも心に入らむ人の、頼もしげなき疑ひあらむこそ大事なるべけれ、わが心あやまちなくて、見過(みす)ぐさば、さし直してもなどか見ざらむ、とおぼえたれど、それさしもあらじ。ともかくも、違(たが)ふべきふしあらむを、のどやかに見しのばむよりほかに、ますことあるまじかりけり」
と言ひて、わが妹の姫君は、この定めにかなひたまへりと思へば、君のうちねぶりて、言葉まぜたまはぬを、さうざうしく心やましと思ふ。

 左馬頭は、
「結局結論が出ない現状では、品すなわち家柄を基準にできず、顔の良し悪しなんてこれ以上論じても仕方ありませんし、理想の女性のハードルを下げに下げて、どうしようもなく性格が捻じ曲がっているような印象さえなければ、何ごとにも手を抜かず真面目に取り組み、精神的に安定していてヒステリックでないことが最低基準で、妻選びの最後の砦としてこの一線だけは守り通しましょう。それ以外の洗練された趣味や教養の高さ、気立ての良さのひとつでも備わっていたならば幸運に感謝し、主婦としての能力に若干不足しているとしても無理強いせずにこれ以上求めないことです。真面目であれば安心して家を任せられ、精神的に安定していれば焼きもちに悩まされず、この二点だけ先天的に備わっていれば、後天的な洗練された趣味、高い教養、気立ての良さは後から付いてきますし教育でいかようにもできます。
嫉妬深くない妻であっても、夫の女性関係の事ですから口に出すのも恥ずかしがり、本来であれば当然夫に対し文句のひとつも言いたいところですが、素知らぬ顔でぐっと堪えて、一見夫の浮気には関心なさそうで従順な妻を演じていますが、我慢の限界に達し、表現のしようがないほど女性にはあるまじき汚い言葉遣いの手紙に、夫への恨み辛みを和歌に詠んで書置きし、二人の思い出の品を添えて、人里離れた山奥や陸の孤島ともいえる海辺の寒村に目立たないように身をかがめるようにして隠れ住んでしまう女性がいます。幼い少年時代に、仕えている女房や何かが男に冷遇される恋愛小説を声に出して読んでいるのをまた聞きして、すごく同情してしまい、感情移入で一緒に悲しみ、男と別れ出家したことに『賢明な判断だなあ』と感涙にむせびながら泣いたものです。今考えれば惚れた腫れたの一色で、わざとらしいストーリーです。しかし実際に、妻を愛してやまない夫を捨てて、社会構造上どうしようもない夫の浮気を目の前にして嫉妬に苛まれたとしても、夫の本心から目を逸らすようにしてその元を去り、身を隠して、善良な夫を不安にさせ心を弄ぼうとすればするほど、女の一生を台無しにし、なんともつまらない人生ではありませんか。無責任な赤の他人に『賢明なご判断です』とかなんとか持ち上げられて、感情の赴くままに、最後は尼になったというのが定番です。出家を決意した瞬間は、悩みから解放され心が洗われるように錯覚し、汚れた俗世間に未練があるなどとは思いもよらず、同じ赤の他人が舌の根の乾かぬ内に『どうして、とても寂しいわ、出家なんて思いきったことをなぜなさったの』と異口同音に、顔見知りはさすがにわざわざ足を運んで見舞いを述べるが、本心から嫌いになったわけではない未練が残る男の方はといえば、出家と耳にしてぼろぼろと涙を流すので、使用人や古株の女房は揃って、『ご主人様のお気持ちは少しもお変わりないのだから、無駄にご出家なさらずとも』と口々に言います。
尼そぎにして短くなった前髪を手櫛で確認して、早まったと後悔しても手遅れで、将来が不安になり今にもべそをかきそうです。じっと我慢していましたがとうとう涙がこぼれ出して止まらなくなり、お勤めの時間になっても涙で読経にならず、後悔の念が次々に押し寄せて、御仏も出家しながらこの様では俗人よりもたちが悪いとご覧になるでしょう。俗世間の五濁(ごじょく)といわれる災厄の中で暮らしているよりも、悟りを開くつもりがあるのかどうかはっきりしないのでは、逆に成仏できずに三道といわれる地獄、餓鬼、畜生の世界に迷い込むのではないかとさえ心配になります。
前世から続く結ばれるべくして結ばれた宿縁ですので、出家する前に妻の隠れ家を探し出し連れ戻したとしても、月日を経て忘れたころに裏切られたという屈辱が蘇り許せないと思う時が必ずあるでしょう。夫婦仲が良い悪いにかかわらず、別れずに連れ添って、夫が浮気するごとに、毎回嫉妬に狂いそうになっても黙って見過ごせる夫婦仲だけが切っても切れない夫婦愛というものでしょうし、そうでなければ二人の間に溝ができて不信感が募ることになりましょう。
あるいは、出産が命懸けで、母子ともに危険が伴い乳幼児死亡率が高い古代にあっては、後継者を絶やさないための制度として一夫多妻制が社会構造として定着していたが、頭では理解しているが気持ちの許さないのが女心であっても、夫の女性関係を妻への裏切り行為、浮気と決めつけ、極一般的な子孫繁栄のための女性関係にさえ嫉妬し、血相を変えて離縁を持ち出すとしたら身の程知らずというものです。夫が心変わりしてよその女に関心が移っても、結婚を決意したアツアツのころを忘れていないとすれば、結婚生活の心の支えにしてでも、夫婦を続けるべきであるが、それに迷うようであれば、別れたとしても仕方ありません。
夫婦円満の秘訣で、何があったとしても全てに共通するのは、波風を立てず、皮肉のひとつも言ってやりたいところ、お見通しよ、とほのめかす程度で、腸が煮えくり返る場面でも平静さを装ったならば、その努力が報われ、夫の愛情がより深くなりましょう。夫婦問題のほとんどは、夫の女性関係であっても妻の態度如何で解決してしまうものです。そうは言っても妻が夫に対し、一切干渉することなく自由放任で、相手にしないのも夫にすれば組みやすく愛(う)い奴だろうが、度が過ぎると妻としての存在感が希薄になり気にかけなくなります。『係留していない船は一か所に留まらない』例え話もまんざら嘘ではありません。そうでございましょう」
と見まわすので、中将の君は頷き返します。
 中将の君が、
「一夫多妻の社会制度下の女性にとって、お付き合いしたい、その先結婚してもいいと心に決めた男がとても信頼できそうにない不貞を働くことが最大の関心事だろうが、男を見る目に狂いがなく、男の不貞を見て見ぬ振りをしていたならば、女の良さを見直してひょっとして元の鞘に収まることもあろうか、と考えてはみたが、そんな幸運は滅多にありません。結論としては、夫婦にはすれ違いがつきものであるから、一々一喜一憂せずに夫婦生活をより長く続けること以外にお互いの愛情が深まることはあり得ません」
と締めくくって、自分の妹の葵上と源氏の君の関係は、正にこの通りでいらっしゃる、と確信しているので、分の悪い源氏の君は狸寝入りを決め込み、敢えて議論に加わろうとなさらないのが物足りず、「うまく逃げられた」と不満です。

2022.07.28 5 家の守り主婦の理想は?夫の愚痴を聞くのも妻の務め

 さまざまの人の上どもを語りあはせつつ、
「おほかたの世につけてみるには咎(とが)なきも、わがものとうち頼むべきを選らむに、多かる中にもえなむ思ひ定むまじかりける。
男(をのこ)の朝廷(おほやけ)に仕うまつり、はかばかしき世のかためとなるべきも、まことの器(うつは)ものとなるべきを取り出ださむにはかたかるべしかし。されど、かしこしとても、一人二人世の中をまつりごちしるべきならねば、上(かみ)は下(しも)に助けられ、下は上になびきて、事ひろきにゆづらふらむ。狭(せば)き家の内のあるじとすべき人ひとりを思ひめぐらすに、足らはであしかるべき大事どもなむかたがた多かる。とあればかかり、あふさきるさにて、なのめにさてもありぬべき人の少なきを、すきずきしき心のすさびにて、人のありさまをあまた見合はせむの好みならねど、ひとへに思ひ定むべきよるべとすばかりに、同じくはわが力いりをし、直しひきつくろふべきところなく、心にかなふやうにもやと選(え)りそめつる人の定まりがたきなるべし。かならずしもわが思ふにかなはねど、見そめつる契(ちぎ)りばかりを捨てがたく思ひとまる人はものまめやかなりと見え、さてたもたるる女のためも心にくく推しはからるるなり。
 されど、なにか、世のありさまを見たまへ集むるままに、心におよばず、いとゆかしきこともなしや。君達(きむだち)の上(かみ)なき御選びには、まして、いかばかりの人かはたぐひたまはむ。容貌(かたち)きたなげなく、若やかなるほどの、おのがじしは、塵(ちり)もつかじと身をもてなし、文を書けど、おほどかに言選(ことえ)りをし、墨つきほのかに、こころもとなく思はせつつ、またさやかにも見てしがなと、すべなく待たせ、わづかなる声聞くばかり言ひ寄れど、息の下にひき入れ、言(こと)ずくななるが、いとよくもて隠すなりけり。なよびかに女(をんな)しと見れば、あまり情(なさけ)にひきこめられて、とりなせば、あだめく。これをはじめの難(なん)とすべし。
 事が中に、なのめなるまじき人の後見(うしろみ)の方は、もののあはれ知りすぐし、はかなきついでの情あり、をかしきにすすめる方なくてもよかるべしと見えたるに、またまめまめしき筋(すぢ)を立てて、耳はさみがちに、美相(びさう)なき家刀自(とうじ)の、ひとへにうちとけたる後見ばかりをして、朝夕の出(い)で入りにつけても、おほやけわたくしの人のたたずまひ、よきあしきことの、目にも耳にもとまるありさまを、うとき人にわざとうちまねばむやは。近くて見む人の聞きわき思ひ知るべからむに、語りもあはせばやと、うちも笑まれ、涙もさしぐみ、もしは、あやなきおほやけ腹立たしく、心ひとつに思ひあまることなど多かるを、何にかは、聞かせむと思へば、うち背(そむ)かれて、人知れぬ思ひ出で笑ひもせられ、あはれとも、うちひとりごたるるに、何ごとぞなど、あはつかにさし仰(あふ)ぎゐたらむは、いかがは口惜(くちを)しからぬ。
 ただひたぶるに児めきて柔(やはら)かならむ人を、とかくひきつくろひては、などか見ざらむ。こころもとなくとも、直(なほ)しどころある心地すべし。げに、さし向ひて見むほどは、さても、らうたき方に罪ゆるし見るべきを、立ち離れて、さるべきことをも言ひやり、をりふしにし出でむわざの、あだ事にもまめ事にも、わが心と思ひ得ることなく、深きいたりなからむは、いと口惜しく、頼もしげなき咎(とが)やなほ苦しからむ。常はすこしそばそばしく、心づきなき人の、をりふしにつけて出でばえするやうもありかし」
など、隈なきもの言ひも、定めかねて、いたくうち嘆く。

 あらゆる角度から女性という存在について意見を戦わせていると、左馬頭が例のごとく、
「軽い気持ちで付き合っている分には粗が見えないものの、さて妻に迎えようかという段になって全てを安心て任せられる女性を選び出そうとすると、女性の数が多いだけで、この女性となら、とどうしても決断できません。
 例えるならば男が政治に携わり、将来摂政関白となるべき人材であっても、その中から名実ともに備わった偉大な政治家として嘱望される人材を見つけ出すのは至難の業でございましょう。しかしそのような偉大な政治家がいて、相当優秀だとしても一人や二人の政治家では国家を運営することはできないので、上司は部下に支えられ、部下は上司を信頼して国家の隅々まで目配りできるのでしょう。国家に比べればはるかに狭い家庭の主婦に据えたい女性ひとりを考えあぐねるのは、政治家と違い主婦の替えはありませんので能力に欠けると取り返しのつかない重要な役目が公私にわたりたくさんございます。古歌の文句の「とあればかかり(あれはできるがこれはダメ)」「あふさきるさに(見当違いばかりで要領を得ない)」(『古今和歌集』巻十九、雑躰、俳諧歌)ではないが帯に短し襷に長しで、特に現状は主婦として能力のある女性が枯渇しており、理想の女性を追い求める余り、女性の多様な生態をひとりでも多く体験して比較しようという悪趣味のようであるが、ただもう妻に相応しいかどうか決断するための判断材料にする以外に他意はなく、できることなら自ら手をかけて妻としての欠点を矯正したり庇ったりする必要がない、理想の妻に巡り合えるのではないかと探し始めたものの、この女性ならと決めかねているのが先に申し上げた「多かる中にもえなむ思ひ定むまじかりける」の趣旨でございます。
 奇特な例としては(後の源氏の君のように)、理想の女性とはかけ離れているが結婚当初の約束を後生大事に守り通せる男は、誠実そのものなのでしょうし、そうやって離縁を免れた女性の将来にも配慮しているのだろうと思われてなりません。しかし実際はどうでしょう、世間一般の夫婦の在り方を見聞され実態を知れば知るほど興味が失せ、このような夫婦が理想だと憧れる例も全くありません。お二方のように皇室に連なる方の奥方選びには、より困難が伴い、どのような家柄、才女であったとしても釣り合うことがございません。
 なぜ困難かと申せば、顔立ちは美しくないなんてことは絶対になく、あくまでも若々しく、才能教養は、男出入りの影もない身持ちの良さは当然のこと、教養の一つ、和歌をしたためるにもあいまいな歌語を敢えて用い、筆跡も技量を覚られないようにぼかし、男の気を引く思わせぶりな書き方で、同時に男のはやる気持ちを逆手にとって焦らしに焦らし、顔が見られないならば声だけでも聴かせてほしいと懇願するが、息遣いかと思えるほどかすかな声で、多くを語らないのが欠点を全く知られない秘訣です。か弱くいかにも女性らしいと思うと父性本能で守ってやらねばと深入りし、少しでもおだてると脈ありと見て急に色目を使い始めます。これを女性選びの最初の困難、女難と言います。
 女性選びの最大の鬼門は、一番大切にしなければならない夫の世話の焼き方で、情操過多、何ごとにも大げさに感情移入し、そこまで情感を表に出さなくてもよかろうと思えるのに対し、片や生真面目一方で、家事を優先する余り邪魔な髪を束ねて耳を出し、身だしなみに無頓着な主婦の典型で、化粧気の一つもない古女房然として夫には無関心、朝出勤してから夕方帰宅するまで、一日中宮仕えをしていれば必ず、公私にわたる人間関係で良好な関係や嫌悪な関係を実際に見たり、噂で耳にしても詳細を信頼できない赤の他人に打ち明けることができましょうか。生活を共にしている妻が夫の愚痴を聞き分け、理解できるのであれば、夫の愚痴に付き合ってやろうと一緒に笑ったり、もらい泣きしたりする一方、もし仮に、義憤に駆られて向かっ腹が立つというような、宮仕えでは胸にしまっておけないことが多くあり、思い余ってどうにかして妻に愚痴をこぼしたいところであるが、話しかけようにもそっぽを向かれ、妻に覚られないよう込み上げるものを苦笑いでごまかし、『ああ情けない』とひとりため息をついていると、『どうかしたの』なんて関心なさそうに見上げるだけで立ち上がって夫を迎えようともしないのであれば、なぜこんな女と結婚したのだろうと後悔しても始まりません。
 世話女房に期待できないならばいっそのこと幼さが残るくらい子供っぽくて柔軟性に富んだ女性を付きっきりで引き連れては家事を教え込み、できなければ手を差し伸べて妻に迎えるのも悪くありません。少しくらいできが悪くとも教育のし甲斐があるというものです。なるほど、面と向かって顔を合わせていれば、失敗したとしても可愛らしさに免じて大目に見て見過ごすこともできましょうが、夫のいない間は、片付けてほしい仕事を事細かに言い置き、季節ごとに執り行う年中行事では、私的な内向きの行事や公式の外向きの行事を問わず、出来栄えに期待通りと納得することがなく、若くて経験が浅いために想像力が働かないのは、なんとも致命的で、信頼が置けないという欠点は、やはり夫として辛いところです。逆に付かず離れず、いつもはどちらかと言うと余所余所しいくらいで、夫に関心のなさそうな妻がTPOを弁えて見事に夫の面目を施す場合もあるでしょう」
とあれやこれや、隙のない持論ではあるが、結局、冒頭の「おほかたの世につけてみるには咎(とが)なきも、わがものとうち頼むべきを選らむに、多かる中にもえなむ思ひ定むまじかりける」に立ち戻ってしまい結論に至らず、ひどく落ち込んでいます。

2022.07.26 4 夕顔への伏線

 「もとの品、時世(ときよ)のおぼえうち合ひ、やむごとなきあたりの、内々(うちうち)のもてなし、けはひ後(おく)れたらむはさらにも言はず、何をしてかく生ひ出でけむと、言ふかひなくおぼゆべし。うち会ひてすぐれたらむもことわり、これこそはさるべきこととおぼえて、めづらかなることと心も驚くまじ。なにがしが及ぶべきほどならねば、上(かみ)が上(かみ)はうちおきはべりぬ。
 さて世にありと人にしられず、さびしくあばれたらむ葎(むぐら)の門(かど)に、思ひの外(ほか)にらうたげならむ人の閉ぢられたらむこそ限りなくめづらしくはおぼえめ、いかで、はたかかりけむと、思ふより、違(たが)へることなむ、あやしく心とまるわざなる。父(ちち)の年(とし)老いものむつかしげにふとりすぎ、兄(せうと)の顔にくげに、思ひやりことなることなき閨(ねや)の内に、いといたく思ひあがり、はかなくし出でたることわざもゆゑなからず見えたらむ、片かどにても、いかが思ひの外(ほか)にをかしからざらむ。すぐれて瑕(きず)なき方の選びにこそ及ばざらめ、さる方にて捨てがたきものをば」

とて、式部を見やれば、わが妹どものよろしき聞こえあるを思ひてのたまふにやとや心得らむ、ものも言はず。
「いでや、上の品と思ふにだにかたげなる世を」
と、君は思すべし。白き御衣(ぞ)どものなよよかなるに、直衣(なほし)ばかりをしどけなく着なしたまひて、紐(ひも)などもうち捨てて、添ひ臥したまへる、御灯影(ほかげ)いとめでたく、女にて見たてまつらまほし。この御ためには上(かみ)が上を選(え)り出でても、なほあくまじく見えたまふ。

 左馬頭は続けて、
「本来の高い家格に加え時流にも乗るという相乗効果に恵まれた上流階級でありながら、すなわち経済力があるのに家庭内の躾や情操教育に手抜きがあったとしたらもう救いようがなく、どのような育て方をしたらこのような女性になるのかと、親の顔が見たいとはこのこと呆れてものが言えません。高い家格と羽振りの良さが揃っていて、教育が行き届いているのも何ら不思議はなく、教養豊かな女性に成長するのも当然のことと考え、どんなに優れた女性であっても、希少な存在だとはだれも驚きません。私程度の男が口にするのも畏れ多いので、さらに上流のその上、源氏の君や中将の君が関係されている皇室にはとても言及できません。
 その反対で目立たずにひっそりとした貧しい暮らしぶりで、どの男にも全く存在を知られず、人気もなく崩れかけた雑草が生え放題の正門の内に、期待もしていなかった年ごろの可愛らしい女性が門を閉ざして隠れ住んでいるのこそ本当に希少な例と申せましょうし、なぜ、このように素敵な女性がこんな生活に甘んじているのか、と想像をはるかに超えて、逆に興味が湧くというものです。このような家では決まって父親が高齢で頑固、ブクブクと太りだらしなく、再婚相手との間に晩年に誕生した娘には、異母兄弟の兄がいて似ても似つかない不細工な顔立ちで覇気がなく、誰もが想像に難くない例の塗籠の奥の寝室で、娘がひとりだけ毅然として上流階級の誇りを失わず、経済的理由から先生に就けず、見よう見まねで始めた和歌や琴の演奏も素人の手慰みのレベルを超え、才能の片鱗を垣間見ただけでもこのような境遇の娘であるならば、どうしてその意外性に魅力を感じないことがありましょう。完璧で非の打ちどころのない女性をお求めならば該当しませんが、中流階級の娘の中から選ぶとなれば、このような埋もれた女性も無視することはできません」
と言って式部丞に目配せすると、「私の異母妹たちで父の再婚相手の出自が受領階級でありながらちょっと評判になっているのを念頭におしゃっているのだろう」と納得顔で黙って聞き流しています。「それも一理あるが、私の妻のように上流階級の出身であるからと期待していたが、期待通りにならないのが常であるとすれば、中流階級ならまして」と源氏の君はお考えなのでしょう。真っ白で手触りの良い最高級の絹の重ね着の上に、蒸し暑いこともあって袴を着けずに直衣だけを羽織るように寛いだ着こなしをされ、袴紐と脇紐の四本はわざと結ばずに、塗籠の壁を背もたれにしていらっしゃる、灯火に映し出されるお姿は妖艶で、女房装束を着せてみたいものでございます。源氏の君に釣り合うとすれば、上流階級のさらに上、並の皇女を娶せたとしても藤壺宮のような女性でなければまだ不釣り合いなくらいでございます。

2022.07.23 3 選ぶなら中流の受領階級の娘一択

「なり上(のぼ)れども、もとよりさるべき筋(すぢ)ならぬは、世人(よひと)の思へることもさは言へどなほことなり。また、もとはやむごとなき筋なれど、世に経(ふ)るたづき少なく、時世(ときよ)にうつろひて、おぼえ衰へぬれば、心は心として事足らず、わろびたることども出でくるわざなめれば、とりどりにことわりて、中の品にぞおくべき。
 受領(ずりやう)といひて、人の国のことにかかづらひ営みて、品定まりたる中にも、またきざみきざみありて、中の品のけしうはあらぬ選(え)り出でつべきころほひなり。なまなまの上達部よりも、非参議の四位どもの、世のおぼえ口惜しからず、もとの根ざしいやしからぬ、やすらかに身をもてなしふるまひたる、いとかわらかなりや。家の内に足らぬことなど、はたなかめるままに、省(はぶ)かずまばゆきまでもてかしづけるむすめなどの、おとしめがたく生(お)ひ出づるもあまたあるべし。宮仕へに出で立ちて、思ひがけぬ幸(さいは)ひ取り出づる例(ためし)ども多かりかし」など言へば、
「すべてにぎははしきによるべきなむなり」とて、笑ひたまふを、
「他人(ことひと)の言はむやうに心得ず仰せらる」
と中将憎む。

 左馬頭は、
「大出世したからといってどこの馬の骨とも分からない家柄では、伝統と格式を重んじる貴族社会の風当たりは、位階が高いだけでは決して甘くはありません。もう一方の伝統と格式が申し分なくても、現状に胡坐をかいて処世術に無頓着、時勢の変化に翻弄されて貴族社会から忘れられた存在になれば、自尊心だけはどんなに高くても経済的に困窮し、体面を飾ることもできないというのがお決まりのコースなので、どちらも一長一短があり、中流の家柄、すなわち受領階級の娘に価値を置くべきでしょう。
 受領といえば地方の県知事クラスと蔑む向きもありますが、一国一城の主として県政に邁進し、中流と一概にいうものの、上国、中国、下国の違いがあって、同じ中流でも上国と中国の受領は、娘を妻に選べるくらい実力を蓄えています。中途半端な三位以上の上達部なんかよりも、閣僚経験はないが上国の受領を歴任した四位といえば、政権中枢も一目置き、四位の位階を代々維持し続け、その経済力を背景にして安定した生活をしながら閣僚との関係も悪くはないとなれば、なんともあっぱれな世渡り上手となりましょう。家計を維持するにも経済的に困ることが一切なく、子女教育に財を惜しまずこれでもかというくらい注ぎ込んだ娘であるならば、文句のつけようがなく年ごろを迎えた例が吐いて捨てるほどあります。例えば母上の桐壺更衣のように出仕が縁で破格の幸運を射止める例が少なくありません」
などと語るものだから、源氏の君は、
「何事も魚がいない池に釣り糸を垂れても釣れないように、優れた女性が多くいる中流階級に照準を合わせるのですね」
と応えて思わせぶりな笑みをこぼすので、
「他人行儀な言い方で私を無視したおっしゃり様ですね(わかるように説明してください)」
と頭中将はご立腹です。

2022.07.19 2 雨夜の品定め序章、頭中将が口火を切る理想の女性とは?―紫式部の女性論=男性論―

 長雨(ながあめ)晴(は)れ間(ま)なきころ、内裏(うち)の御物忌(ものいみ)さしつづきて、いとど長居(ながゐ)さぶらひたまふを、大殿にはおぼつかなくうらめしく思したれど、よろずの御よそひ、何くれとめづらしきさまに調(てう)じ出(い)でたまひつつ、御むすこの君(きみ)たち、ただこの御宿直所(とのゐどころ)に宮仕(みやづかへ)をつとめたまふ。
 宮腹(みやばら)の中将は、中に親しく馴れきこえたまひて、遊び戯(たはぶ)れをも人よりは心やすくなれなれしくふるまひたり。右大臣(みぎのおとど)のいたはりかしづきたまふ住(す)み処(か)は、この君もいとものうくして、すきがましきあだ人なり。里にても、わが方のしつらひまばゆくして、君の出(い)で入りしたまふにうち連れきこえたまひつつ、夜昼(よるひる)学問をも遊びをももろともにして、をさをさ立ちおくれず、いづくにてもまつはれきこえたまふほどに、おのづからかしこまりもえおかず、心の中(うち)に思ふことも隠しあへずなむ、睦(むつ)れきこえたまひける。
 つれづれと降り暮らして、しめやかなる宵(よひ)の雨に、殿上にもをさをさ人少なに、御宿直所も例よりはのどやかなる心地するに、大殿油(おほとなぶら)近くて、書(ふみ)どもなど見たまふ。近き御厨子(みづし)なるいろいろの紙なる文(ふみ)どもを引き出でて、中将わりなくゆかしがれば、
「さりぬべきすこしは見せむ、かたはなるべきもこそ」
と、ゆるしたまはねば、
「その、うちとけてかたはらいたしと思されむこそゆかしけれ。おしなべたるおほかたのは、数ならねど、ほどほどにつけて、書きかはしつつも見はべりなむ。おのがじしうらめしきをりをり、待ち顔ならむ夕暮(ゆふぐれ)などのこそ、見どころはあらめ」
と怨(ゑん)ずれば、やむごとなくせちに隠したまふべきなどは、かやふにおほぞうなる御厨子(みづし)などにうち置き、散らしたまふべくもあらず、深くとり置きたまふべかめれば、二の町の心やすきなるべし、片はしづつ見るに、
「よくさまざまなる物どもこそはべりけれ」
とて、心あてに、
「それか」
「かれか」
など問ふなかに、言ひあつるもあり、もて離れたることをも思ひ寄せて疑ふもをかしと思せど、言少(ことずく)なにて、とかく紛らはしつつとり隠したまひつ。
「そこにこそ多くつどへたまふらめ。すこし見ばや。さてなむ、この厨子(づし)も快(こころよ)く開くべき」
とのたまへば、
「御覧じどころあらむこそかたくはべらめ」
など聞こえたまふついでに、
「女の、これはしもと難(なん)つくまじきはかたくもあるかなと、やうやうなむ見たまへ知る。ただうはべばかりの情に手走り書き、をりふしの答(いら)へ心得てうちしなどばかりは、随分(ずいぶん)によろしきも多かりと見たまふれど、そも、まことにその方を取り出でむ選びに、かならず漏るまじきはいとかたしや。わが心得たることばかりを、おのがじし心をやりて、人をばおとしめなど、かたはらいたきこと多かり。親など立ち添ひもてあがめて、生(お)い先籠(こも)れる窓の内なるほどは、ただ片かどを聞きつたへて、心を動かすこともあめり。容貌(かたち)をかしくうちおほどき若やかにて、紛るることなきほど、はかなきすさびをも人まねに心を入るることもあるに、おのづから一つゆゑづけて、し出づることもあり。見る人後(おく)れたる方をば言ひ隠し、さてありぬめき方をばつくろひてまねび出だすに、それしかあらじと、そらにいかがは推しはかり思ひくたさむ。まことかと見もてゆくに、見劣りせぬやうはなくなむあるべき」
と、うめきたる気色(けしき)も恥づかしげなれば、いとなべてはあらねど、我も思(おぼ)しあわすることやあらむ、うちほほ笑みて、
「その片かどもなき人はあらむや」
とのたまへば、
「いとさばかりならむあたりには、誰かはすかされ寄りはべらむ。取る方なく口惜(くちを)しき際(きは)と、優(いう)なりとおぼゆばかりすぐれたるとは、数ひとしくこそはべらめ。人の品たかく生(む)まれぬれば、人にもてかしづかれて、隠るること多く、自然(じねん)にそのけはひこよなかるべし。中の品になむ、人の心々おのがじしの立てたるおもむきも見えて、分かるべきことかたがた多かるべき。下(しも)のきざみといふ際(きは)になれば、ことに耳立たずかし」
とて、いとくまなげなる気色(けしき)なるも、ゆかしくて、
「その、品々やいかに。いづれを三つの品におきてか分くべき。もとの品たかく生(む)まれながら、身は沈(しづ)み、位みじかくて人げなき、また直人(なほびと)の上達部(かむだちめ)などまでなり上(のぼ)り、我は顔にて家の内を飾り、人に劣らじと思へる、そのけぢめをばいかが分くべき」
と問ひたまふほどに、左馬頭(ひだりのむまのかみ)、藤式部丞(とうしきぶのじよう)御物忌(ものいみ)に籠(こも)らむとて参れり。世のすき者にて、ものよく言ひとほれるを、中将待ちとりて、この品々をわきまへ定めあらそふ。いと聞きにくきこと多かり。

 長雨で晴れ間からすっかり遠ざかっている五月の梅雨の季節に、宮中の御物忌がたまたま連続してあり、源氏の君はこの間ずっと宮中に滞在されていたので、左大臣邸では、お帰りになるのが待ち遠しく、物忌み期間が長いのを逆恨みされていましたが、公私の別なく宮中の行事に応じて全てのご衣裳を、どんな小物であっても誰も身に着けたことがないくらいに趣向を凝らして新調し、源氏の君の元にお届けになりながら、お使い役の左大臣家の公達は、源氏の君が宿直されている宿直室の淑景舎との往復を仕事とするくらいに頻繁に出入りしています。
 左大臣の正妻である陛下の同母妹が儲けた中将の君は、源氏の君と従兄弟同士で、皇統に連なる血筋ですから、中将の君の異母兄弟とは別格で、源氏の君に遠慮がなく、年長でもあることからいかにも馴れ馴れしくお付き合いされ、遊宴の席での悪戯(いたずら)も他の兄弟に比べ高貴な身分であるのをいいことに源氏の君に対し全く遠慮というものがありません。右大臣が心血を注いでお仕え申し上げている新居の右大臣邸は、源氏の君同様、中将の君も右大臣に遠慮して肩身が狭く、外に女性がいるような浮気者です。中将の君の実家である左大臣邸でも嫡男であるご自身の部屋は、異母兄弟とは別格で、家具調度を金銀細工で趣向を凝らし、源氏の君が左大臣邸から出勤し、帰宅される際には必ずお供申し上げて、勤務明けの夜間に開催される遊宴でも、大学にお通いになる昼間の学問でも必ず連れ立って、学問でも楽器の演奏でも全く引けを取らず、公私のどのような場面でもうち揃ってご一緒していると自然、遠慮というものがなくなり、お互いに何を考えているのかも以心伝心で隠し事ができない仲良しでいらっしゃいます。
 しとしとと降り続けて一日が終わり、茹だるような蒸し暑さが去った夕暮れ時も雨模様で宮中の御物忌と相まって、昼間は若い蔵人が詰めている殿上間も人影がまばらとなり、源氏の君が宿直室に充てていらっしゃる淑景舎もいつもより人の出入りが少なく静かで集中できるので、燈火を引き寄せ、漢籍を何冊か紐解かれます。例のごとく中将の君もご一緒で、手近にある御厨子棚に納められた多種多様の料紙に包まれた手紙のいくつかを引っ張り出して、中将の君はむやみやたらと読みたがるので、
「差し障りのない手紙ならば少しはお見せしても構わないが、見苦しい手紙もきっとあるだろうから」
とお許しになりませんので、
「あなたがおっしゃる、夢中になったのに結局振られてしまい、しくじった、と後悔されているやり取りを拝見したいのです。相思相愛のうまくいった手紙ならば数はそう多くはありませんが、私程度の男でもやり取りをして実際読むことができます。お互いに不実をなじり合う一連のやり取りとか、日が暮れてあなたの訪れが待ちきれない切ない女性の手紙ならば読み甲斐があるというものです」
と不満顔なので、身分を明かせない高貴な方の絶対に見せられない手紙であったなら、こうした人目につく御厨子棚に無造作に捨て置くようにお片付けなさらないはずがなく、塗籠のような奥まった部屋で厳重に管理されていらっしゃるでしょうから、大切な手紙は一の町である部屋の奥に、どうでもよい手紙は雑用のついでに居間である二の町にそのまま放置している安心感からでしょう、中将の君が一通一通読み始めて、
「よくしたもので、身分家柄を問わず、女性一通りのお手紙がここに揃っています」
と言って、その筆跡から思い付くままに、
「あの方でしょうか」
「こちらの方かな」
なんて勘ぐっている中には、的中させた、すなわち中将の君とも手紙を交わしている女性もいれば、全く見当違いの女性なのに勝手な思い込みで自分と二股をかけているのではないかと怪しむのも滑稽に見えてなならいのだが、敢えて無言を通して、話題を逸らしながらいかにも大事な手紙らしく、御厨子棚の奥に入れてしまわれました。
「あなたこそ手元に多方面の女性から手紙が山のように届いていることでしょう。ちらっとでも拝みたいものです。それと引き換えなら、御厨子棚のカギを気持ちよく開けてさっき仕舞い込んだ手紙をお見せしましょう」
とおっしゃるので、
「あなたに読んでいただけるような価値のある手紙は残念ながらございません」
なんて言い訳を申し上げたのが枕になり、
「これまで付き合った女性で、この方なら完璧だ、と文句のつけようのない女性には出会えないものだと、付き合いを重ねてやっとわかりました。ある女性は遊びのつもりで手紙も走り書き、あるいはTPOを弁えて応対の仕方を変える程度は、割とできている方も少なくないとは存じますが、そのような教育の行き届いた女性で、長所だけを見てあげて交際の相手に選び出そうとしても絶対に選から落ちない女性はひとりとしてなく、全員落選です。その長所ですが、自分の得意分野だけをどの方も自慢するならまだしも、ライバルと目される女性をけなすばかりで、辟易させられる場合が少なくありません。両親がつきっきりで手取り足取り世話を焼き、成人した暁には、箱入り娘として深窓の令嬢然としているのは、才能の片鱗を風の噂で耳にして興味を惹かれることもないわけではありません。また、たいへんな美人で天真爛漫、年も若く、遊びに気を取られることがなければ、花嫁修業程度の和歌と書、琴の習い事でも先生を真似る範囲で熱心に学ぶこともあれば、自発的に和歌と書、琴の中の一つを物にしようとして奮起し、一流の域に達する場合もあります。あるいは、両親はそうでなくても周りの付き人が欠点を隠して言わず、長所はといえば、よりよく見せようとして誇張し、盛った話をそのまま伝えるので、「そんなうまい話はないだろう」、と根拠もなく実際はこうだろうと推測して非難がましく口に出して言えましょうか。風の噂を信じてしばらくお付き合いしていると、想像していた通りという例は一例もないというのが現実です」
と、嘆いて見せる様子が自信満々で、全く同じ体験をしたというのではないが、源氏の君ご自身も思い当たる節がおありなのでしょう、苦笑いしながら、
「才能の片鱗もない女性は付き合った中にいますか」
と問われるので、
「おっしゃるように取り柄の全くない女性の周辺には、どこのどいつが罠にはまって近付きましょうか。魅力に欠けた極端にできの悪い女性の例と、魅力がある中でも優良可でいえば優の部類に入ると思えるような最上級の女性の例では、その数は同数で、どちらも希少です。三位以上の高貴な家柄に生まれたとすれば、両親が十分な子女教育を施して大事にし、例え玉に瑕があったとしてもほとんどの場合人目につかず、どうしたって神秘のベールに包まれた最上位の存在です。四位五位の受領階級である中流の家柄にこそ、女性がそれぞれ努力を重ね親のお仕着せではない主体的に確立した個性が現れて、個性がそれぞれに際立っていることが多く見受けられます。六位以下の下流階級となれば、全く関心がございません」
と論じて、一分の隙も無いような持論であるのにも興味が湧いて、
「それら上中下ではどの階級を選びましょうか。どのような家柄をこの三階級に当てはめて分類できるのですか。例えば、もともとの家柄が三位以上で上流階級の出身であっても、今は没落してしまい、位も中流に甘んじて誰も相手にしない落ち目の三度笠に対し、一方で四位五位の中流階級の家柄の出身でありながら三位以上の上達部にまで出世し、鼻高々に邸宅の家具調度を豪華に飾り立て、誰にも負けてなるものかと気負っている成金と、その境界線をどこに引けばいいのですか」
と問いただしているちょうどその時、女性関係豊富なベテランの左馬頭、藤式部丞も御物忌に籠ろうとして参内しました。二人は天下の遊び人で、世情に通じて理路整然と話すので中将の君は待ち構えていて、この三階級の違いを明確にするために論争を始めます。女性としては耳を塞ぎたくなるような指摘も少なくありません。

2022.07.14 『源氏物語』にみる安倍晋三元総理大臣暗殺の構図

 安倍晋三元総理大臣が凶弾に倒れるまでの足跡と結末が『源氏物語』の構図そのままであり、権力闘争の熾烈な一面を物語っていますが、権力闘争の結果、誰もが凶弾に倒れ非業の死を遂げるわけではありません。主権者の意思を体現した時に不幸は突如として訪れることを『源氏物語』は示唆しています。同時に主権者の意思の体現者が非業の死を遂げたとしても、その意思がやがては実現することを紫式部は予言しています。
 桐壺帝の最愛の妻、桐壺更衣が敵対勢力の右大臣一派、その先頭に立つ弘徽殿女御の執拗な誹謗中傷に遭い、それでも失脚に追い込めないと分かると実力行使、すなわち壮絶ないじめによって失脚を図ろうとします。しかし桐壺更衣は耐えに耐えて光源氏という玉のような皇子を授かりますが、皇子の誕生によってより苛烈となったいじめで心身を消耗し、遂に還らぬ人となります。
 右大臣一派が桐壺更衣の失脚を画策した理由は明快です。弘徽殿女御の儲けた第一皇子の立太子が危ぶまれるからです。なぜこのように桐壺更衣を危険視したかといえば、陛下のご寵愛が更衣ひとりに集中してしまったからです。更衣への愛がその他多勢の妻と同等であれば問題は起こりません。
 天皇陛下は国家の主権者です。陛下は国家の主権者ですが、妻の父親である外戚に憚って、その地位に応じて愛情を注ぎ分けなければなりません。ここには主権者としての陛下の意思は働きませんが、桐壺更衣を得ることによって陛下の意思が発動され、更衣以外の妻を愛せなくなってしまいます。
 桐壺帝はなぜ桐壺更衣に惹かれたのでしょう。更衣には有力な外戚が存在しなかったからです。更衣の父親である大納言は、更衣入内前に逝去しています。外戚が国家権力を独占する摂関政治体制は、天皇を支える強力な政治体制であると同時に、主権者である天皇の意思、すなわち天皇親政を阻む抵抗勢力ともなり得ます。
 桐壺帝が更衣を寵愛した背景には、天皇親政という外戚に頼らない政治を夢見たことがあります。更衣との間に皇子が誕生し、将来天皇に即位させることができれば、今上帝の父親として桐壺帝が国政の実権を握ることができます。摂関政治の外戚の地位に上皇が取って代わることを意味し、平安末期の院政を彷彿とさせます。
 しかしこのような陛下の意思を摂関家が容認するはずがありません。陛下が意思を通そうとした結果、最愛の妻が落命しました。これ以上天皇親政にこだわるならば、最愛の皇子である光源氏の命も危険に曝されます。命には代えられません。臣籍に降下し源氏姓を賜うことによって妥協します。
 臣籍に降下させたものの光源氏に対する陛下のご寵愛は、朱雀帝に譲位された後も衰えることなくより深くなり、桐壺更衣に対する警戒感同様、朱雀帝の外祖父、右大臣によって光源氏は失脚、明石に蟄居させられます。右大臣は、光源氏を皇籍復帰させ、即位させる意思を上皇に見たからです。
 光源氏は継母の藤壺宮との間に不義の皇子を儲けます。この皇子が冷泉帝として即位することによって光源氏が復権し、太上天皇として国家権力を掌握、摂関家から皇室に権力を取り戻し、天皇の主権を回復、桐壺帝が夢見た親政政治の幕が開かれます。
 平安時代の国家の主権者は天皇陛下ですが、大東亜戦争後、国家の主権は国民に移行しました。主権者は国民ですから、選挙権のある18歳以上の国民とは限りません。18歳は選挙権という主権を行使できる権利を得た年齢です。
 1億2千万人の国民、主権者の多くがある特定の政治家を支持することは滅多にありません。主権者である桐壺帝が更衣や光源氏だけを寵愛したようにです。ところが現代に光源氏が蘇りました。安倍晋三元総理大臣です。
 銃撃現場や通夜・告別式の葬儀会場、全国の記帳所に安倍晋三元総理大臣のご逝去を悼む主権者である国民の列が絶えません。このことが証明するのは、安倍晋三元総理大臣が国民主権者の寵愛を一身に受けていたということです。なんと危険なことか。
 国民主権者に政策が支持され、絶大な人気を得ていることは、その政策が実現されるということです。人気のない政治家がどのような崇高な政策を訴えても実現の可能性はありませんので敵対勢力には痛くも痒くもありません。国民主権者に寵愛されて初めて、その政策は実現します。
 安倍晋三元総理大臣は国民主権者に寵愛され、その政策の実現が目前に迫っていました。戦後レジームからの脱却、憲法改正と自衛隊明記、自由で開かれたインド太平洋、自由と民主主義の世界等々、人類の課題ともいえる政策に果敢に挑戦し、今まさに実現しようとするその時。
 安倍晋三元総理大臣に敵対する勢力、これらの政策を受け入れられない勢力にとって安倍晋三元総理大臣の人気が恐怖でした。敵対勢力は始め、誹謗中傷の嵐で安倍晋三元総理大臣の人気を奪い、失脚に追い込みもうとしましたが、全く効果がありません。桐壺更衣をいじめ殺し、光源氏を失脚させて天皇親政の目を摘み取ったように、安倍晋三元総理大臣の暗殺によって政策の実現を阻止しようとしました。
 SNS上の情報ですが、安倍晋三元総理大臣は「畳の上では死ねないだろう」とおっしゃっており、ご自身に対する国民主権者の支持の高さが故ケネディ大統領や故ジョンレノンの姿と重なったに違いありません。ケネディ大統領やジョンレノンに人気、すなわち国民の支持がなければどんなに政策や思想が崇高でも敵対勢力の恐怖にはなり得ません。斃れられた映像でも一発目の銃声では全く怯んでいらっしゃいません。常在戦場、この瞬間を覚悟されてたような気高さを拝察しました。
 またSNS上の情報で恐縮ですが、昭恵夫人は「たくさん種をまいたのでこれから芽吹くでしょう」とおっしゃっています。至言です。
 イエスキリストは処刑され、復活し再生しています。時のローマ皇帝は、その思想を恐れたのではなくその人気に恐怖したのでしょう。しかしイエスキリストは復活して再生、今日のキリスト教の隆盛を築いています。安倍晋三元総理大臣も必ず復活し、拡大再生産され、掲げられた政策の全てが実現することでしょう。
 イエスキリストの魂は、思想として信者の魂に受け継がれ復活しました。その言行録は福音として拡散し、イエスキリストの謦咳に接したこともないより多くの人々に思想を伝播させました。この福音は時空を超え今日に至っています。
 安倍晋三元総理大臣の言行録は映像とともにSNSに拡散し、時空を超えて拡散し続けることでしょう。これはまさに現代の福音です。安倍晋三元総理大臣の謦咳に接することのできた国会議員や地方議員の皆さんに安倍晋三元総理大臣の魂が受け継がれ、そして安倍晋三元総理大臣を愛してやまない国民主権者の間にも安倍晋三元総理大臣の魂が宿り、それぞれの国民主権者ひとり一人の中に復活し、拡大再生産され続けています。安倍晋三元総理大臣の掲げた政策が実現する日は近いでしょう。
 安倍晋三元総理大臣を暗殺した敵対勢力は、今後眠れない夜を過ごすに違いありません。敵対勢力の計算違いは、安倍晋三元総理大臣を寵愛しているのが国民主権者のみならず、世界各国に及んでいることです。安倍晋三元総理大臣は命を賭してこの潮流を奔流に大きく変えました。奔流となってしまった以上、誰にもこの流れは止められません。安倍晋三元総理大臣の意思と政策を引き継ぐ国会議員の皆さんは敵対勢力に怯むことなく、その実現に邁進してください。国民主権者と世界各国が皆さんの背中を押しています。反対に敵対勢力の命運は今まさに尽きようとしています。

2022.07.13 1 光源氏失脚への伏線、母桐壺更衣追い落としと同じ誹謗中傷の手口

 光る源氏、名のみことごとしう、言ひ消(け)たれたまふ咎(とが)多かなるに、いとど、かかるすき事どもを末の世にも聞きつたへて、かろびたるなをや流さむと、忍びたまひける隠(かく)ろへごとをさへ、語り伝へけむ人のもの言ひさがなさよ。さるは、いといたく世を憚(はばか)り、まめだちたまひけるほど、なよびかにをかしきことはなくて、交野(かたの)の少将には、笑はれたまひけむかし。
 まだ中将などにものしたまひし時は、内裏(うち)にのみさぶらひようしたまひて、大殿には絶え絶えまかでたまふ。「忍ぶの乱れ」やと疑ひきこゆることもありしかど、さしもあだめき目馴(めな)れたるうちつけのすきずきしさなどは好ましからぬ御本性(ほんじやう)にて、まれにはあながちにひき違(たが)へ、心づくしなることを御心に思(おぼ)しどどむる癖(くせ)なむあやにくにて、さるまじき御ふるまひもうちまじりける。

 高麗の人相見が源氏の君七歳の時に付けたと言い伝えられている渾名「光る君」は成人するに及んで「光源氏」となり、この大げさな名前だけがはた迷惑なことに独り歩きしてしまい、表沙汰におできになれない若気の至りとも言える色恋の失敗がほとんどですが、針小棒大に過失のようなその顛末を孫子の代まで詮索しては言い伝え、軽薄の謗りを免れない浮名を広めて光源氏を失脚させようとして、人目を避けてお付き合いされている禁断の恋のお相手までも語り草にしようとした政敵のやり口の容赦ないことと言ったら。そうですとも、母桐壺更衣が「きりつぼ」の巻冒頭で「すぐれて時めきたまふありけり(誰よりも目立っている)」と評されたように、母の二の舞を避けようとして、とにかく目立たないように、品行方正に徹していらっしゃいますので、器用に女性とお付き合いすることはなくて、「光源氏」の渾名は看板倒れかと、あの好色な、散逸物語に登場する交野の少将にかかったら笑い者にされること必定です。
 光源氏がまだ中将程度の官職にとどまっていた若いころは、宮中での宿直を率先してなさり、新妻の待つ左大臣邸には、滅多にお帰りなさいません。古歌の文句「忍ぶの乱れ(浮気)」(『伊勢物語』)かと、疑いの目を向ける女房もいましたが、主人公の在原業平よろしくあのように浮気性でお決まりの行きずりの恋には全く興味を示されない、持って生まれた真面目一方の性質(たち)でいらっしゃいますが、時には羽目を外されることがあり、、誠心誠意女性に尽くすことをお誓いになっている独りよがり、猪突猛進が仇となって、思いがけない恋の帰結、空蝉や夕顔の例に見るような失恋も散見されます。

きりつぼ

2022.07.12 17 新妻を愛せない源氏の君の葛藤

 源氏の君は、上(うえ)の常に召しまつはせば、心やすく里住みもえしたまはず。心のうちには、ただ藤壺の御ありさまを、たぐひなしと思ひきこえて、さやうならむ人をこそ見め、似る人なくもおはしけるかな、大殿(おほいどの)の君、いとをかしげにかしづかれたる人とは見ゆれど、心にもつかずおぼえたまひて、幼(をさな)きほどの心ひとつにかかりて、いと苦しきまでぞおはしける。大人(おとな)になりたまひて後(のち)は、ありしやうに、御簾(みす)の内にも入れたまはず。御遊びのをりをり、琴(こと)笛(ふえ)の音(ね)に聞こえ通ひ、ほのかなる御声を慰(なぐさ)めにて、内裏(うち)住(ず)みのみ好ましうおぼえたまふ。五六日(いつかむいか)さぶらひたまひて、大殿に二三日(ふつかみか)など、絶え絶えにまかでたまへど、ただ今は、幼き御ほどに、罪なく思しなして、いとなみかしづききこえたまふ。御方々の人々、世の中におしなべたらぬを、選りととのへすぐりてさぶらはせたまふ。御心につくべき御遊びをし、おほなおほな思しいたつく。
 内裏には、もとの淑景舎(しげいさ)を御曹司(みざうし)にて、母御息所の御方の人々、まかで散らずさぶらはせたまふ。里の殿は、修理職(すりしき)、内匠寮(たくみづかさ)に宣旨下(くだ)りて、二(に)なう改め造らせたまふ。もとの木立(こだち)、山のたたずまひおもしろき所なりけるを、池の心広くしなして、めでたく造りののしる。かかる所に、思ふやうならむ人を据ゑて住まばやとのみ、嘆かしう思しわたる。
 光る君といふ名は、高麗人(こまうど)のめできこえて、つけたてまつりけるとぞ、言ひ伝へたるとなむ。

 源氏の君は、陛下が必ず伺候させお側に侍らせるので、これを口実に大手を振って新妻の待つ左大臣邸にお帰りになることも敢えていたしません。胸中に秘めているのは、唯一藤壺にお住いのあのお方こそ理想の女性である、と憧れ申し上げ、藤壺宮のような女性と何としても一緒になりたいのに、現実には面影さえ似通っている女性がいないくらい抜きんでた存在であり、妻の左大臣の娘、葵上はとても愛嬌があり教養豊かで、子女教育をしっかり受けている女性とは思うものの、女性としての魅力を全く感じていないのを自覚されていて、母親の顔を知らない源氏の君が七歳の時に入内した藤壺宮が母親と瓜二つと聞かされたことがトラウマとなり、継母の藤壺宮を愛してしまった心の葛藤に苛まれています。成人となられた数え十二歳以降はこれまでのように御簾の内側で藤壺が起居する母屋にもお入りになれません。管弦の伴う遊宴では必ず、藤壺宮の琴の演奏を御簾の外の簀子敷きで聴きながら源氏の君は笛の音を合わせることによって心を通わせ、陛下と歓談されるかすかに聞こえる肉声に接することを唯一の楽しみに、宮中で生活できることだけを生き甲斐に感じていらっしゃいます。ですから五日とか六日は宮中に伺候され、左大臣邸には二日、三日というように毎日はお帰りになりませんが、まだ弱冠十二歳でいらっしゃるから、源氏の君に悪気はないと左大臣は自分に言い聞かせて、源氏の君が私生活や公務で必要とする経費を湯水のごとく注ぎ込み、傅育(ふいく)されます。源氏の君夫妻にお仕えする女房はそれぞれ、どこにでもいるようなのではなく、選りすぐりの、例えるならば一条朝の紫式部や清少納言のような才女を掻き集めてお仕えさせます。源氏の君が興味を示すような管弦の名手を集めた音楽会を開催し、御子を授かるために左大臣は、ご機嫌取りに徹して神経をすり減らしていらっしゃいます。
 宮中では、母桐壺更衣が居室としていた淑景舎を私室にして、母のお味方をしていた女房はひとりとして宮中を去って散会することなく、そのまま源氏の君にお仕えするようご配慮なさいます。源氏の君の実家である私邸は、修理職と内匠寮にご下命があり、二つとないほど豪華にリフォームをお命じになります。故大納言の意匠で木々の配置や築山の景観がが絶妙な庭園であったところに、一番の見どころである心池の拡張工事をし終えると、見事なお邸ではないかとヤンヤの喝采です。このような邸宅に理想とする藤壺宮のような女性を妻に迎えて新居にしたいものだとだけ、できない相談とは分かっていても考え続けています。
 光る君という渾名は、高麗の人相見が感極まって進呈されたらしい、と今では伝説となっております(「はゝき木」につづく)。

2022.07.12 16 摂政関白独占の構図、左右大臣家の政略結婚

 この大臣の御おぼえいとやむごとなきに、母宮、内裏(うち)のひとつ后腹(きさいばら)になむおはしければ、いづかたにつけてもいとはなやかなるに、この君さへかくおはし添ひぬれば、春宮の御祖父(おほぢ)にて、つひに世の中を知りたまふべき、右大臣(みぎのおとど)の御勢(いきほひ)は、ものにもあらずおされたまへり。
 御子どもあまた、腹々(はらばら)にものしたまふ。宮の御腹は、蔵人少将(くらうどのせうしやう)にて、いと若うをかしきを、右大臣の、御仲はいとよからねど、え見過ぐしたまはで、かしづきたまふ四の君にあわせたまへり、劣らずもてかしづきたるは、あらまほしき御あはひどもになむ。

 左大臣に寄せる陛下の信頼は極めて高く、葵上の母宮は、一院の皇女で陛下の同母妹という皇統でいらっしゃいますので、葵上は父方母方どちらの血縁においても華麗な閨閥である上に、この源氏の君という今上帝の皇子が娘婿として一族に加わるならば、皇太子の外祖父として即位された暁には国家権力を掌中にする右大臣の権勢は、左大臣の前では風前の灯火でございます。
 左大臣は多くの御子をそれぞれの妻との間に儲けていらっしゃいます。陛下の同母妹の正妻との間には嫡男の蔵人少将を儲け、まだ初々しさが残るお坊ちゃんではあるが、政敵の右大臣とは犬猿の仲でありながら、機を見るに敏な左大臣は自家の安定と繁栄のために、右大臣がお妃候補としている掌中の玉で弘徽殿女御の同母妹でもある四女を娶(めあわ)せなさり、左大臣家の源氏の君同様に右大臣家では婿の蔵人少将を下にも置かず厚遇するのは、両摂関家にとって権力を独占するための理想的な閨閥でございます。

2022.07.12 15 源氏の君、数え十二歳で元服、その夜の内に結婚

 この君の御童姿(おほむわらはすがた)、いと変へまうく思せど、十二にて御元服(おほむげんぷく)したまふ。居起(ゐた)ち思しいとなみて、限りあることに、ことを添へさせたまふ。一年(ひととせ)の春宮(とうぐう)の御元服、南殿(なでん)にてありし儀式、よそほしかりし御ひびきにおとさせたまはず。ところどころの饗(きやう)など、内蔵寮(くらづかさ)穀倉院(こくさうゐん)など、おほやけごとに仕(つか)うまつれる、おろそかなることもぞと、とりわき仰(おほ)せ言(ごと)ありて、きよらを尽くして仕うまつれり。
 おはします殿(でん)の東(ひむがし)の廂(ひさし)、東向に椅子(いし)立てて、冠者(くわんざ)の御座(ざ)、引き入れの大臣(おとど)の御座御前(おまへ)にあり。申(さる)の刻(とき)にて源氏参りたまふ。みづら結ひたまへる頬つき、顔のにほひ、さま変へたまはむこと惜しげなり。大蔵卿くら人(ひと)仕うまつる。いときよらなる御髪(ぐし)をそぐほど、心苦しげなるを、上(うえ)は、御息所の見ましかば、と思し出づるに、たへがたきを、心づよく念じかへさせたまふ。
 かうぶりしたまひて、御休所(やすみどころ)にまかでたまひて、御衣(ぞ)奉(たてまつ)りかへて、下りて拝(はい)したてまつりたまふさまに、皆人(みなひと)涙落としたまふ。帝はた、ましてえ忍びあへたまはず、思しまぎるるをりもありつる昔のこと、取りかへし悲しく思さる。いとかうきびはなるほどは、あげ劣りやと疑はしく思されつるを、あさましううつくしげさ添ひたまへり。
 引き入れの大臣の、皇女腹(みこばら)にただ一人(ひとり)かしづきたまふ御(おほむ)むすめ、春宮よりも御気色(みけしき)あるを、思しわづらふことありける、この君に奉らむの御心なりけり。内裏にも御気色賜はらせたまへりければ、
「さらば、このをりの後見なかめるを、添臥にも」
ともよほさせたまひければ、さ思したり。
 さぶらひにまかでたまひて、人々大御酒(おほみき)などまゐるほど、親王(みこ)たちの御座の末に源氏着きたまへり。大臣気色ばみきこえたまふことあれど、もののつつましきほどにて、ともかくもあへしらひきこえたまはず。
 御前より、内侍(ないし)、宣旨(せんじ)うけたまはり伝へて、大臣参りたまふべき召しあれば、参りたまふ。御禄(ろく)の物、上(うへ)の命婦(みやうぶ)取りて賜ふ。白き大袿(おほうちき)に御衣(ぞ)一領(ひとくだり)、例のことなり。御盃(さかづき)のついでに、

 いときなきはつもとゆひに長き世をちぎる心は結びこめつや

御心ばへありておどろかさせたまふ。

 結びつる心も深きもとゆひに濃きむらさきの色しあせずは

と奏して、長橋(ながはし)よりおりて、舞踏(ぶたふ)したまふ。
 左馬寮(ひだりのつかさ)の御馬(むま)、蔵人所(くらうどどころ)の鷹(たか)すゑて賜はりたまふ。御階(みはし)のもとに、親王(みこ)たち上達部(かむだちめ)つらねて、禄(ろく)ども品々(しなじな)賜はりたまふ。
 その日の御前(おまへ)の折櫃物(をりびつもの)籠物(こもの)など、右大弁なむうけたまはりて仕(つか)うまつらせける。屯食(とんじき)、禄の唐櫃(からびつ)どもなど、ところせきまで、春宮の御元服のをりにも数まされり。なかなか限りもなくいかめしうなむ。
 その夜、大臣の御里(さと)に、源氏の君まかでさせたまふ。作法(さはふ)世にめづらしきまで、もてかしづききこえたまへり。いときびはにておはしたるを、ゆゆしううつくしと思ひきこえたまへり。女君(をんなぎみ)は、すこし過ぐしたまへるほどに、いと若うおはすれば、似げなく恥づかし、と思(おぼ)いたり。

 陛下は、源氏の君に童子姿のままでずっとそばに居てほしいと願ってやまないが、数え十二歳で成人になられます。座っていたかと思うと立ち上がり陛下自ら率先して成人式の式典の設営に指揮を振るい、皇太子と皇子では設営内容に厳然と違いがあるのを無視され、皇太子の成人式と同等に運営おさせになります。昨年の皇太子の成人式はと言えば、紫宸殿で挙行された式典ですけれども、壮麗に室礼されたことで内外にご評判が響き渡ったのに勝るとも見劣りしないようになさいます。宮中の宜陽殿や春興殿に儲けられた儀式後の祝宴の祝い膳を始め、内蔵寮や穀倉院以下の役所が皇太子の祝宴同様に奉仕に駆り出され、皇太子ではなく皇子の式典と言うことで手抜きがあるかもしれないと、陛下が陣頭に立って指示をされ、全国の海の幸と山の幸の贅(ぜい)と珍味の限りを尽くして任に当たられました。
 陛下がご臨席される清涼殿の東廂に東向きに陛下が着席される椅子を据えて、成人の証として冠を被る冠者のお席と冠を被せる加冠の大臣のお席は陛下の正面です。午後四時の開式と同時に源氏の君が入場されます。まだ角髪(みずら)に結っていらっしゃる童子ならではの頬の辺りやお顔の気高さは、成人の冠姿に一変させてしまわれるのがもったいないようです。大蔵卿と蔵人が断髪の理髪役をご奉仕申し上げます。艶々と美しい角髪を削ぎ落す際には、大蔵卿が申し訳なさそうな表情をするので陛下は、源氏の君の母親である亡き御息所がこの光景を目にしたならば、と更衣のことを思い出してしまわれ、涙がこぼれ落ちそうになられるのを「泣いてはならぬ」と自分に言い聞かせて堪えていらっしゃいます。
 源氏の君は童子姿に冠をお着けになったまま着替えのために控室に充てられた清涼殿殿上間の下侍(しもさぶらい)に退出されて、成人用の装束にお着替えあそばされと東庭に降りて陛下に向かってお礼の拝舞を舞われるお姿に列席者は全員感涙に咽び泣かれます。陛下はと言えば真っ先に涙を流され、更衣が健在で唯一の慰みであった昔のこと、藤壺宮の存在で忘れていたが、源氏の君の元服でその昔に取って返し、悲しみの涙に沈まれます。実際の年齢よりもあどけなさが残ったままなのは、髪上げで源氏の君の魅力が半減しないか半信半疑でいらっしゃったが、心配を一掃してしまうほど愛くるしさに大人の色香が漂われています。
 加冠の役目の左大臣が正妻に迎えた陛下の同母妹には手塩にかけて養育している一人娘、皇太子からも入内の申し入れがあるものの、煮え切らずにいたのは、源氏の君に貰ってもらおうとの深謀でした。陛下側でも内々に源氏の君に娶せたい意思をお示しになられていたので、
「そうだ、この成人の儀式では世話役の外戚が決まっていないようだから、添臥(そいぶし)になされては」
と水をお向けになると、左大臣も水心あれば魚心で応じられます。
 儀式が一通り終了し、祝宴に移るまでの間、源氏の君は控室の下侍に退出されて、参列者が乾杯などで下賜されたお酒を召し上がっている最中に、親王が居並んでいらっしゃる末席に源氏の君がお着きになりました。隣の席の左大臣が意気込んで添臥しの件をお耳に入れられることがあったものの、何事にも遠慮がちなご性格なのでうんともすんともお答えの申し上げようがありません。
 陛下から内侍が宣旨を承ってお伝えし、左大臣に御前に参られよとのお召しがあったので参上なさいます。御下賜の褒美の品は、陛下付きの命婦が取り次いで下賜します。白の大袿に加え表衣(うえのきぬ)、下襲(したがさね)、表袴(うえのはかま)の三点セットは、慣例通りです。陛下がお盃を左大臣に賜うのに合わせ、

いときなきはつもとゆひに長き世をちぎる心は結びこめつや(まだあどけない源氏の君にあなたが結んだ最初の元結に、あなたの娘との末長い将来を誓うあなたの願いは結び込めましたか)

と和歌を詠みかけられる粋なご配慮があり左大臣の不意を突かれます。

結びつる心も深きもとゆひに濃きむらさきの色しあせずは(結び込めた私の強い願いが叶うも叶わないも、元結の主である源氏の君次第で、娘への愛情が元結のようにいつまでも濃い紫のままで色が褪せず、心変わりしないのであれば、ということで)

と精一杯強がって返歌申し上げて、清涼殿と紫宸殿を繋ぐ長橋を渡り東庭に降りてお礼の拝舞をされます。
 左大臣は慣例の品々に加え左馬寮所管の御馬と蔵人所所管の槊(ほこ)に繋ぎとめた鷹を下賜されます。清涼殿東側の東庭に降りる御階(みはし)の階下に親王一同や三位以上の上達部が行列して祝儀の俸禄を身分相応に下賜されます。
 儀式当日に陛下に献上された折櫃物や籠物の数々は、高麗の人相見の鑑定を受けるときに父親代わりになった右大弁が特別に任命されて調達役をお勤めになりました。身分の下の者に賜る屯食(とんじき)と祝儀の俸禄の入った唐櫃の数々は、置き場所に困るほどで、皇太子の成人式の祝宴よりも数量で勝っています。源氏の君の場合、私的な成人式でありながら却ってこれ以上ないくらいに荘厳でございます。
 その夜は、左大臣の私邸に源氏の君はお帰りになります。招婿の儀式は、これまでにない絢爛豪華さで準備万端整えて執り行われます。まだまだあどけなさが残っていらっしゃるのを左大臣は、婿に迎えたことでハッとするほど凛々しくなられていると見直されました。姫君の葵上は四歳年上でいらっしゃるのに加え、お相手の源氏の君が年齢よりも幼くていらっしゃるので、釣り合いが取れずみっともないとお考えです。

2022.07.07 14 藤壺宮に横恋慕する源氏の君

 源氏の君は御あたり去りたまはぬを、ましてしげく渡らせたまふ御方はえ恥ぢあへたまはず。いづれの御方も我人に劣らむと思いたるやはある。とりどりにいとめでたけれど、うち大人びたまへるに、いと若ううつくしげにて、せちに隠れたまへど、おのづから漏り見たてまつる。母御息所も影だにおぼえたまはぬを、「いとよう似たまへり」と典侍(ないしのすけ)の聞こえけるを、若き御心地にいとあはれと思ひきこえたまひて、常に参らまほしく、なづさひ見たてまつらばや、とおぼえたまふ。
 上も限りなき御思ひどちにて、
 「な疎みたまひそ。あやしくよそへ聞こえつべき心地なむする。なめしと思さでらうたくしたまへ。頬つきまみなどは、いとよう似たりしゆゑ、かよひて見えたまふも似げなからずなむ」
など聞こえつけたまへれば、幼心地にも、はかなき花紅葉につけても心ざしを見えたてまつる。
 こよなう心寄せきこえたまへれば、弘徽殿女御、またこの宮とも御仲そばそばしきゆゑ、うち添へてもとよりの憎さも立ち出でて、ものしと思したり。世にたぐひなしと見たてまつりたまひ、名高うおはする宮の御容貌にもなほにほはしさはたとへむ方なくうつくしげなるを、世の人光る君と聞こゆ。藤壺ならびたまひて、御おぼえもとりどりなれば、かかやく日の宮と聞こゆ。

 臣籍降下によって源氏姓を賜った若宮こと源氏の君は、陛下にまとわり付いて離れようとなさらないのに、誰よりも陛下が入り浸っていらっしゃる藤壺としては、源氏の君の視線を避けることがおできになりません。陛下にお仕えする女御や更衣は全員良家の子女であるから「他の女性に見劣りしているようだ」と藤壺宮に対しても考え及ぶことは絶対にありません。それぞれ個性的でたいへんな美女でいらっしゃいますが、少々薹が立ち過ぎのきらいがございます上に、対する藤壺宮はまだ幼さが残り、可愛らしくて、恥じらいもあり懸命に源氏の君の視線から逃れようとされますが、どこに隠れようとも頭隠して尻隠さず、いやでも視界に入られます。母親の御息所も、源氏の君が数え三歳で死別したので記憶に一切残っていないところに、「藤壺宮と瓜二つでいらっしゃいます」とお教えするものですから、幼心に「ああ、お母様」と錯覚なされて、「毎日藤壺宮にお逢いしたい、間近でお顔を拝見できたなら」と強く意識なさいます。
 陛下も、最愛のお二人ですから、
「他人行儀なことは止めておくれ。どうしたことかあなたがこの子の母親と申し上げてもいいように思えてなりません。馴れ馴れし過ぎるとお考えにならないで、面倒を見てやってください。お顔の輪郭や目元に至るまでとてもよく似ていますのでつい、この君の母親のように思えてしまいますのも強ち的外れではございません」
などと言質をお与えになるものですから、子どもながらに機転を利かせてその季節ならではの春の桜や秋の紅葉に想を添えて、好意を見える形で表そうとプレゼントなさいます。
 お二人に対し陛下が格別のご配慮をなさるので、弘徽殿女御はまた、皇女の藤壺宮に皇子が誕生すれば皇太子の存在が脅かされ兼ねず、藤壺宮とも犬猿の仲でいらっしゃり、これが呼び水となって桐壺更衣に対する憎悪も再燃してしまい、「悔しい」と切歯扼腕されます。今の治世に肩を並べる者なし、と誰もがお認め申し上げる、その名も高し皇太子のご容貌に比べても源氏の君は、醸し出す雰囲気が他を圧倒して麗しいのを世間では、「光る君」と渾名されます。藤壺宮も並び称して、陛下のご愛情も甲乙つけがたいのと併せ、「輝く日の宮」と渾名されます。

2022.07.05 13 藤壺入内

 年月そへて御息所の御ことを思し忘るるをりなし。慰むやとさるべき人々参らせたまへど、「なずらひに思さるるだにいとかたき世かな」とうとましうのみよろづに思しなりぬるに、先帝(せんだい)の四(し)の宮の御容貌(かたち)すぐれたまへる聞こえ高くおはします、母后世になくかしづききこえたまふを、上にさぶらふ典侍(ないしのすけ)は先帝の御時の人にて、かの宮にも親しう参り馴れたりければ、いはけなくおはしましし時より見たてまつり、今もほの見たてまつりて、
 「亡せたまひにし御息所の御容貌に似たまへる人を、三代の宮仕に伝はりぬるに、え見たてまつりつけぬを、后の宮の姫宮こそいとようおぼえて生(お)ひ出でさせたまへりけれ。ありがたき御容貌人(かたちびと)になむ」
と奏しけるに、「まことにや」と御心とまりて、ねむごろに聞こえさせたまひけり。
 母后、
 「あな恐ろしや、春宮の女御のいとさがなくて、桐壷更衣のあらはにはかなくもてなされにし例(ためし)もゆゆしう」
と思しつつみて、すがすがしうも思し立たざりけるほどに、后も亡せたまひぬ。心細きさまにておはしますに、
 「ただわが女御子たちの同じつらに思ひきこえむ」
といとねむごろに聞こえさせたまふ。さぶらふ人々、御後見たち、御兄(せうと)の兵部卿(ひやうぶきやう)の親王(みこ)など、かく心細くておはしまさむよりは、内裏(うち)住みせさせたまひて、御心も慰むべくなど思しなりて参らせたてまつりたまへり。藤壺と聞こゆ。げに御容貌ありさま、あやしきまでぞおぼおえたまへる。これは人の御際(きは)まさりて、思ひなしめでたく、人もえおとしめきこえたまはねば、うけばりてあかぬことなし。かれは、人のゆるしきこえざりしに御心ざしあやなくなりしぞかし。思しまぎるとはなけれど、おのづから御心うつろひて、こよなう思し慰むやうなるもあはれなるわざなりけり。

 年月を重ねるように、陛下は御息所である故桐壷更衣の生前のご記憶を毎年積み重ね、一時も消える瞬間がありません。
 亡き更衣を忘れられるのではないかと五位以上の家柄の娘を次々に入内させお勧めするが、「更衣以上ではなくともせめて肩を並べる女性の出現を願うことさえ難しい昨今の人材難であることよ」としつこい縁談話に嫌気がさし、一事が万事面倒になってしまわれていたところに、先帝の第四皇女が美人の誉れ高くていらっしゃり、先帝の上皇后でいらっしゃる母君も将来の入内に備え箱入り娘として大切に養育されているのを、陛下にお仕えする典侍は、先帝の御世に出仕した女官であることから、上皇后のご実家にも先帝のお使いで足繁く通いなれていたので、第四皇女がまだ幼かりし頃から見知っており、箱入り娘となった今でもちらっとお見受け申し上げると、
「ご逝去された御息所とそっくりな女性を一院、先帝、今上帝三代にお仕えして今日まで参りましたが、一度もお見受けいたしませんでしたが、上皇后家の皇女であるならば故更衣と瓜二つそのままにご成長なさいました。稀に見る美人でいらっしゃいします。」
とご報告申し上げると、「噓ではあるまいな」と興味をお示しになり、丁重に入内に意思を打診されました。
上皇后の母君は、
「縁起でもない、皇太子の母親でもある弘徽殿女御の性格が最悪で、故桐壷更衣があからさまに無視され、いじめ殺された前例があるというのに、お話になりません。」
と、本心を隠したまま後顧の憂いなく入内に応じる決心がつかないでいる間に、上皇后も薨ぜられてしまわれました。
 姫君は母君に先立たれ不安なご様子でいらっしゃるところに、
「両親に先立たれて不安であろうから、先帝のよしみで妻としてではなく我が皇女のひとり、養女としてお迎えしよう」
と丁重に打診されます。
 姫君にお仕えする女房や先帝グループの実力者、兄君の兵部卿親王が勢揃いして、このようにひとり寂しく過ごされるよりは、宮中に住まいをお移しになって、お気持ちも紛れるようにならねば、などと衆議が決し、宮中に参上させてしまわれました。藤壺と通称申し上げます。
 噂に違わずご容姿が目を疑うくらい故桐壷更衣と瓜二つです。皇女である藤壺は、ご身分が弘徽殿女御よりも上位にあり、考えるまでもなく高貴な存在であり、弘徽殿女御であってもお見下し申し上げることがおできにならず、陛下は誰に遠慮することなく、どれほどひとりの女性を寵愛しようとも非難されるいわれはありません。振り返れば、桐壷更衣は弘徽殿女御がお認めにならなかったのに加え、陛下のご寵愛が逆に仇となってしまいました。陛下は藤壺を得たとはいえ更衣のことをひと時も忘れることはありませんが、人情として陛下の関心は藤壺に移り、更衣を喪ってからというもの全くなかった心の平安が訪れたご様子なのも人の世の不思議なめぐり合わせでございます。

2022.07.03 12 若宮の皇籍離脱を決意

 そのころ、高麗人の参れるなかにかしこき相人ありけるを聞こしめして、宮の内に招さむことは、宇多帝の御誡あればいみじう忍びて、この皇子を鴻臚館に遣はしたり。御後見だちて仕うまつる右大弁の子のやうに思はせて率てたてまつるに、相人驚きてあまたたび傾きあやしぶ。
 「国の親となりて帝王の上なき位にのぼるべき相おはします人の、そなたにて見れば乱れ憂ふることやあらむ。おほやけのかためとなりて、天の下を輔弼くる方にて見ればまたその相違ふべし」
と言ふ。
 弁もいと才かしこき博士にて、言ひかはしたることどもなむいと興ありける。文など作りかはして、今日明日帰り去りなむとするに、かくあり難き人に対面したるよろこび、かへりては悲しかるべき心ばへをおもしろく作りたるに、皇子もいとあわれなる句を作りたまへるを、限りなうめでたてまつりて、いみじき贈物どもを捧げたてまつる。おほやけよりも多くの物賜はす。おのづから事ひろごりて、漏らさせたまはねど春宮の祖父大臣など、いかなることかと思し疑ひてなむありける。
 帝、かしこき御心に倭相を仰せて思しよりにける筋なれば、今までこの君を親王にもなさせたまはざりけるを、相人はまことにかしこかりけりと思して、無品親王の外戚の寄せなきにては漂はさじ、わか御世もいと定めなきを、ただ人にておほやけの御後見をするなむ、行く先も頼もしげなめることと思し定めて、いよいよ道々の才を習はさせたまふ。際ことにかしこくて、ただ人にはいとあたらしけれど、親王となりたまひなば、世の疑ひ負ひたまひぬべくものしたまへば、宿曜のかしこき道の人に勘えさせたまふにも同じさまに申せば、源氏になしたてまつるべく思しおきてたり。

 若宮が数え七歳で読書始(ふみはじめ)をなさったころに高句麗の外交使節が来朝し、その一行の中によく当たる人相見が同行していたのをお耳になされて、宮廷内に公式の外交官であっても招き入れることは、宇多天皇が残された寛平御遺戒(かんぴょうのごゆいかい)で固く禁止されており、右大臣方に察知されないようにお忍びで、誰よりも聡明な若宮を外国要人をもてなす鴻臚館に差し向わせになられました。いかにも父親然として皇子に傅(かしず)く右大弁の実子のように偽装してお連れ申し上げると、人相見の高麗人(こまびと)はすっかり意表を突かれ、何度も何度も首を傾げてはこの親子に疑いを持ちます。
「国家の主権者となって、帝王という最上の地位に昇り詰める人相をお持ちの方でありながら、国家の主権者になったとして人相を占うと国家は乱れ、国民は塗炭の苦しみを舐めるだろうと出ています。一方、国家の主権者としてではなく、国家万民の支柱、摂政や関白として天皇の臣下となり治世を補佐する側として占うならば、全く逆の結果、天下泰平国家安泰と出ます。」
と断じます。
 対する右大弁も漢詩文の学才豊かな教養人であり、二人で議論した文学談義の数々は、興に乗って盛り上がりました。漢詩談議に終わらず実際に漢詩を詠み交わして、今日か明日にも帰国しようとする日に、「かくあり難き人に対面したるよろこび、かへりては悲しかるべき(二度と会えないような優れた学識経験者と親しく議論した感動は、逆に別離の辛さとなる」といった心情を格調高く詩作したものだから、それにつられて若宮も技巧的ではない真心のこもった詩句を詠み込んだのを高く評価申し上げ、高麗の貴重な品々を献呈されます。陛下からも人相鑑定の礼として多くの品々を下賜されます。人相見に対するこのような厚遇に端を発して真実が拡散し、陛下は一言も口には出されないものの皇太子の外祖父である右大臣が聞きつけ、「陛下は何をお考えなのか、よもや廃太子ではあるまいな」と詮索しすっかり疑心暗鬼になっていました。
 右大臣の不安をよそに陛下は英邁でいらっしゃるので、国内の人相見に命じてすでにお考えを固めたいた後の高麗人の人相占いなので、七歳になる今日まで親王宣下をなさらずにいたのを、高麗の人相見は実に的を射ていた、と称賛して、「無品親王のまま、すなわち右大臣に配慮して皇太子と対抗し得る親王宣下ができないので、まして大納言という外祖父もいないままでは困窮させられず、自分の治世であってさえいつ退位を余儀なくされるやも知れず、皇籍を離れ臣下として天皇の補佐をするのが、摂政、関白への道もあり将来に展望が開けると決心されて、これまで以上に官途の栄達欠かせない漢詩文の能力に磨きをかけさせます。若宮の母方の出自は先帝の血縁に連なり、血筋が際立ち、皇籍を離脱するには実に惜しい逸材ですが、親王宣下なさいましたら、右大臣一派の猜疑心を必ず誘うような言動がないとは限りませんし、月の位置で占う星占いである二十八宿と九つの星の運行で占う星占いである九曜星(くようせい)のよく当たる占い師に占わされても、高麗と我が国の人相見と同じ意見を申し上げるので、前々から源氏姓を賜い臣籍に降下させる以外に右大臣から若宮を守る術はないとお考えあそばされていました。

2022.07.02 11 憎しみの対象からスーパーアイドルへ

 今は内裏にのみさぶらひたまふ。七つになりたまへば読書始などせさせたまひて、世に知らず聡うかしこくおはすれば、あまり恐ろしきまで御覧ず。
 「今は誰も誰もえ憎みたまはじ。母君なくてだにらうたしたまへ」
とて、弘徽殿などにも渡らせたまふ御供には、やがて御簾の内に入れたてまつりたまふ。いみじき武士(もののふ)、仇敵(あたかたき)なりとも見てはうち笑まれぬべきさまのしたまへればえさし放ちたまはず。女御子たち二所、この御腹におはしませどなずらひたまふべきだにぞなかりける。御方々も隠れたまはず、今よりなまめかしう恥づかしげにおはすれば、いとをかしううちとけぬ遊びぐさに誰も誰も思ひきこえたまへり。
 わざとの御学問はさるものにて、琴笛の音にも雲ゐをひびかし、すべて言ひつづけばことごとしう、うたてぞなりぬべき人の御さまなりける。

 身寄りが父の陛下だけになってしまった今、自ずと住まいは宮中になり伺候されるも同然です。七歳を迎えられたので陛下は、貴族の教養の第一歩である漢籍の素読を習わせになると、かつて誰もなし得ないほど一度耳にしただけで諳んじ、すらすらと素読されるので、その天性の才に行く末が案じられてならないと目を細められます。
「皇太子が決定した今は、右大臣であろうと娘で皇太子の母の弘徽殿女御であろうとも若宮に恨みを抱くことはできまい。母親に死別したという境遇に免じて我が子のように大切に可愛がりなさい」
と早速、更衣の最大の敵であった弘徽殿女御を始め女御、更衣の元に足を運ばれ、ご随身とあっては、陛下以外男子禁制のはずの御簾の内側、すなわち母屋の奥までも若宮をお招き申し上げます。厳めしい顔つきの武士や目を血走らせた仇敵であっても一目見るなり思わず笑みがこぼれてしまうほどの愛くるしさでいらっしゃるので、さすがの弘徽殿女御であっても冷たく追い払うことがおできになりません。皇女をお二方、弘徽殿女御は儲けていらっしゃいますが、女性であっても若宮と美貌を競うまでもありませんでした。他の女御や更衣も若宮が幼いことから男性とはいえ顔を見られないように袖口や扇で覆ったり、几帳の陰に隠れることもなさらず、七歳という幼さで上品な男の色香が漂い、気圧されるような存在感を備えていらっしゃるので、対面していて惚れ惚れとする一方、幼子でありながらどうしても男性を意識してしまう遊び相手に、どの女御や更衣も緊張を隠せないでいらっしゃいます。
 四書五経や漢詩文と言った正式科目はもちろんのこと、琴や笛の演奏にも異才を発揮して宮中にその音色とともに盛名を轟かし、若宮の美点を全て数え上げるならば、誇張に誇張を重ねてどんどんエスカレートさせてもまだ足りないほどの人物といった有様でした。

2022.06.30 10 若宮参内を見届け、祖母逝去

 月日経て若宮参りたまひぬ。いとどこの世のものならず、きよらにおよすけたまへれば、いとゆゆしう思したり。
 明くる年の春、坊定まりたまふにも、いとひき越さまほしう思せど、御後見すべき人もなく、また世のうけひくまじきことなりければ、なかなかあやふく思しはばかりて色にも出ださせたまはずなりぬるを、さばかり思したれど、限りこそありけれ、と世人も聞こえ、女御心落ちゐたまひぬ。
 かの御祖母北の方、慰む方なく思ししづみて、おはすらむ所だに尋ね行かむ、と願ひたまひししるしにや、つひに亡せたまひぬれば、またこれを悲しび思すこと限りなし。皇子六つになりたまふ年なれば、このたびは思し知りて恋ひ泣きたまふ。年ごろ馴れむつびきこえたまひつるを、見たてまつりおく悲しびをなむ、かへすがへすのたまひける。

 母の桐壷更衣の薨去により若宮は三歳の夏に宮中を退出し、丸三年経過した六歳の秋に参内を果たしました。現実離れした理想的な美男子に成長されたので対面された陛下は、縁起でもないと若宮の将来をいっそう危惧されます。
 若宮が参内して間もなく、翌年の新春に皇太子が第一皇子の兄宮に決まる際にも、内心では兄宮を差し置いて立太子させようと考えてはみたものの、若宮をお守りするはずの父親を欠き、加えて弘徽殿女御方の右大臣一派が認めるはずもなかったので、それ以上に却って若宮に危険が及んでは元も子もないと考え直され、噯(おくび)にもお出しにならないのを誤解して、あれほど若宮との再会を熱望されていたのに右大臣一派を無視できなかった、と宮中の世間雀が噂申し上げ、誰よりも弘徽殿女御の不安が解消し安泰となられました。
 若宮を陛下の元にお返しになった祖母の北の方と言えば、陛下から第一皇子立太子の内定を内々に得ていたから若宮に危害は及ぶまいと帰参を認めたものの、若宮という生き甲斐を失い生きる意欲を喪失し、最後の望みは亡き更衣を探し出す死出の旅、という宿願がかなったからであろうか、鬼神となって若宮を見事守り通して最期を迎えられたので、陛下は祖母北の方の死を悼まれること一入です。若宮も六歳になられ分別の付く年齢なので母との死別とは違って今回の別れは自覚して亡き祖母に逢いたいと慟哭されます。
 一方でこの三年というもの身近に置き自らの手で養育申し上げていたのに、ひとりお残し申し上げなければならない将来への不安、母更衣と同じことにならないか、何度も何度も先立つことを悔やんでいらっしゃいました。

2022.05.15 9 弘徽殿女御の意趣返し

 命婦は、まだ大殿籠らせたまはざりけるとあはれに見たてまつる。御前の壷前栽のいとおもしろき盛りなるを、御覧ずるやうにて忍びやかに、心にくきかぎりの女房四五人さぶらはせたまひて、御物語せさせたまふなりけり。
 このごろ、明け暮れ御覧ずる長恨歌の御絵、亭子院(ていじのゐん)の描(か)かせたまひて、伊勢(いせ)貫之(つらゆき)に詠ませたまへる大和(やまと)言の葉をも、唐土(もろこし)の詩(うた)をもただその筋をぞ枕言にせさせたまふる。
 いとこまやかにありさま問はせたまふ。あはれなりつること忍びやかに奏す。御返り御覧ずれば、
「いともかしこきは、置き所もはべらず。かかる仰せ言につけてもかきくらす乱り心地になむ。

あらき風ふせぎしかげの枯れしより小萩がうへぞしづごころなき」

などやうに乱りがはしきを、心をさめざりけるほどと御覧じゆるすべし。
 いとかうしも見えじと思ししづむれど、さらにえ忍びあへさせたまはず。御覧じはじめし年月のことさへかき集めよろづに思しつづけられて、時の間もおぼつかなかりしを、かくても月日は経にけりと、あさましう思しめさる。
 「故大納言の遺言あやまたず、宮仕の本意深くものしたりしよろこびは、かひあるさまにとこそ思ひわたりつれ、言ふかひなしや」
とうちのたまはせて、いとあはれに思しやる。
 「かくても、おのずから若宮など生ひ出でたまはば、さるべきついでもありなむ。命長くとこそ思ひ念ぜめ」
などのたまはす。
 かの贈物御覧ぜさす。
 亡き人の住み処(か)尋ね出でたりけむ、しるしの釵(かむざし)ならましかば、と思すもいとかひなし。


たづねゆくまぼろしもがなつてにても魂のありかをそこと知るべく

 絵に描(か)ける楊貴妃の容貌(かたち)は、いみじき絵師といへども筆限りありければいとにほひすくなし。太液(たいえき)の芙蓉(ふよう)、未央(びあう)の柳もげにかよひたりし容貌を唐めいたるよそひはうるはしうこそありけめ、なつかしうらうたげなりしを思し出づるに、花鳥(はなとり)の色にも音(ね)にもよそうべき方ぞなき。朝夕の言ぐさに翼をならべ、枝をかはさむと契らせたまひしに、かなはざりける命のほどぞ尽きせずうらめしき。
 風の音、虫の音につけても物の悲しう思さるるに、弘徽殿(こきでん)には、久しく上(うえ)の御局(みつぼね)にも参(ま)う上(のぼ)りたまはず、月のおもしろきに、夜更くるまで遊びをぞしたまふなる。いとすさまじう、ものしと聞こしめす。このごろの御気色(みけしき)を見たてまつる上人(うえびと)女房などは、かたはらいたしと聞きけり。いとおし立ち、かどかどしきところものしたまう御方にて、ことにもあらず思し消ちてもてなしたまふなるべし。
 月も入りぬ。

雲のふへもなみだにくるる秋の月いかでかすむらむ浅茅生のやど

思しめしやりつつ、燈火を挑(かか)げ尽くして起きおはすます。右近の司(つかさ)の宿直奏(とのゐまうし)の声聞こゆるは、丑(うし)になりぬるなるべし。人目を思して夜の殿(おとど)に入らせたまひてもまどろませたまふことかたし。朝に起きさせたまふとても明くるも知らで、と思し出づるにもなお朝政(あさまつりごと)は怠(おこた)らせたまひぬべかめり。ものなどもきこしめさず。朝餉(あさがれひ)の気色ばかりふれさせたまひて、大床子(だいしやうじ)の御膳(おもの)などは、いとはるかに思しめしたれば、陪膳(はいぜん)にさぶらふかぎりは、心苦しき御気色を見たてまつり嘆く。すべて、近うさぶらふかぎりは、男女(をとこをむな)、いとわりなきわざかな、と言ひあわせつつ嘆く。
 さるべき契りこそはおはしましけめ、そこらの人のそしり、恨みをも憚らせたまはず、この御ことにふれたることをば道理(だうり)をも失はせたまひ、今はた、かく世の中の事をも思ほし棄(す)てたるやうになりゆくは、いとたいだいしきわざなりと、他(ひと)の朝廷(みかど)の例(ためし)まで引き出でささめき嘆きけり。

 帰参した命婦は、陛下がまだ就寝なされないと知り、なんとお気の毒な、と同情申し上げる。陛下は、清涼殿西側にある坪庭に移植された秋の草花が生け花のような凝った趣向で咲き誇っているのを愛でる素振りをされながら、実際は人目を忍んで、陛下のお眼鏡にかなった絶対に裏切らない女房を四、五人お側に侍らせて、更衣の思い出をお話しされていらっしゃるのでした。
 ここ最近、昼夜ご覧になっている長恨歌の場面を描いた大和絵は、かつて宇多天皇が描かせなさり、漢詩に代えて伊勢や貫之に和歌を詠ませて添えた絵物語で、和歌であっても漢詩であっても長恨歌のような悲恋物だけを必ず更衣の思い出話の枕に口ずさまれます。
 更衣を話題にしていた最中に帰参した命婦に陛下は、実家の様子を事細かに報告させます。お屋敷も母君も荒みきっていた様を陛下にだけ聞こえるようにお耳に入れます。母君からの返書に目を通されますと、
 「身に余るご配慮を賜り、恐縮至極に存じます。ご丁寧なお見舞いを頂戴すればするほど、かの業平が斎宮からの後朝の手紙の返歌として贈った上句で「かきくらす心の闇にまどひにき」と詠んだように、盲目の恋の闇ならぬ、子を亡くした親心の闇に沈み、下句に「夢うつつとは世人さだめよ」とある通り、夢と現実が分からないくらい混乱の極みにいます。

あらき風ふせぎしかげの枯れしより小萩がうへぞしづごころなき
(吹き荒れる風を防ぎとめていた親木が枯れてしまってこのかた、小萩は強風に晒されていつ枯れ果てるとも知れません。守り育てていた母親が亡くなり、(陛下のお便りに「小萩がもとを思ひこそやれ」とございますように私も)ひとり残された若宮をお守りするのが精いっぱいで、のんびりと陛下のお相手をしている場合ではございません。)」

などと書き散らし、陛下のお見舞いを迷惑がっているような公私混同を、未だに娘の死が納得できないからであろう、と陛下はご推察されお許しになるでしょう。
 陛下は、母君のように公私混同して更衣と若宮に執着している様子を一切周囲に悟られまいと、冷静さを装われていましたが、もうこれ以上は若宮不在の寂しさに耐え続けることがおできになれません。
 更衣を見初められた初日から始まり、一緒に過ごした日々の記憶を繰り返し、何万回も毎日思い出されて、一瞬でも考えていないと不安になるにもかかわらず、古歌の「身を憂しと思ふに消えぬものなればかくても経ぬる世にこそありけれ(生きているのが辛いと思いながら死んでしまえるわけではなく、生き永らえていられるのが人生であったと今更気付いた)」に「かくても経ぬる」とあるそのまま、よく今日まで生き永らえたものだ、と忸怩たる思いでいらっしゃいます。
 「故大納言の遺言を守り、出仕することに執念を燃やし、見事成就した達成感をぬか喜びにしてはならないとずっと考え続けていたが、今さら悔やんでも後の祭りだ」
と本音を漏らされ、ご自身の不甲斐なさと相俟って母君に同情を寄せられる。
 「このような結果になってしまっても若宮がどんどん成長し、宮中に戻られるようになれば、元服の席でご一緒する機会もあるだろう。報告では『命長くいとうつらう思ひたまへ知らるる』とあったが、若宮の成長を見届けるために『命長く』とだけ考え神仏のご加護を念じ続けよ」
とまでおっしゃいます。
 母君が贈呈した形見の品をお披露目させる。
 この形見の簪が長恨歌の絵にも描かれている、楊貴妃の居場所を探し当てたという証拠の簪と同じであったなら、と陛下は考えられないわけではないが、考えても仕方ありません。

たづねゆくまぼろしもがなつてにても魂のありかをそこと知るべく
(亡き楊貴妃の居場所を探し当てた道士がここにいてくれたなら、楊貴妃の場合とは逆に形見の簪を手掛かりに、更衣の霊魂の居場所を「どこそこだ」と察知することができるのに)

 例の絵に描いた楊貴妃の顔立ちは、どんなに腕の立つ絵師であっても表現力には限界があったので、生命感に全く欠けています。太液池(たいえきち)に咲く芙蓉の花も未央宮(びようきゅう)の柳の枝も、それぞれ楊貴妃の顔立ちとスタイルの美しさを例えており、それに加え唐風の衣装をまとった容姿は、秀麗には違いないが、人懐っこくかわいらしい声をしていたありし日の更衣を重ね合わせると、桜の花の可憐さも鶯の鳴き音も、まして絵に描かれた楊貴妃とも比べようがありません。
 朝は目覚めて夜は就寝前に交わす決まり文句に加え、「長恨歌の『比翼(ひよく)の鳥、連理(れんり)の枝』となって添い遂げよう」といつも約束なさっていたのに、約束を果たせずにこうして生き永らえていることが、「天長く地久しき時有りて尽くとも(この世の終わりが来ても)」(「長恨歌」)決して消えない心残りです。
 微かな風の音や虫の鳴き音にも敏感になり、何を見ても聞いても悲痛な思いに沈んでしまうのに、弘徽殿女御は、更衣が薨じられてからこの方、陛下の元に参上なさらず、今夜のように十五夜の満月が美しいとなれば一晩中、管弦の遊宴を賑やかに開かれているご様子です。陛下に対する露骨な意趣返しであり、どうしてくれようかと苦々しく耳にされています。沈みがちな陛下のお気持ちを存じ上げる殿上人やお付きの女房は例外なく、弘徽殿女御のこの仕打ちを腹立たしい思いで聴いていました。女御は目立ちたがり屋で刺々しい性格なのを隠したり臆したりすることなく振舞われるお方ですので、時と場所を弁えずにこのような乱痴気騒ぎを平気でなさるのでしょう。
 月も西の山に沈んでしまいました。

雲のうへも涙にくるる秋の月いかですむらん浅茅生のやど
(雲上であるここ宮中も悲しみの涙でくもって見えない中秋の満月が、どうしてはっきり見ることができよう、涙に濡れる荒れ果てた宿で母君は。悲しみに暮れながらどのようにお過ごしだろう。)

と若宮も住まわれるお屋敷の様子をご心配されながら、長恨歌の「孤燈挑(かか)げ尽くして未だ眠りを成さず」そのまま、短くなった灯火の灯心を掻き出しながら灯心が燃え尽きるまでまんじりともされずにいらっしゃいます。宿直を交代する右近衛府の役人が姓名を名乗る声が遠くでしているのは、丑の一刻(午前一時)になったからでしょう。迷惑をかけないようにご配慮されて、ご寝所に入られても一睡もおできになれません。早朝にお目覚めになられるにしても更衣の生前は、古歌の「明くるも知らで(夜が明けるのも知らないで)」熟睡していたのに、と振り返られるものの依然として早朝の政務はお休みがちになってしまわれたようです。お食事などもお召し上がりになりません。朝餉(あさがれい)の軽い食事は気持ち箸をお付けになられ、正餐である昼食にいたっては、無縁な存在とお考えになられているので、給仕に従事する蔵人は例外なく、ご心中そのままの表情を拝察申し上げてため息を漏らします。給仕を奉仕する女房や蔵人に限らず、身近にお仕えする官人は全員、男ならば蔵人、女ならば女房(住込み)や女官(通い)の区別なく、「お食事を召し上がっていただきたいが全くその手立てがない」と打開策を話し合いながら、ここでもため息を漏らすばかりです。
 摂関政治全盛の今にあっては、最愛の妻と雖も死別する運命を自覚されていらしたからこそ、右大臣方の非難や正妻である弘徽殿女御の嫉妬であっても一切無視されたのであり、陛下と更衣の本当の夫婦愛を曲解して、更衣の生前は「常軌を逸していらっしゃる」と嘆き、死後「ご自身の健康を顧みないばかりか国家と国民を平安に導く政務までも放棄されようとしている」のは、「陛下として公務怠慢である」と唐の玄宗皇帝の悪政をご丁寧にも引き合いに出して、摂関政治の弊害を棚に上げて陛下お一人の責任であるかのように陰でこそこそ陛下を非難しながらため息を漏らしていましたが、本音は夜のお勤めから遠ざけられ、皇子誕生の機会を奪われている不満のため息です。

2022.04.20 『源氏物語』登場人物関係図

「『源氏物語』登場人物関係図」をアップしました。
下記アドレスをクリックいただくとダウンロードできます。
https://peraichi.com/user_files/download/496ad6aa-2237-45b9-9424-b59b485a7621

 当コラムのサブタイトル「皇位継承をめぐる権力闘争」の実態が判明する関係図です。
 『源氏物語』の権力構造は3グループに分かれています。先帝の流れを汲む皇室グループと一院に連なる摂関家グループ、そして髭黒に代表される非摂関家グループです。光源氏は皇室グループの一員として最終的に摂関家グループから権力を奪い取ります。その間に非摂関家グループが台頭し、一時権力を掌握しますが、光源氏の孫が東宮に立太子することによって、摂関家に代わり准太上天皇となった光源氏による親政の御世が到来します。
 この構造は平安後期の院政を彷彿とさせ、紫式部が理想とする政治体制が皇室による親政であり、実際に紫式部の時代から約100年後に院政時代が到来します。恐るべし『源氏物語』、まさに予見の書です。

2022.04.07 8 鬼気迫る母北の方

 野分(のわき)だちてにはかに肌寒き夕暮のほど、常よりも思し出づること多くて、靫負命婦(ゆげひのみやうぶ)といふを遣はす。
 夕月夜(ゆうづくよ)のをかしきほどに出だし立てさせたまひて、やがてながめおはします。かうやうのをりは、御遊びなどせさせたまひしに、心ことなる物の音を掻き鳴らし、はかなく聞こえ出づる言の葉も、人よりはことなりしけはひ容貌(かたち)の、面影につと添ひて思さるるにも、闇の現にはなほ劣りけり。
 命婦かしこにまで着きて、門(かど)引き入るるより、けはひあはれなり。やもめ住みなれど人ひとりの御かしづきに、とかくつくろひ立てて、めやすきほどにて過ぐしたまへる、闇にくれて臥ししづみたまへるほどに、草も高くなり、野分にいとど荒れたる心地して、月影ばかりぞ八重葎(やへむぐら)にもさはらずさし入りたる。
 南面(みなみおもて)におろして、母君もとみにえものものたまはず。
「今までとまりはべるがいとうきを、かかる御使の、蓬生(よもぎふ)の露分け入りたまふにつけてもいと恥づかしうなむ」
とて、げにえたふまじく泣いたまふ。
「『参りてはいとど心苦しう、心肝も尽くるやうになむ』と、典侍(ないしのすけ)の奏したまひしを、もの思うたまへ知らぬ心地にも、げにこそいと忍びがたうはべりけれ」
とて、ややためらひて仰せ言伝へきこゆ。

「『しばしは夢かとのみたどられしを、やうやう思ひしづまるにしも、さむべき方なくたへがたきは、いかにすべきわざにかもと、問ひあわすべき人だになきを、忍びては参りたまひなむや。若宮のいとおぼつかなく、露けき中に過ぐしたまふも心苦しう思さるるを、とく参りたまへ』など、はかばかしうものたまはせやらず、むせかへらせたまひつつ、かつは人も心弱く見たてまつるらむと、思しつつまぬにしもあらぬ御気色(けしき)の心苦しさに、うけたまはりはてぬやうにてなむ、まかではべりぬる」
とて御文(ふみ)奉る。
 「目も見えはべらぬにかくかしこき仰せ言を光にてなむ」
とて、見たまふ。
「ほど経ばすこしうちまぎることもやと、待ち過ぐす月日に添へていと忍びがたきはわりなきわざになむ。いはけなき人をいかにと思ひやりつつ、もろともにはぐくまぬおぼつかなさを。今はなほ昔の形見になずらへてものしたまへ。」
など、こまやかに書かせたまへり。
  宮城野(みやぎの)の露吹きむすぶ風の音(おと)に小萩(こはぎ)がもとを思ひこそやれ
とあれど、え見たまひはてず。
 「命長さのいとつらう思ひたまへ知らるるに、松の思はむことだに恥づかしう思ひたまへはべれば、ももしきにいきかひはべらむことは、ましていと憚り多くなむ。かしこき仰せ言をたびたびうけたまはりながら、みづからはえなむ思ひたまへ立つまじき。若宮はいかに思ほし知るにか、参りたまはむことをのみなむ思し急ぐめれば、ことわりに愛(かな)しう見たてまつりはべるなど、うちうちに思ひたまふるさまを奏したまへ。ゆゆしき身にはべれば、かくておはしますもいまいましう、かたじけなくなむ」
とのたまふ。
 宮は大殿籠(おほとのごも)りにけり。
 「見たてまつりて、くはしう御ありさまも奏しはべらまほしきを、待ちおはしますらむに。夜更けはべりぬべし」
とて急ぐ。
 「くれまどふ心の闇もたへがたき片はしをだにはるくばかりに聞こえまほしうはべるを、私にも心のどかにまかでたまへ。
 年ごろうれしく面だたしきついでにて、立ち寄りたまひしものを、かかる御消息(せうそこ)にて見たてまつる、かへすがへすつれなき命にもはべるかな。生まれし時より思ふ心ありし人にて、故大納言いまはとなるまで、ただ、『この人の宮仕の本意(ほい)、かならず遂げさせたてまつれ。我亡くなりぬとて口惜しう思ひくづほるな』と、かへすがへす諫(いさ)めおかれはべりしかば、はかばかしう後見(うしろみ)思ふ人もなき交(まじ)らひは、なかなかなるべきことと思ひたまへながら、ただかの遺言を違へじとばかりに出だし立てはべりしを、身にあまるまでの御心ざしの、よろづにかたじけなきに、人げなき恥を隠しつつ、交じらひたまふめりつるを、人のそねみ深くつもり、やすからぬこと多くなり添ひはべりつるに、よこさまなるようにてつひにかくなりはべりぬれば、かへりてはつらくなむ、かしこき御心ざしを思ひたまへられはべる。これもわりなき心の闇になむ」
と、言ひもやらず、むせかへりたまふほどに、夜も更けぬ。
 「上もしかなむ。『わが御心ながらあながちに人目驚くばかり思されしも、長かるまじきなりけりと今はつらかりける人の契りになむ。世にいささかも人の心をまげたることはあらじと思ふを、ただこの人のゆゑにてあまたさるまじき人の恨みを負ひしはてはては、かううち棄てられて、心をさめむ方なきに、いとど人わろうかたくなになりはつるも、前(さき)の世ゆかしうなむ』と、うち返しつつ御しほたれがちにのみおはします」
と語りて尽きせず。泣く泣く、
 「夜いたう更けぬれば、今宵過ぐさず御返り奏せむ」
と急ぎ参る。
 月は入方の空清う澄みわたれるに、風いと涼しくなりて、草むらの虫の声々もよほし顔なるもいと立ち離れにくき草のもとなり。
  鈴虫の声のかぎりを尽くしても長き夜あかずふる涙かな
えも乗りやらず。
  「いとどしく虫の音しげき浅茅生(あさぢふ)に露おきそふる雲の上人(うへびと)
かごとも聞こえつくべくなむ」
と言はせたまふ。
 をかしき御贈物などあるべきをりにもあらねば、ただかの御形見にとてかかる用もやと残したまへりける御装束一領(ひとくだり)、御髪上(みぐしあげ)の調度(てうど)めく物添へたまふ。
 若き人々、悲しきことはさらにも言はず、内裏(うち)わたりを朝夕(あさゆふ)にならひていとさうざうしく、上(うへ)の御ありさまなど思ひ出できこゆれば、とく参りたまはむことをそそのかしきこゆれど、かくいまいましき身の添ひたてまつらむもいと人聞きうかるべし、また見たてまつらでしばしもあらむは、いとうしろめたう思いきこえたまひてすがすがともえ参らせたてまつりたまはぬなりけり。

 時は中秋(旧暦八月)、台風まがいの強風が吹き荒れ、急に肌寒くなった夕暮れ時、いつにも増して更衣と若宮のことばかり考えているので、靫負命婦(ゆげいのみょうぶ)という女性官僚を更衣の実家まで使いに出します。
 十五夜の満月が美しい時分に、命婦を送り出させになり、陛下はそのまま中秋の名月を愛でておいでになる。以前のお月見では管弦の遊宴などを開かせていらっしゃったが、今宵は更衣のことが頭から離れず、想い出の中の更衣は、琴を格別な音色で奏で、わずかに聞き取れる話し言葉も、誰よりも優雅で美しい仕草と表情とともに、幻影となってそっと陛下に寄り添っているように錯覚されるものの、古歌に詠まれた「闇の現(うつつ)」、すなわち暗闇の中の逢瀬が容姿のはっきり見える夢の中の逢瀬に見劣りするというが、陛下は逆で暗闇でも肌を合わすことができる現実の方が幻影よりもはるかにまし思われることです。
 使いの命婦が更衣の実家に参り着いて、牛車を門内に引き入れると真っ先に目に飛び込むのが、お邸の惨状で見るも無残です。以前お訪ねした際には、夫に先立たれたやもめ暮らしですが、遺児お一人のご養育のために、家屋敷はあちこち修繕しながら維持し、小奇麗に生活されていたが、更衣の死で心の闇に閉ざされずっと寝込まれていらっしゃる間に、夏草が生え放題、この時期の台風でひどく荒廃したように見えて、対照的に満月の月明りだけが夏草に邪魔されることなく庭に差し込んでいます。
 牛車を寝殿の南階段に接車して命婦を降車させ、対面する北の方もすぐには言葉におできにならない。
 「今日まで生き永らえておりますのが辛くてならない上に、このように陛下のお使いが夏草の露に濡れながら庭に分け入ってくださる、もうそれだけで情けなくて生きていることが悔やまれます」
と言って、実際こらえられずに嗚咽される。
 「『いざ伺ってみますと胸が詰まって言葉にならず、鬼気迫るご様子に心胆寒かしむるとはこのこと』と、上司の典侍が陛下にご報告申し上げましたが、浅学非才の私ごときでも典侍の報告が腑に落ち、正直肝を冷やしております」
と言って、お伝えすべきか少し躊躇して陛下のご伝言を申し上げる。
 「更衣が亡くなった直後は、夢に違いないと悪夢の中で出口を探しあぐねていたが、ようやく現実に戻るにしても、現実は夢のように覚めようがなく、そのまま受け入れられない場合には、どう対処したらよいものなのか、と思案しても相談できるしかるべき人さえいないのをどうすべきか、内々に宮中に参内願えないか。若宮が不遇をかこち、草露と涙に濡れた邸宅で生活なさるのも、父親として不憫でならないがどうにもならず、お二人揃って一刻も早く宮中に参られよ」などと、実際はよどみなく最後までおっしゃることができず、何度も言葉をお詰まらせになりながら、一方でこのように弱気では、誰もが陛下に対し「頼りない」と拝見申し上げるであろうと、お気の弱さを必死に隠そうとするご様子が傍目にも痛々しく、陛下のご伝言を最後まで承れないまま這う這うの体で退出申し上げた次第です」
と言って陛下のお手紙をお渡しする。
 「殺された子を想う親心の闇の中で何も見えない状態でございますが、このような畏れ多い陛下のご伝言を照らす明かりにして」
と言いながら拝読される。
  時が気持ちを癒してくれることもあろうかと、その時を待っている間にも募る、更衣に逢いたい気持ちは、とても割り切れるものではありません。幼い若宮を「元気にしているか」と心配しながら、更衣は亡くともせめて我が手元にも置けない不安といったらありません。今となっては若宮に加え私も更衣の形見、息子としてお考え下さい」
などと、お気持ちをありのままに綴られています。

宮城野の露吹きむすぶ風の音に小萩がもとを思ひこそやれ
(萩の名所宮城野に秋風が吹いて萩に露を結ぶように、ここ宮城の宮中でも秋風によって萩に露が結んで涙の露に濡れている。その秋風の音を聴くたびにそちらの小萩にも露が置いて涙に濡れているのかと、我が子若宮とともに気がかりでならない)

と詠まれているが、涙で曇って読み終えることがおできにならない。
 「長生きがどんなにみじめなものか、つくづく考えさせられ実感したのに加え、世間でも例の古歌『(高砂の)松の思はむこと』(高砂の松に長命を知られてしまうこと)を引くくらいですから、いつまでも生き永らえているのは世間体が悪いと存知上げておりますので、まして大手を振って宮中に出入りさせていただくことは、恥の上塗りとなり恐縮至極でございます。畏れ多いお誘いのお言葉を何度もいただいていながら、私のことに限って申し上げれば、どうしても決心できそうにございません。若宮は、現状をどのように考え理解しているのか、恐らく陛下のもとに参内申し上げることだけを強く願い、これ以上待てないご様子なので、頭ではわかっているものの本心は若宮を愛おしくて離れがたく拝見しています、というように内心では承知申し上げている旨をご報告してください。娘を殺されるほど忌み嫌われた身の上でございますので、いつまでも若宮が滞在されるのも不吉で、畏れ多いことでございます」
とおっしゃる。
 若宮はご就寝とのことだった。
 「若宮にお目にかかり、詳細に成長ぶりをご報告申し上げたいところですが、陛下が一報を心待ちにしていらっしゃいましょう。こうしていては深夜になりかねません」
と言って帰り支度を急ぎます。
 「娘を殺された親心の闇をさまよう辛らさのごく一部であっても、忘れさせてくれるように、愚痴を聞いていただきたいと願っていますので、公務の堅苦しさ抜きに私用で是非、お気軽にお運びください。
 ここ数年は、心が弾むような栄誉に与る際にご来訪いただきましたのに、このような陛下のお見舞いで再会を果たしましては、何度も申し上げますが遅きに失した消えるべき命でございます。
 誕生した時から期待をかけていた娘で、亡き夫の大納言が今はの際まで、ずっと『この方の宮仕えの希望を必ず叶えてあげて下され。私が死んだからといって、初志を曲げて悔いを残すでない』と繰り返し釘を刺されておりましたので、経済力のある後援者や信頼できる知人もいない宮仕えは、途中で挫折するとは承知しておりましたが、できることなら亡夫の遺言に背きたくない一念で、出仕させましたところ、身分不相応な陛下のご厚情が公私にわたり過分なうえに、片親で有力な後援者がいない引け目を取り繕いながら、更衣としての責務を果たされていたようですが、あのお方(弘徽殿女御)の嫉妬が執拗で際限がなく、いじめが度重なり日常頻繁になるに従い、非業としか言えないようにとうとうこのような結果になってしまいましたので、却って陛下に申し訳なく、畏れ多い陛下の胸中をいかばかりかとご推察せずにいられません。陛下のご心中を思いやるような不敬も娘を守り切れなかった親心の闇のなせる業でございます。」
と、これ以上言葉にならず、涙でむせ返りなさる間に深夜になりました。
 「陛下も同じお考えです。『自分の意志とはいえ、敢えて周囲の非難を無視するかのように更衣に夢中になったのも、どのみち二人の仲は裂かれる運命にあったからであり、振り返れば実にあっけなかった二人の縁であることよ。誓ってほんのわずかであってもあの方の感情を害することはなかった、と断言できるが、ただこの同じ方、具体的には弘徽殿女御の心情を害したことが原因となって、多くの受けずともよい恨みを買った結果、更衣は殺され、私は身も心もボロボロになり、怒りの持って行き場もない上に、ひどく人相が悪く性格までゆがみきってしまったのも、一体前世で何をしたというのか教えてくれ』と何度も繰り返しては、涙でお召が濡れそぼってばかりでいらっしゃいます」
とまだまだ言い足りません。涙ながらに命婦は、
 「深夜になりましたので、今夜のうちにご報告申し上げましょう」
と、急いで帰参する。
 満月は西の空に傾き、夜空が清々しく冴え渡っている上に、吹き寄せる風が昼間と違い涼しくなっていて、庭の草むらのあちこちで虫の声がして涙を誘うような風情なのも、なんとも立ち去りがたい草の庵です。帰り際に命婦は簀子敷きに立ち、

鈴虫の声のかぎりを尽くしても長き夜あかずふる涙かな
(あの鈴虫のように声の限りふり絞って泣き尽くしたとしても、秋の夜長でも泣き足りないくらいに流れ落ちる涙であることよ)

と詠んで、牛車を待機させ返歌を待っています。

「いとどしく虫の音しげき浅茅生に露おきそふる雲の上人
(ただでさえ虫の音がやかましいこのようなあばら家に、「ふる涙」なんて詠んで、さらに多くの涙の露を雲の上から置き加える雲上人のあなた様であることよ)

なんて、せっかくお詠みいただいたのに揚げ足取りのようなことを申し上げてしまいそうでございます」
と、女房に取り次がせます。
 相応のお礼の贈り物の品々があってしかるべき来訪でもないので、ただ亡き娘の形見分けの体裁で、このようなお見舞いの際に役立つのではないかと取り分けておかれた、更衣の御装束一揃いに御髪上(みぐしあげ)といった化粧道具の類をお加えになる。
 若宮にお仕えするために宮中から異動になり、もともと更衣にお仕えしていた若い女房達は、更衣の非業の死が悔やまれてならないのは今更だが、宮中での宮仕えを朝早くから夜遅くまで務めるのが習い性になり、暇を持て余してしまい、陛下の日常などを思い起こしては話題にさせていただくので、里心ならぬ宮心がついて一刻も早く若宮が宮中に参内なさるように画策してご提案申し上げるが、祖母の母君は、こんな嫌われ者が若宮にお付き添い申し上げては、悪評に晒されるのが面倒だし、一方で若宮から一瞬でも目をお逸らしするのは、若宮に万が一のことがあってからでは後悔のしようがございませんので、若宮の安全が保障されるまでは、とても後顧の憂いなく参内をお勧め申し上げられなかったのです。

2022.04.03 7 陛下の無聊

 はかなく日ごろ過ぎて、後のわざなどにも、こまかにとぶらはせたまふ。ほど経るままに、せむ方なう悲しう思さるるに、御方々の御宿直(とのゐ)などの絶えてしたまはず、ただ涙にひちて明かし暮らさせたまへば、見たてまつる人さへ露けき秋なり。
「亡きあとまで、人の胸あくまじかりける人の御おぼえかな」
とぞ、弘徽殿(こきでん)などには、なほゆるしなうのたまひける。一の宮を見たてまつらせたまふにも、若宮の御恋しさのみ思ほし出でつつ、親しき女房、御乳母(めのと)などを遣はしつつ、ありさまを聞こしめす。

 陛下の心には大きな穴が空いたまま時間ばかりが過ぎ去り、七日ごとの法要や他の法事にかこつけて必ず弔問の使者をお遣わしになり、若宮の様子を報告させる。四十九日法要が済んでしまうと、若宮の様子を知る口実がなくなり、どうしようもなく悲しみが込み上げるのに加え、女御や更衣に対する夜のお勤めも途絶えてしまい、一切ご一緒なさろうとされず、涙に濡れるばかりの明け暮れでいらっしゃるので、身近でお仕えする特に女御や更衣は、陛下のお情けの露をいただけないまま季節は、皮肉なことに長梅雨で一段と湿っぽい秋です。
 「亡くなった後々まで、私の気持ちを長梅雨のように晴れ晴れとさせない、あの女への陛下の入れ込みようでいらっしゃることよ」
とまで、第一皇子の母親である弘徽殿女御を筆頭に、皇子誕生の期待を絶たれたお歴々は今なお容赦のないおっしゃりようです。
 第一皇子の兄宮と顔を合わせられてもその度に、弟宮の若宮に会いたいお気持ちだけが募るので、四十九日も過ぎ弔問の口実がないのであれば、弘徽殿女御方には内密に、更衣と仲が良かった信頼できる女房や、若宮の育ての親ともいえる乳母などを事あるごとにお遣わしになって、暮らしぶりを報告させます。

2022.03.31 6 更衣の葬送

 限りあれば、例の作法にをさめたてまつるを、母北の方、同じ煙(けぶり)にのぼりなむと、泣きこがれたまひて、御送りの女房の車に、慕ひ乗りたまひて、愛宕(をたぎ)といふ所に、いといかめしうその作法したるに、おはし着きたる心地、いかばかりかはありけむ。
「むなしき御骸(から)を見る見る、なほおはするものと思ふが、いとかひなければ、灰になりたまはむを見たてまつりて、今は亡き人と、ひたぶるに思ひなりなむ」
と、さかしうのたまひつれど、車よりも落ちぬべうまろびたまへば、さは思ひつかしと、人々もてわづらひきこゆ。
 内裏(うち)より御使あり。三位(みつ)の位(くらゐ)贈りたまふよし、勅使来て、その宣命(せんみやう)読むなむ、悲しきことなりける。女御とだに言はせずなりぬるが、あかず口惜しう思さるれば、いま一階(ひときざみ)の位をだにと、贈らせたまふなりけり。これにつけても、憎みたまふ人々多かり。
 もの思ひ知りたまふは、さま容貌(かたち)などのめでたかりしこと、心ばせのなだらかにめやすく、憎みがたかりしことなど、今ぞ思し出づる。さまあしき御もてなしゆゑこそ、すげなうそねみたまひしか、人がらのあはれに、情(なさけ)ありし御心を、上の女房なども恋ひしのびあへり。「なくてぞ」とは、かかるをりにやと見えたり。

 宮中には決りがあるので、喪葬令に外れることなく更衣のご葬儀を執り行うのを、更衣の母親の北の方は、「娘と一緒に焼かれて煙になって昇天してしまいたい」と泣きながら娘を想い焦がれて、更衣をお見送りに出かけるお付きの女房の牛車に追いすがるように乗車されて、現在の京都市東山区鳥辺の愛宕という場所でたいへん厳かに葬儀を挙行しているところに、ご到着されたときのご心情は察するに余りあるものがあります。
「魂の抜けてしまった亡骸を拝見すればするほど今でも生きているに違いないと錯覚するが、生き返るわけでもなく考えても仕方ないので、火葬されるのを見届け申し上げ、『今は亡き娘』と、ひたすら自分に言い聞かせることにしましょう。」
と、強がっておっしゃいましたが、下車する際に危うく転落しそうなほど車内で転倒されるので、ショックで足腰もおぼつかないだろうと心配したとおり、お付きの女房はどうお慰めすればよいのか思案顔のご様子。
 宮中からご使者があります。三位の位を追贈される主旨を勅使が訪ねて来て、追贈の宣命を読み上げるなんて、どんなに辛いことでしょう。元気なうちにせめて女御とだけでも呼ばせずそのままになってしまったのが更衣を死に追いやったと悔やんでも悔やみきれずにいらっしゃり、更衣の四位からもう一階進めて女御の三位をせめて、と追贈を命じられたのです。この追贈についても、若宮を兄の第一皇子との皇位継承争いで優位に立たせようとする陛下の意図を敏感に感じ取り、故人を憎悪する右大臣側が多勢です。
 陛下の心情をお察しできて思慮深く分別のある右大臣側に属さない方は、スタイルやお顔立ちなど見た目に華があったことや、性格は感情に起伏がなく好感が持てて、あの方たちのように嫌悪しようにもとてもできなかったことなど、今更ながら改めて想い返しています。右大臣側の不都合になるような陛下の更衣に対するご寵愛がそもそもの原因で、完全に無視した上に嫌がらせをされたのであるが、ご自身はもののあはれを知る欲のない性格で、他人(ひと)に対しては愛情深く忘己利他を地で行くご性格なのを更衣お付きの女房だけではなく、陛下にお仕えする女房までもがもう一度お目にかかりたいと懐かしがります。古歌にある「なくてぞ人は恋しかりける」は、このような場面なのだろうと思い知らされました。

2022.03.30 5 源氏の君、宮中退出

 皇子は、かくてもいと御覧ぜまほしけれど、かかるほどにさぶらひたまふ、例なきことなれば、まかでたまひなむとす。
 何ごとかあらむとも思したらず、さぶらふ人々の泣きまどひ、上も御涙の隙(ひま)なく流れおわしますを、あやしと見たてまつりたまへるを。よろしきことにだに、かかる別れのかなしからぬはかなきわざなるを、ましてあはれに言ふかひなし。

 若宮はと言えば、陛下としてはこのまま宮中に留めていつまでも身近に置きたいと願われるが、生母の喪中でありながら宮中にご滞在されとなると、前例にないことなので、陛下も敢えてお留めにならず若宮の安全のためでもあり、退出なさろうとします。
 ご自分の退出の準備でバタバタしているにもかかわらず立場をご理解なさらず、その無邪気さにお仕えする女房は泣くばかりで準備の手が止まり、陛下もお涙が乾く間もなく流れ続けていらっしゃるのを、何が起こったのかと目をきょろきょろされているのを見るにつけましても。天寿を全うしたとしても母親との死別は辛く慟哭するものであるのに、数え年まだ三歳と幼くて母親の死を自覚できず、その原因もお分かりでなく泣くこともできないとすればお気の毒でお慰めしようもありません。

2022.03.24 4 源氏の君、母更衣と死別

 その年の夏、御息所(みやすどころ)、はかなき心地にわづらひて、まかでなむとしたまふを暇(いとま)さらにゆるさせたまはず。年ごろ、常のあつしさになりたまへれば、御目馴(な)れて、
「なほしばしこころみよ」
とのみのたまはするに、日々に重(おも)りたまひて、ただ五六日(いつかむひか)のほどに、いと弱うなれば、母君泣く泣く奏して、まかでさせたてまつりたまふ。かかるをりにも、あるまじき恥もこそと、心づかひして、皇子をば止(とど)めたてまつりて、忍びてぞ出でたまふ。
 限りあれば、さのみもえ止めさせたまはず、御覧じだに送らぬおぼつかなさを、言ふ方なく思ほさる。いとにほひやかに、うつくしげなる人の、いたう面痩せて、いとあはれとものを思ひしみながら、言に出でても聞こえやらず、あるかなきかに消え入りつつ、ものしたまふを、御覧ずるに、来し方行く末思しめされず、よろづのことを、泣く泣く契りのたまはすれど、御答へもえ聞こえたまはず。まみなどもいとたゆげにて、いとどなよなよと、われかの気色にて臥したれば、いかさまにと思しめしまどはる。輦車(てぐるま)の宣旨などのたまはせても、また入らせたまひて、さらにえゆるさせたまはず。
「限りあらむ道にも、後れ先立たじと、契らせたまひけるを。さりともうち棄てては、え行きやらじ」
とのたまはするを、女もいといみじと見たてまつりて、
  「かぎりとて別るる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり
いとかく思ひたまへましかば」
と息も絶えつつ、聞こえまほしげなることはありげなれど、いと苦しげにたゆげなれば、かくながら、ともかくもならむを御覧じはてむ、と思しめすに、
「今日はじむべき祈祷(いのり)ども、さるべき人々うけたまはれる、今宵より」
と、聞こえ急がせば、わりなく思ほしながら、まかでさせたまふ。
 御胸つとふたがりて、つゆまどろまれず、明かしかねさせたまふ。御使の行きかふほどもなきに、なほいぶせさを限りなくのたまはせつるを、
「夜半うち過ぐるほどになむ、絶えはてたまひぬる」
とて泣き騒げば、御使も、いとあへなくて帰り参りぬ。聞こしめす御心まどひ、なにごとも思しめし分かれず、籠りおはします。

 源氏の君の袴着の晴儀があった三歳の年の夏、皇子を儲けて御息所と敬称される更衣はこの三年間、いつ生命を狙われるかもしれない若宮を執拗ないじめで心身を害いながら命懸けでお守りしてきたが、三歳を無事迎えた安堵から緊張の糸がプツリと切れて病の床に臥し、宮中を退出しようとなさるが陛下は、暇乞いを頑としてお認めにならない。ここ何年間か繰り返していたいつもの病状を再発されたので、見慣れていることもあり、
「このまましばらく安静にしておれ」
とだけおっしゃっている間に、一日一日病が進行され、わずか五日、六日くらいですっかり衰弱してしまい、更衣の母親が泣いてすがるように懇願申し上げて、渋々退出の許可をお命じなさる。危篤状態であっても宮中で万が一のことがあっては申し開きできないので、一刻も早く退出するために一緒にお連れしたい若宮であるが、宮中にお残し申し上げ、若宮に覚られないように退出なさる。
 宮中ならではの決まりがあり、陛下であってもそう無理に退出の許可を撤回することはもちろん、退出に立ち会うことさえもおできにならず憤懣やるかたもございません。
 まるで花がほころぶように愛くるしい顔立ちの方の頬がこけ、すっかりやつれてしまい、「実に情けない」と自責の念に苛まれながら、胸の内を言葉にしてお伝えすることもできず、消え入りそうな息の下でも懸命に生きようとされているのを陛下がご覧になり、今まさに死を迎えようとしていることもお分かりにならず、思い付く限りのことを涙ながらにお約束されても、「はい」の一言さえもお答えすることがおできにならない。瞼が今にも閉じられそうで、すっかり弛緩し、意識も朦朧として横たわっているので、「なんとかならないのか」と未練がましく諦めきれないでいらっしゃる。退出用の移動手段として更衣の身分では破格の輦(てぐるま)の使用を勅許されて一度は部屋を出られても、再度お戻りになり、今更ながらどうしても退出をお許しにならない。
「いつかは向かわなければならない死出の旅路に際しても、二人一緒で必ず同時にとお約束されたのをお忘れか。覚えておいでなら私一人を残して旅立たれることはよもやあるまい」
とおっしゃるのを、更衣も「余りにももったいないこと」と陛下の意を汲まれて、最後の気力を振り絞り、
  「陛下仰せの通り『限りあらむ道』があるとは理解できても、生きる道と死への道に分
  かれるのがどうしてもやりきれず、選べるものならば陛下と共に生きる命の道を行き
  とうございます。
心情をお汲み取りいただければ思い残すことは・・・」
と言い終わらないうちに息が上がってしまい、お残ししたい遺言がありそうだが、死前喘鳴(ぜんめい)で見るからに呼吸が荒く、筋肉も弛緩している様子なので、この状態を維持して臨終まで見届けたいと願われるが、
「今日から開始することになっている加持祈禱の数々を、霊験あらたかな修験僧たちが承っており、今夜から早速」
と申し上げ退出を急かすので、不承不承でいらっしゃりながらもお命じなさる。
 陛下の胸中は退出をお命じになってからずっと更衣のことで占められ、心配で一睡もされないまま、短い夏の夜明けを待ちかねていらっしゃる。お見舞いのご使者の往還がまだない深夜にもかかわらず、永遠の時間に感じ、底の知れない胸騒ぎを口にされていたところに、それが虫の知らせだったのであろう、
「夜中を少し回ったころに、息絶え、亡くなってしまわれた」
と更衣の実家で泣き騒ぐので、ご使者もすっかり落ち込んで帰参した。報告を受けられた陛下のご心中たるや理性を失い、公私ともに思慮分別の判断がおできにならず、部屋に籠りじっとして動かれない。

2022.03.23 3 源氏の君三歳、袴着の儀でも物議

この皇子三つになりたまふ年、御袴着(おんはかまぎ)のこと、一の宮の奉(たてまつ)りしに劣らず、内蔵寮(くらづかさ)、納殿(をさめどの)の物を尽くして、いみじうせさせたまふ。それにつけても、世のそしりのみ多かれど、この皇子(みこ)のおよすけもておはする御容貌(おんかたち)、心ばへ、ありがたくめづらしきまで見えたまふを、えそねみあへたまはず。ものの心しりたまふ人は、かかる人も世に出でおはするものなりけりと、あさましきまで目を驚かしたまふ。

 若宮が三歳になられた年に御袴着の儀式、今でいう七五三の祝儀の式典を開催するのであるが、兄宮の第一皇子の式典に勝るとも見劣りしないように皇室の宝物や献上品を管理する内蔵寮と同じく御物を納めている納殿の財物を全て使用して、盛大に挙行される。兄宮の第一皇子を越える慣例を無視した特別扱いに、宮廷の主流派は非難ごうごうであるが、若宮が成長されるにつれお顔立ちと性格があり得ないほど美しく、言葉にできないほど素直なことが傍目にも一目瞭然でいらっしゃり、あの恨み骨髄の主流派が憎み通そうにもつい頬が緩みおできにならない。不偏不党の常識を弁えた方は、若宮のような方が現実にご誕生なさることがあるのだなあ、とすっかり脱帽の体で目を瞬かせていらっしゃる。

2022.03.22 2 源氏の君誕生とエスカレートするいじめ

 前の世にも御契りや深かりけん、世になくきよらかなる玉の男皇子(みこ)さへ生まれたまひぬ。
 いつしかと心もとながらせたまひて、急ぎ参らせて御覧ずるに、めづらかなるちごの御容貌(かたち)なり。
 一の皇子は、右大臣の女御の御腹にて、寄せ重く、疑いなきまうけの君と世にもてなしかしづききこゆれど、この御にほひには並びたまふべくもあらざりければ、おほかたのやむごとなき御思ひにて、この君をば私ものに思ほしかしづきたまふこと限りなし。
 はじめよりおしなべての上宮仕(うへみやづかへ)したまふべき際にはあらざりき。おぼえいとやむごとなく、上衆めかしけれど、わりなくまつはさせたまふあまりに、さるべき御遊びのをりをり、なにごとにもゆゑある事のふしぶしには、やがてさぶらはせたまひなど、あながちに御前去らずもてなさせたまひしほどに、おのづから軽き方にも見えしを、この皇子生まれたまひて後は、いと心ことに思ほしおきてたれば、坊にもようせずは、この皇子のゐたまふべきなめりと、一の皇子の女御は思し疑へり。人よりさきに参りたまひて、やむごとなき御思ひなべてならず、皇女(みこ)たちなどもおはしませば、この御方の御諫めをのみぞ、なほわずらはしう、心苦しう思ひきこえさせたまひける。
 かしこき御蔭をば頼みきこえながら、おとしめ、疵を求めたまふ人は多く、わが身はか弱く、ものはかなきありさまにて、なかなかなるもの思ひをぞしたまふ。
 御局(みつぼね)は桐壷なり。あまたの御方々を過ぎさせたまひて、隙(ひま)なき御前(おまへ)渡りに、人の御心を尽くしたまふも、げにことわりと見えたり。参う上りたまふにも、あまりうちしきるをりをりは、打橋(うちはし)、渡殿(わたどの)のここかしこの道に、あやしきわざをしつつ、御送り迎への人の衣(きぬ)の裾、たへがたく、まさなきこともあり。またある時には、え避(さ)らぬ馬道(めどう)の戸を鎖(さ)しこめ、こなたかなた、心を合はせて、はしたなめわづらはせたまふ時も多かり。事にふれて、数知らず苦しきことのみまされば、いといたう思ひわびたるを、いとどあわれと御覧じて、後涼殿(こうらうでん)にもとよりさぶらひたまふ更衣の曹司(ざうし)を、ほかに移させたまひて、上局(うえつぼね)に賜はす。その恨みましてやらむ方なし。

 前世でもお二人のご縁は強く結ばれていたのであろうか、そうとしか考えられないような、この世のものとも思えない美しい玉のようなそれも皇子がご誕生されました。
 陛下はいつ会えるのかとそわそわして落ち着かれず、急かして宮中に参上させ目になさると、類稀な幼児のご器量です。
 第一皇子は右大臣の娘の女御腹でいらっしゃり、右大臣側の派閥の支持が盤石で、皇太子候補の最右翼だと、政官界挙げて献身的にご奉仕申し上げるが、第一皇子とは言え生まれたばかりの若宮の器量の良さには、肩を並ばれるべくもなく、そうでなくても陛下にしてみれば実力者の外祖父の手前、皇太子候補を無碍にはできず、更衣との間に儲けた若宮だけにはひとりの父親として惜しみなく愛情を注ぎ大切に養育されること際限がありません。
 若宮の母親の更衣は、入内当初から陛下にお仕えする一般の女性官僚のような身の回りのお世話係りの低い身分ではありませんでした。母親の北の方の教育が行き届いていたので宮中での評判がとても高く、いかにも良家のお嬢様といった風情でしたが、陛下が妻という身分を越えて身近に置いて本来女性官僚がすべき身の回りの世話までお命じなさるようになり、公式の宮中行事に付随するセレモニーである管弦の演奏を伴う宴会や、四季折々の風情を楽しむ陛下のプライベートのやはり管弦の演奏が不可欠のパーティーが開催されるときには必ず、真っ先に更衣にお命じになり参上させて侍らし、ある時などはお二人ですっかり寝過ごしてしまわれ、朝政に支障をきたし、その夜も続けて陛下の寝所に侍らすなど、強引に慣習を無視して陛下の身近に置き身の回りのお世話までおさせになるので、周囲の更衣を見る目はどうしても妻らしくない、女性官僚並みとなり軽蔑の眼差しを向けていたところに、この若宮が誕生されてからは、これまで以上に更衣を厚遇し皇位継承権のある皇子の母親としての待遇を命じられたので、次期天皇たる皇太子にも油断しているとこの若宮が立太子されるのではないかと、第一皇子で皇太子最有力候補の母親である女御は、疑心暗鬼になられます。
 こちらの女御は陛下が元服されると同時に入内され、年上であり、政界の実力者でもある右大臣の娘でもあることから陛下が最も大切にしなければならない正妻でもあり、すでに皇女もお二人儲けていらっしゃることから、この正妻からの苦情だけは右大臣への遠慮もあり無視することができず、忌々しい悩みの種とされています。
 一方更衣は、畏れ多くも陛下の庇護を唯一の心の支えにされていましたが、更衣の周囲では、第一皇子の立太子に邪魔な更衣を失脚させて宮中から追放しよう、そのために公私の行事における失敗を見逃すまいと鵜の目鷹の目であら捜しを全員でしており、身体は病弱、精神的にも病んでいる更衣としては、周囲のプレッシャーに押しつぶされそうで言葉にできない苦悩を抱えていらっしゃる。
 更衣のお部屋は桐壷で、陛下が住いされる清涼殿からは最も遠い東北の角に当たります。陛下が更衣の部屋である桐壷にお入りになる際にはたくさんの女御や更衣の方々のお部屋の前を通過される上に、お訪ねされる回数が頻繁になれば、陛下が素通りされる女御や更衣のお部屋では、「今回こそは陛下がお訪ねくださる」という期待をことごとく裏切られるものだからみなさん憔悴しきってしまわれるのも、皇子を儲けることが至上命題であるから至極もっともでございましょう。
 通称桐壷更衣には公務上の失敗や欠点、瑕疵が全くなく、失脚させることができないので戦略を転換し、いじめという実力行使に打って出るがそのやり方は、陛下が更衣を訪ねる祭は無理だが、更衣が陛下のお部屋に参上される際でも、それがあまりに頻繁になると建物と建物を繋ぐ屋根のない打橋や屋根のある渡殿のいたるところに避けて通れないように自分たちの汚物をまき散らし、更衣を陛下の元に送り迎えする女性官僚は公務を果たすために迂回することができず、高価な着物の裾が汚れて台無しになり、正義も何もあったものではありません。これだけでは気持ちが収まらず、陛下の元に参上されるのに必ず通る、部屋と部屋の間の廊下で両側が壁になっている馬道の両端の扉に鍵をかけて閉じ込め、参上を妨害しようと、馬道の向こう側とこちら側で示し合わせ、屈辱を与えることで心身ともに衰弱し宮仕えに耐えられなくするいじめが連日行われる。
 第一皇子可愛ければ更衣憎しで一事が万事、とても数えきれないほどのいじめに遭い辛いことがどんどん増えるので、死んでしまいたいと考えてもおかしくないほど心労が重なるのを、陛下も黙って見過ごすことがおできにならず、かと言って摂関政治全盛の今、首謀者の女御を叱責することもできないので次善の策は、陛下のお住いの清涼殿の西隣の後涼殿にもともと居た更衣を他所に部屋替えを命じられ、桐壺更衣の控えの間として賜る陛下としては異例で精いっぱいの配慮をされる。が部屋替えを命じられた更衣の憎しみの矛先は他でもない桐壷更衣に向かわざるを得ません。

2022.03.20 1 桐壷帝の偏愛

 いづれの御時にか、女御(にょうご)更衣(かうい)あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際(きわ)にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。
 はじめより「我は」と思ひあがりたまへる御方々、めざましきものにおとしめ、そねみたまふ。同じほど、それより下﨟(げらふ)の更衣たちは、ましてやすからず。
 朝夕の宮仕につけても、人の心をのみ動かし、恨みを負ふつもりにやありけん、いとあつしくなりゆき、もの心細げに里がちなるを、いよいよあかず、あわれなるものに思ほして、人のそしりをもえ憚らせたまはず、世の例にもなりぬべき御もてなしなり。
 上達部(かんだちめ)上人(うへびと)などもあいなく、目を側めつつ、いとまばゆき人の御おぼえなり。
 「唐土(もろこし)にもかかる事の起りにこそ、世も乱れあしかりけれ」と、やうやう天の下にも、あぢきなう人のもてなやみぐさになりて、楊貴妃(やうきひ)の例(ためし)も引き出(い)でつべくなりゆくに、いとはしたなきこと多かれど、かたじけなき御(み)心ばえのたぐいなきを頼みにてまじらひたまふ。
 父の大納言は亡くなりて、母北の方なむいにしへの人のよしあるにて、親うち具(ぐ)し、さしあたりて世のおぼえはなやかなる御方々にもいたう劣らず、何ごとの儀式をももてなしたまひけれど、取りたててはかばかしき後見(うしろみ)しなければ、事ある時は、なほ拠りどころなく心細げなり。

 どちらの御代かは存じませんが、陛下の正妻として皇女を妃に迎えることが絶えて久しく、臣下の子女である女御や更衣ばかりがお仕えする摂関政治全盛の御代に、左右大臣家の家柄でないにもかかわらず、ひときわ宮廷社会の耳目を集める格下の更衣がいたということです。
 入内当初より「私が正妻になるのよ」とお考えになるのも当然でいらっしゃる公卿家出身の女御のみなさんは、格下の更衣の存在が目障りでならず軽蔑する一方、嫉妬に苛まれていらっしゃいます。家柄が同格か、さらに低い更衣のみなさんは、「私にもチャンスがあるかも」といった期待と「女御の方でも相手にされないのに、私なんか」といった絶望のはざまで女御のみなさん以上に気もそぞろです。
 昼夜を問わず陛下にお仕えしていると必ず、並み居る女御や更衣の感情を逆なでし、全員に嫌われ恨みを買いすぎた結果であろうか、急に体調が悪化し、精神的にもひどく病み宮仕えに耐えられず実家暮らしが多くなるのを、離れて暮らせば暮らすほど愛情が冷めるどころか、最愛の女性は更衣を置いていないと思い知らされ、他の女御や更衣の非難もものともされず、歴史上の悪例にもなりかねない更衣に対するご寵愛ぶりです。
 女御の父親である三位以上の上達部や更衣の父親である五位以上の殿上人のみなさんも娘同様に、陛下のなされようであるからなす術なく、見て見ぬふりをしながらいやでも目に入ってしまい、思わず目をそむけたくなる更衣に対するあからさまな依怙贔屓でございます。
 あの強大な唐の国でさえも皇帝の極端な偏愛が発端になったように、政変が起こり国家存亡の危機を招くだろうと、時の経過とともに、宮廷外でも、またお手上げ状態で左右大臣が頭を抱え込むまでになり、原因が全て更衣にあるかのように傾国の美女、楊貴妃の例が引き合いに出されるに至っては、屈辱の日々を過ごし、なぜそうまでしてとお思いでしょうが、畏れ多い陛下の至上の愛におすがりして宮仕えをされています。
 更衣の父親の大納言はすでに亡く、父親さえ健在であれば女御として入内するのでこのようないじめに遭うことはなかったが、母親の北の方といえば、古くからのしきたりである有職故実に精通した方で、両親が揃い子女教育に熱心で、それでも入内前の宮仕えであれば評判の良い教育の行き届いた子女の皆さんにも全く引けを取らず、どのような宮中の公式行事であっても完璧に務めを果たされたが、親戚を見回しても経済力のある支援者がいないので、入内等の物入りの時には、やはり経済的に頼る所がなく不安を隠せないでいる。

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